2012年5月16日水曜日

昭和17年(1942)5月18日 「脚気の疑あり・・・。 先月來市中に野菜果實殆なく澤庵漬さへロにすること稀になりたり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 北の丸公園 2012-05-14
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昭和17年(1942)
5月14日
五月十四日。晴。上海より歸航の商船又一艘撃沈せられし由。
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5月15日
五月十五日。晴。窪ふじ子來訪。夜淺草散歩。
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5月16日
五月十六日。晴。高橋邦太郎氏に逢ふ。佛領印度より歸來せしなり。
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5月17日
・五月十七日 日曜日 五叟來話。晡下雨。
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5月18日
五月十八日。晴。晡下士州橋に至る。診察を請ふに脚気の疑ありとて注射をなす。
先月來市中に野菜果實殆なく澤庵漬さへロにすること稀になりたり。脚疾の發せしはこれが為なりと云。夜ふけてより雨。
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5月19日
五月十九日、雨やまず風また寒し。夜金兵衛に飰す。偶然清潭三升二子の來るに逢ふ。
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5月20日
五月二十日。今日も雨。午後大工勇之助來る。夜金兵衛にて高橋邦太郎氏に逢ふ。歸途雨始で霽る。
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5月21日
五月廿一日。風邪。夜雨。
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5月22日
五月廿二日。晴。夜淺草を歩む。
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5月23日
五月廿三日。晴。薫風初て颯爽たり。椎の落葉雨の如し。午後土州橋に至り脚気注射をなす。
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5月24日
・五月廿四日 日曜日 晴、淺草漫歩。半月佳し。
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5月25日
五月廿五日。晴。紫陽花さきはじむ、午後木戸氏來訪。
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5月26日
五月廿六日。晴。銀座淺草散歩。
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5月27日
・五月廿七日。午後驟雨。夜空霽れて月よし。
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5月28日
五月廿八日。晴。谷口怙寂子來訪。深夜腹痛下痢。
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5月29日
・五月廿九日。晴。午後土州橋より向嶋に至り薄暮芝口に飰す。
(欄外墨書)與謝野晶子歿
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5月30日
五月三十日。晴。寫眞現像。
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5月31日
・五月卅一日。晴又陰。夜金兵衛にて樋田歌川大野の諸氏に逢ふ 日曜日
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後世、仮にも「文明批評家」と謂われる永井荷風の日記が見ての通りである。
見事な、世情、「紅旗征戎吾事ニ非ズ。」ぶりである。


加えて脚気やら持病の腹痛やら・・・。


その割には、日付けの頭の「・」が多い。
半月に五回だ。
言うことないので、シモネタで突っ込むしかない。
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5月29日、与謝野晶子が63歳で没する。

晶子は、この年1月4日、狭心症の発作により容態が急変するが、徐々に回復していた。

晶子の最後の詠草は昭和17年の『冬柏』1月号に掲載された「峰の雲」。
中に四男昱(いく)の出征を詠じた歌がある。

日の本の大宰相も病むわれも同じ涙す大き詔書に

水軍の大尉となりてわが四郎み軍(いくさ)に往く猛く戦へ

子が船の黒潮越えて戦はん日も甲斐なしや病ひする母

子が乗れるみ軍船のおとなひを待つにもあらず武運あれかし

戦(いくさ)ある太平洋の西南を思ひてわれは寒き夜を泣く
6月1日、青山斎場で葬儀。告別の詩の朗読は高村光太郎、挽歌は堀口大学。

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