2010年12月6日月曜日

明治6年(1873)10月9日~14日 大久保利通・副島種臣参議就任 14日の閣議は朝鮮使節派遣の結論を持ち越す [一葉1歳]

明治6年(1873)10月9日
・太政官正院、「参座規則」公布。臨時裁判所は10月14日開廷とする。
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■参座規則
①臨時裁判所において、裁判の公正を証するために、参座をもうける。
②参座は内閣が、諸官員の中から選び任命。
③参座の定員は9人、出席者が6人に満たない時は裁判を行わない。
④参座において有罪か否かを決し、判事が量刑を定める。
⑤拷問を用いるときは、参座の承諾を必要とする。
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■参座
土方久元(筆頭参座、正院大内史=三等官、土佐藩)
小松彰(正院権大内史、松本藩)
日下部東作(正院少内史、彦根藩)
細川潤次郎(左院二等議官、土佐藩)
西岡逾明(左院二等議官、肥前藩、江藤新平とは反目しあう関係)
三浦安(左院四等議官、西条藩)
浅井晴文(左院五等議官、東京士族)
渡辺清(大蔵省大蔵大丞、大村藩)
竹内綱(大蔵省六等出仕、土佐藩)
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尚、臨時裁判所の職員には、佐々木高行(大判事)、松本暢(権大判事)、青山貞(中判事)、川村應心(大解部)、杉本芳熙(中検事)らを任命し、大塚正男(少判事)を裁判長として、10月14日から開廷することにする。
また、この日、太政官正院は、司法省の出した「逮捕許諾請求」に対し、かねてより病気中の槇村正直が快方へ向かい、指図を受ければ罷り出ると言うので、呼び出して糾問し、もし抗拒して不出頭であるなら、捕縛してもよい、と指令。
10日
太政官正院は、前日に公布した「参座規則」に、裁判を受けるために出頭した者を拘留しようとするときは、参座の承諾を得ることを必要とする、との一条を追加。
この日、司法省において、参座一同出席のうえ、裁判を進める方法について打合わせた。

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10月10日
・この日付け、伊藤の大久保宛書簡。

「昨日教命(キョウメイ)の件々逐一木戸へ申し聞け候処、同人においても頗る喜悦罷りあり候」
「御序(オツイデ)も御座候得ばなおまた先生御立ち寄り下され候えば、同人見込みも御直(オンジカ)に申し上ぐべき心得かと存じ奉り候」
国家的大事は、木戸・大久保間で面談で処理するのが本筋との見解を述べる
(伊藤は木戸の代理人との立場を崩していない)。

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10月11日
・三条、西郷に12日に開催予定の閣議を14日に延期すると書簡。
西郷は、派遣は上奏して許可を得たもので、変更すると勅命の権威失墜となる。死をもって謝罪するしかない、と返事。
驚いた三条は、岩倉に手紙を送る。
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10月11日付け西郷隆盛の三条実美宛て書簡
「明日の御会議如何にも残念の次第に御座候、今日の御遷延一大事に御座候間、何卒此の上間違いこれなき様成し下されたく」、
「不肖御遣わしの儀、最初御伺いの上御許容相成り居り、今日に至り御沙汰替り等の不信の事ども相発し候ては、天下のため、勅命軽き場に相成り候間、右辺の処は決して御動揺これなき御事とは恐察奉り候得共、段々右等の説もこれある様に承知仕り侯儀も御座候故、念のため申し上げ候。」
「若しや相変じ侯節は、実に致し方なく、死を以て国友へ謝し侯迄に御座候」

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三条の岩倉宛て手紙。
「此の一件は全く僕等の軽率より遂に此の如き難事にも立ち至り侯事にて、国家に対し申し訳もこれなく、尊公方に対し候ても慙愧のほかこれなく、万悔及ばざる事」と苦衷を訴え、
「此の上は大久保の精忠に依頼」し、
「御同伴にて西郷方に行き向き、赤心を以て」説得するほかはないという。
三条は、「西郷も決心のことなり、兵隊の動静も此の一挙の都合に依り候ては、ほとんど駕御の策むずかしく……救うべからざるの大患」になるかもしれないと心配している。

