2012年9月18日火曜日

1756年(宝暦6) 7年戦争始まる 徳島藍玉一揆(五社宮騒動) 【モーツアルト0歳】

東京 北の丸公園
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1756年(宝暦6)
7月
・本居宣長(27)、京都遊学中、「古事記」購入。価格は「先代旧事本紀」と共で10匁2分。この月「日本書紀」読了。
翌年、松坂に帰郷。
宣長は、和歌の根源に研究し次第に上代への憧憬をつのらせる。
この頃、賀茂真淵の「冠辞考」(「万葉集」の「枕詞」(冠辞)の辞典、古代研究の方法・理念にも触れる)を借りて読むが、この序には「古事記、日本紀に同じく有ことをは古事記を挙つ、古事記はまことのふみ也、紀はから文に似たらんとつとめ書つれば、訓におきて人のおもひまどふ事もまじれば也、されど紀にてことわり明らけきをば紀を先とせり、旧事紀は後につくれるものにて、古意ならぬ事おほきふみなればとらず」(序附言) とある(「古事記」が真実の書であると述べる)。
宣長は、宝暦11年3月、「阿毎莵知弁」で、「日本書紀」「先代旧事本紀」「古事記」を比較し「『古事記』は真実」との真淵の意見を検証。
宝暦13年(1763)5月25日、宣長(34)と江戸の国学者賀茂真淵と対面(松坂の一夜)。
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・モーツアルト父ヨハン・ゲオルク・レオポルトの書いた「ヴァイオリン教程」、故郷アウクスブルクの音楽出版者ヨハン・ヤコブ・ロッターにより委託販売。
すぐに売り切れるほどヴァイオリン演奏法の名著として有名。各国語に翻訳される。
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7月4日
・オスマン朝首都イスタンブールで大火事。まる2日間燃え続ける
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8月14日
・フレンチ・インディアン戦争。フランス軍、ニューヨーク、オスウェゴ砦を破壊。
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8月28日
7年戦争始る(第3次シュレジエン戦争)
オーストリアのマリア・テレジア、王位継承戦争の失地回復(シュレジエン奪回)を図りプロイセン・イギリスと戦う。オーストリアをロシア・フランスが援助(マリア・テレジアはフランスとの長年の対立関係を解消)。
新大陸では並行して英仏間のフレンチ・インディアン戦争(1755年9月開戦)。
スペインは当初は中立(1762年オーストリア側に参戦)。

この日、プロイセン王国が公式には中立のザクセン公国に宣戦布告し、フリードリッヒ2世(大王)がザクセンに侵入。
フリードリッヒ2世はオーストリアの開戦意図を察知し、ザクセンの兵站基地化を狙い先制攻撃に出た。

戦争の帰着
オーストリアがフランスと同盟を結んだ外交革命、400万対8,000万と言う圧倒的な人口差などで当初はプロイセンを圧倒。
しかし、プロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)の戦争指導、ロシア・エリザヴェータ女帝歿によるロシアの離反により、戦局は打開、イギリス・プロイセン側に有利に帰着した。
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9月7日
・郡上藩藩主金森頼錦、参勤交代で帰国(郡上に7ヶ月間滞在し、翌年4月江戸へ。)
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9月9日
・7年戦争。ドレスデン開城。アウグスト3世の宮廷は亡命、ザクセン軍はピルナに後退し包囲される(ピルナ攻囲戦)。
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9月16日
・この日~翌日、近畿、濃尾地方で暴風雨。淀川や紀ノ川が氾濫。
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10月1日
・7年戦争。プロイセン軍、ロボジッツの戦いでザクセン・オーストリア軍を撃破。
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10月4日
・仮名手本忠臣蔵の浄瑠璃作者竹田出雲、没
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10月15日
・プロイセン軍、ビルナでザクセン降伏させる。
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10月24日
・郡上一揆。この月10月12日~19日、駕籠訴人の願いが一部聞き入れられ、入牢者の大方が釈放される。
この月、村方三役代表各10人計30人(三筋)が吟味のため江戸へ呼び出され、24日、駕籠訴人5人と村方三役30人が幕府評定所へ呼び出され双方対決する形で吟味される。
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11月
・藍玉一揆(五社宮騒動)
阿波徳島藩の藍専売制の実施と、藍製造業者(藍玉師)の暴利に対する藍作農民の一揆。
この一揆は、享保18年(1733)の「藍方御用場」開設、葉藍の取引に対して代金の2歩を徴収する「葉藍四歩懸」の新設を契機とし、宝暦4年(1754)の「玉師株」(藍師株)の制定が直接の引き金になった。

この一揆により、藩は藍政策の転換を余儀なくされ、宝暦10年(1760)には「藍方御用場」は廃止され、「葉藍四歩懸」、「玉師株」も撤廃された。

百姓たちは、藩当局に対して、嘆願をくり返したが、財政見通しをこれに頼って得ようとする当局は、この嘆願を聞き入れない。
11月16日夜、百姓たちは高原村の王子権現の森に集まった。
この集会の反響は、当然に諸方の村々に伝わり、檄文が書かれ、28日を期しての蜂起計画となった。
しかし、檄文が藩主側の手に渡り、首謀者が見つかって、蜂起は挫折。
主謀者京右衛門等5人の代表者が鮎喰河原で礫の刑に処せられた。

だが、処刑された首謀者たちの態度の立派さから、そのままに放置しておくならばさらに重大な危機を呼び起こすことを知った藩主は、ついに藍玉株座の撤廃を決めた。

藩の専売政策と対立する百姓一揆は、この宝暦以後の特色でもある。
商品生産の展開を巡って、一揆の頻度は多く、闘いも激しくなってゆく。
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・福井藩で大風。十八ヶ浦へ大波が打ち上げ、家居・道橋・田畑に被害。丹生郡厨浦では波除堤が崩れ、塩浜92ヶ所のうち85ヶ所が押し流され荒地となり、桶や手桶などの道具も被害を受け、坂井郡白方村では田畑や家を囲っていた垣が吹き飛ばされ6軒が半潰となる
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・京都所司代、垂加神道家竹内式部に対して公家出入差し控えを警告
垂加神道:天地開闢の神の道と天皇の徳とが唯一無二のものであるとする尊王論の色彩の強いもの。
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・イギリス、ニューカースル首相辞任。ピット政権(名目上はデヴォンシア首相)成立。
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11月1日
・ジャコモ・カサノヴァ、ビオンビから逃亡。
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11月23日
・大学火事。江戸麹町八代洲河岸儒者大学頭林信充(のぶみつ、榴岡りゆうこう)邸より出火、大名小路・数奇屋町・木挽町まで焼失、さらに築地より出火、西本願寺地内十五ヵ寺・小田原町まで焼失、さらに青山権太原六道の辻より出火、三田辺りまで焼失、大学火事と呼ばれる。
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