2009年3月8日日曜日

1871年4月 ジャコバンの見果てぬ夢か・・・(11)

■1871年4月 ジャコバンの見果てぬ夢か・・・(11)
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1871年4月(日付なし)
・日本、仮名垣魯文「牛店雑談安愚楽鍋」出版。
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・2鎮台、2本営、4分営とする。一揆反乱鎮圧目的。
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・神田孝平・津田真道、条約改正案を外務卿に提出。改正延期提言。
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・大阪府、大貧院を開設。
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・ヴァーグナー、ベルリンで「オペラの使命」講演。バイロイト計画への援助を皇帝ヴィルヘルム1世に働きかけるようビスマルクに依頼。
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・ランボー、シャルルヴィルの新聞「プログレ・デ・ザルデンヌ(アルデンヌ進歩誌)」に就職、すぐに休刊となる。
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4月1日
・片岡健吉・伴正順、渡英のため高知出発。
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4月1日
・仏、コミューン、国家公務員の高い俸給を廃止し、コミューン勤務員の最高給与額を1年6千フラン以下にする決定。
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年間6千フランの俸給は熟練労働者の貸金と同じ。この措置により、腐敗した官吏や出世主義者が国家機構に入る道を塞ぐ。コミューン機関には、革命に対し無欲な奉仕の模範を示す労働者や革命的知識人の代表が入る。
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・ブルジョア地区コミューン議員8人が辞職し、議員5人が二重当選しているので、補欠選挙を4月5日に行う決定。
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・ドイツの捕虜になっている国民軍兵士の家族に手当支払いを継続し、国民軍兵士諸部隊の自発行動について保安委員会に検討を委任する決定。
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・コミューン議会の混乱。潜在する中央委員会との紛争深刻化。
アシが、中央委員会の支持を受け、コミューンの権限は市政問題に関わるものに限られると主張。プランキ派とジャコバン派が介入しアシを逮捕。
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執行委員会は、国民軍総司令官職廃止・プリュネル解任と、ウードを軍事代表委員に、ベルジュレを国民軍参謀長に、デュヴァルを警視庁軍司令官に任命する決定。
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パリから食料・兵器の搬出を禁止し、あらゆる種類の商品を搬入する決定。
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・教育委員会、コミューン議員及び教育委員会委員のE・グビル博士を国民教育局代表委員に任命。
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・内務及び保安委員会、ジャック・ヴァンサンを国立図書館代表委員に任命しその保管を委ねる。
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・軍事委員会、余分の銃を市民たちに分配すると命令。
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・労働交換委員会、各区役所で労働の需要・供給を登録し、パリの失業を一掃する為、労働交換委員会と連絡する専門下級委員会を、関連のある人々によって選挙すると決定。
未完了の建設・修理活動の状態とその終了時期を解明する為、インタナショナルパリ支部連合評議会委員4人からなる下部委員会を任命することを決定。
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・コミューン議員、「新教育」協会代表団と会合。
代表団は、社会的地位に拘らず、全市民の児童の社会教育施設を開校し、学校を教会から分離し、児童の無料義務教育を要求する請願書を手交。
教育問題は基本的問題であり、「この解決がなければ早急に重大な改革は遂行できないであろう」と、請願書は述べている。
コミューン議員達は、急激な教育改革が必要と声明。
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・石切工と石工の全体集会。
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・コミューンに敵対的な論文を掲載した為、2つの反革命新聞を押収。
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・国民軍司令部は、諸大隊に、パリの南西部、西部、北西部に布陣し、大砲を配置するよう命令。
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・フリー・メーソンの総会。
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・ヴェルサイユ。国民議会で、ティエールはパリに対して戦闘を行ったヴェルサイユ軍を称賛。
ティエールは、パリ攻撃を決定。3月末、プロイセン兵6,500が集結。
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・正午過ぎ、連盟軍が進出。兵力は、ヌイイに800、クールプヴォワに500、ナンテールに200~300。
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午後5時50分頃、ナンテール市長から連盟軍の脅威に晒されているとの報告あり、ガリフェ将軍が騎馬隊をもって赴き、示威行動。連盟軍は町を引き渡す。
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・マルセイユ。国民軍代表者会議。
市会解散と、臨時県委員会を支持し、国民軍各大隊の代表1名ずつをこの委員会に入れる決議。
マルセイユの共和派は臨時県委員会を支持。
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・アルジェリア。民主的傾向のフランス移民達が、ティエール政府への反対行動を行う。
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オラン市国民軍集会(参加者約1万)は、アルジェリアでの軍事政権復活反対する抗議。
「共和国万歳! パリの国民軍万歳!」のスローガンの行動綱領を採択、また、パリの国民軍中央委員会にならって、オラン国民軍指導委員会織の決議。
夫々のコミューンが、白分達の国民軍評議会と将校達を選出する権限について宣言(人民と同盟を結ぶようにという軍隊の呼び掛けと、パリの国民軍との連帯の呼び掛けを含む)。
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4月1日
・ベルリン。全ドイツ労働者同盟の新聞「アギタートル」の主張。
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「フランスに爆発した社会革命の作用は、克服することのできない力であらわれている・・・。
階級的憎悪が国民的憎悪よりもはるかに強いということがたしかになった。フランスのブルジョアジーは、またもや自国の労働者たちの勝利をゆるすよりも、パリに敵がいることを選んでいるのである・・・。
有産者階級はよろこんでドイツの血を流させ、この代価によってフランスにひるがえった赤旗をひきさこうとしているのである」。
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4月1日
・ウィーン、社会民主党の新聞「ゾツィアル・デモクラート」、コミューンにE・ヴァイヤンのような優れた革命家達が参加していると指摘し、この事実は「フランスにおけるインタナショナルの事業の、終局的な成功の保障」となると強調。
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4月1日
・プラハ。新聞「デルニク」、「政治的労働者新聞」という肩書と、「労働者階級の目的のための意識的な闘争の事業に活動をささげよう」という題名をつけて発行される。論文「パリの蜂起」を発表し、パリの3月18日の革命について共感を示す。
to be continued

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