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10月12日
・大久保利通、参議就任。翌日、西郷派副島種臣、参議就任。
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10月13日
・午後、板垣が大久保に閣議の進め方を提案。
西郷の一身上のことなので、まず西郷を外して審議、後、西郷を加える。大久保は同意。
しかし、翌14日朝、先に西郷が岩倉を訪問、閣議に同行したため、実現せず。
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三条と岩倉の考えた難局回避策。
三条・岩倉が板垣・副島を呼んで使節延期論をまとめ、翌14日朝に西郷を訪問してこの結論を納得させ、開議は形式的に済ませるというもの。
大久保は、この姑息で不明朗な策に反対。
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13日、大久保は2通の手紙を岩倉に送る。
三条・岩倉の案を「一円了解仕り難く候」と反対し、「明日惣御評議になり定論の上にて西郷へ御談しと申す順序に相成らず候ては大に不都合」(閣議で公明正大に議論を尽くすべき)と主張。
大久保は、「是れまで朝鮮事件を御延引相成り侯わけは、使節帰朝までと申す行きがかり」、
使節と留守中政府と御熟議これあるべくと申すが今日まで御延引なされ候御旨趣」であるから、
使節が帰朝した以上は閣議での「惣体の御熟評」が「御条理」であり「必然の事」とした
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13日午後、板垣が、大久保に閣議の進行方法について提案。
板垣は、今回の問題は、西郷の一身上に関することなので、まず西郷を除外して審議し、それから西郷を加えて結論を出すべき、と提案。
大久保は、この板垣提案に「至極もっともと同意」し、岩倉に「明日は外参議中へ御評議の上、二段に西郷を御加え相成り候方、御順序か」と取り次ぐ。
この時点では、大久保・板垣の西郷派・反西郷派の色分けは、まだない

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10月14
・西郷朝鮮派遣めぐり閣議(三条、岩倉、西郷、板垣、大隈、後藤、江藤、大木、大久保、副島の10人、木戸は病気欠席、伊藤博文は大内史(官房長官)兼任として列席)。
大久保、開戦になれば内外政に支障をきたすため(不利益7箇条)、使節派遣延期論を展開。
江藤が反論(派遣した使節を殺害するような野蛮国なら、初めから開戦を準備すべきである)。
大久保は孤立。結論持越し。
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14日朝、西郷は、岩倉を訪問して閣議への同行をうながし、前日の板垣の提案は実現しない。
板垣は、小細工の片棒を担いだために、西郷に対して面目を失ったかたちとなり、閣議では西郷に同調したと思われる。
また、こうした小細工は、三条・岩倉に対する西郷の不信感を増幅させたと思われる。
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閣議では、西郷が、朝鮮への使節派遣が急務と論じ、8月17日閣議決定の再確認を求める。
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岩倉は、樺太在住の日露両国人間の紛争解決を先行させよと反論。
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大久保は、使節派遣が開戦に直結して財政上・内政外交上の困難をもたらすとして派遣延期を主張。
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大久保は、朝鮮政府が使節に対して不信行為に出るのを必至とし、従って征韓を当然かつ不可避とし、使節派遣は開戦に直結すると議論を組み立てる(使節派遣即開戦論)。
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大久保は、征韓戦争が日本政府にもたらす不利益七箇条を挙げ、派遣延期を主張。
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第一条
「所を失い産を奪われ大いに不平を抱くの徒・・・若し間に乗ずべきの機あらば一旦不慮の変を醸すもまた計るべからず」(開戦の混雑に乗じた不平士族反乱が起きる危険がある)。
第二条
「数万の兵を外出し日に巨万の財を費し征役久をいたす時は・・・大いに人民の苦情を発し終に擾乱を醸しまた言うべからざるの国害を来たす」(戦費負担が人民の反抗を招くおそれがある)。
第三条
「今無要の兵役を起し徒らに政府の心力を費し巨万の歳費を増し・・・政府創造の事業尽(コトゴト)く半途にして廃絶」(政府財政は戦費に堪えられない)。
第四条
「戦端を開く時は、・・・船艦弾薬銃器戎服(ジユウフク)多くは外国に頼らざるを得ず・・・ますます輸出入の比例に於て大差を生じ大いに内国の疲弊を起さん」(軍需品輸入が国際収支を悪化させる)。
第五条
「朝鮮と干戈を交ゆる時は・・・魯(ロシア)は正に漁夫の利を得んとす」(ロシアを利する)。
第六条
「其の負債を償うこと能わずんば英国は必ずこれを以て口実とし終に我が内政に関するの禍を招き」(戦費のために現存外債の償却を怠ればイギリスの内政干渉を招く)。
第七条
「条約改正の期すでに近きに在り・・・独立国の体裁を全うするの方略を立てざるぺけんや、これまた方今の急務にして未だ俄に朝鮮の役を起すべからず」(条約改正に備えて国内体制を整備するのが戦争より先決)。

