2013年1月29日火曜日

一定条件下の体罰は必要 殴るのにも技術がいる(産経編集委員)。 石原慎太郎&櫻井よしこで「体罰は教育♡」

YAHOOニュース
一定条件下の体罰は必要 殴るのにも技術がいる
産経新聞 1月27日(日)12時39分配信

 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部の主将だった2年生が顧問教師の体罰後に自殺したことで、評論家やジャーナリストらの多くが体罰の全面禁止を主張している。大阪市の橋下徹市長も「あらゆる体罰禁止」を打ち出している。国も各自治体も体罰の実態調査に乗り出している。

 生徒の自殺は痛ましい。顧問教師は、連日殴ったり、数十発殴ったり、唇を切ったり、「殴られてもええんやな」と発言していたという。これは明らかに教育の範囲を超えている。生徒はおびえ、教師と生徒の信頼関係は崩れていたとしか思えない。だから自殺してしまったのだろう。

 こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。それはどのような条件か。

 まず、対象を故意行為に限るべきだということ。故意行為とはわざと行うことである。サボる、ズルをする、卑怯(ひきょう)な行為をする。責任を転嫁する、違法、不法行為をする-などである。みなが掃除をしているのにさぼったり、たばこをすったり、万引をしたり、といった行為に対して体罰を行うことは意味がある。ねじれた心を正すためである。

 もうひとつは暴力を振るう生徒に対しての体罰である。学校教育法では体罰が禁止されているため、生徒に暴力を振るわれても、教師は逃げるしか方法がなく、正当防衛行為すらできない。殴られた教師は泣き寝入りである。暴力生徒に対して、殴られる痛みを教えることは必要である。

 逆に、まじめに、一生懸命やっている者に体罰を加えることは何の意味ももたない。体罰を加えても、技能が向上したり、体力が充実したりしないからである。

 それと大事なことは、体罰は1発に限ることである。暴力を振るうと興奮して暴力をやめられなくなる人がいる。顧問教師はそのたぐいの人ではなかろうか。不法行為があったとしても、何発も殴っていいことはない。けがをさせてもならない。殴ってけがをさせるような者は殴る資格がない。殴るのにも技術がいる。

 こう考えると、かの顧問教師の体罰は、体罰ではなく単なる暴力であることが分かる。

 教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない。その場合、体罰はむしろ有効である。だから、体罰の全否定には反対である。(編集委員 大野敏明)


和田浩明/Hiroaki Wada ‏@spearsden
「一定条件下の体罰は必要 殴るのにも技術がいる 」まあ、これはいわゆる持論の展開だと思うが、このひと、これだけ自信を持って書けるというのは、日常的にやってんのかね、と邪推したくなる。 http://bit.ly/WbTxkJ 

3時間 Sakino Takahashi ‏@sakinotk
あぁ産経編集委員さま RT @Yosyan2: 「体罰は1発に限ることである」「教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130127-00000522-san-soci …) / 信頼関係があるとさえ自分が思えば、一発殴っても免責と言う主張で宜しいのでしょうか?


どうも「産経」が好きな人たちは体罰派らしい。
ちょっと前の話だけど・・・(↓)

石原慎太郎&櫻井よしこ
「体罰は教育♡」
「いかに多くの罰を受けたかが優しさを決めます」
「人のことを思いやる力をつけるには、体罰は最も有効です」











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