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西郷は、使節派遣の目的は日朝両国の「交誼を厚く」するためと主張し、大久保の立脚する使節派遣即開戦論は、説得力に乏しく、大久保は孤立。
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江藤新平は、岩倉(樺太問題先決論)・大久保(戦争準備のための使節派遣延期論)の主張を批判。
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①岩倉(樺太問題先決論)批判:
「朝鮮への使節と〔樺太における〕魯人との関係は之れあるまじく」(両者は次元を異にする問題)と指摘。
「唐太(樺太)の事は民と民との儀につき、交際上談判にて相整うべく、なお新橋ステーションにて狂人英人を傷つけしと大同小異の事」(樺太での日露両国人間のトラブルは私人間の紛争であり、外交交渉で解決できる問題である=国家間の関係である朝鮮問題と同一次元で論じるわけにいかない。
次元が異なる両者を混同している樺太問題先決諭は、朝鮮使節延期の理由たりえない)と、岩倉の論理を批判。
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②、岩倉・大久保(戦争準備のための使節派遣延期論)批判:
朝鮮が「野蛮」であり戦争は不可避と信じるのであれば、むしろ「討鮮の名義十分につき、西郷の不服を御顧み之れなく使節御止め、即今より直に討鮮御決定、其の運び之れあり侯わは、是は又一条の道理にて御座候」(西郷の不満を無視してでも使節派遣など中止して開戦を決定し準備に着手するはうが話の筋が通る)と論理矛盾を指摘。開戦を決定するほうが「是は叉一条の道理」であると喝破。
逆にいえば、延期するにせよ、使節派遣を想定しているからには、実は朝鮮の「野蛮」と使節殺害を本心では信じていないのではないか、とその論理の弱点を衝く。
(江藤は論理矛盾を衝いたのであって、征韓論を積極的に主張した訳ではない)
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江藤は、重要案件をいつまでも宙に浮かしておく事は、三条・岩倉の「御威権に相欠け」るだけでなく、「朝廷の御威権」にもかかわるだろうと警告。

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夕刻、大隈が横浜で伊藤博文とともに外国人と会う約束があるというので中座しようとする。
西郷は、大隈を後ろからつかまえて、こんな重要な閣議を、外国人との約束ぐらいで去ろうとするのはもってのほかと一喝、大隈はしかたなく電報を打で破約を詫びるはめになったという(煙山専太郎『征韓論実相』、明治40年刊)。
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三条と岩倉は、この日に議事を決裁せず、翌15日の閣議まで結論を持ちこす。
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10月14日
・臨時裁判所、開廷。司法省(旧九条道孝邸)。非公開。参座9人にも守秘義務。
木戸は筆頭参座土方久元(土佐)に「御直訴」を送る。夜、土方は、返事で、司法省と参座に対立があると報告。木戸は土方に激励の返書を送る。
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10月14日
・神武天皇即位日を紀元節と称し、2月11日とする。
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「★一葉インデックス」をご参照下さい。
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