2013年10月9日水曜日

1775年(安永4)1月~4月 ボヘミア1775年の農奴の大蜂起 モーツアルト「ラ・フィンタ・センブリチェ」 アメリカ独立戦争開始(レキシントン・コンコードの戦い) 【モーツアルト19歳】

江戸城(皇居)東御苑 2013-10-03
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1775年(安永4)
この年
・灯油原料の統制。
「一、安永四乙辰年、布令ありて江戸市街に拾戸、各村に四拾戸の綿実仲買を定め、関東に産出する綿実は、悉く仲買人に売渡して、他にこれを販売するを禁じたり。」(「日本財政経済史料」)。
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・フランス、陸軍大臣サン・ジェルマン伯爵は、4代に及ぶ貴族でなければ、以後は士官になれないと決定。
同年、海軍大臣サルティーヌも同様決定を行う。
ブルジョアジー層は不満。
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・ゲーテ(26)、銀行家娘リリーを知り愛し合い婚約するが訣別。
「湖上」他の名詩を作る。戯曲「シュテラ」執筆、「エグモント」の稿を起こす。
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・ピエール・オーギュスタン・カロンド・ボーマルシェ「セヴィリャの理髪師」刊行。
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この年初め
・モーツアルト(19)、メヌエットヘ長調(K.168a)、クラヴィーア・ソナタハ長調(K.279(189d))。ヘ長調(K.280(189e))、変ロ長調(K.281(189f))、変ホ長調(K.282(189g))、ト長調(K.283(189h))、「偽りの女庭師」(K.196)、ファゴットとチェロのためのソナタ変ロ長調 (K.292(196c))、ファゴット協奏曲ヘ長調(K.Anh.230(196d))(散失)、オッフェルトリウム・デ・テンポーレ「ミゼリコルディアス・ドミニ(主の御憐れみを)」ニ短調(K.222(205a))作曲。
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1月
・ボヘミア1775年の農奴の大蜂起。
ナーホト領リティニェ郡治安判事アントニーン・ニーヴルト、秘密の「農民政府」(グベルノ)を組織。この年1月(か2月)、暴動始まる。
農奴の群れが東北と北チェコ地方からプラハへ向かって行進。
貴族の館を襲い、拷問台やさらし台を壊し、領主の役人たちに労役と農奴身分の廃止を強要。一部がフルメッツ・ナト・ツィドリノウの近くで皇帝軍に鎮圧され、幾つかの群はプラハ眼前で軍隊に追い払われる。反逆者7名処刑。

1775年の労役勅令。
1775年の刈入れ時、チェコやモラヴァで労役に反対する集団的抵抗。
これに対して新しい労役勅令が発布。これまでの領主の完全な恣意は制限され、農民の貧富の度合いに従い労役義務を査定するガイドラインも示され、労役の期間も調停される。
貴族たちは抵抗。
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1月2日
・イギリス、チャタムの和解演説。
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1月4日
・モーツアルト姉ナンネルル、ロービニヒ夫人・娘と共にミュンヘン到着。
5日予定の「偽りの女庭師」(K.196)初演が再び延期。
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1月12日
・モーツアルト父子3人で仮面舞踏会に行く。
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1月13日
・モーツアルト<ラ・フィンタ・センブリチェ> (K196)(序曲と3幕28曲)、ザルヴァトール劇場にて初演。ミュンヘン。
「天才のきらめく炎」(ショーベバルト)
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1月14日
・モーツアルトから母へ手紙。
「大変な成功で、…。まず第一に、劇場は大入り満員で、諦めて帰らなくてはならない人が沢山いました。 どのアリアの後でも必ず大喝采がわき起こって、『マエストロ万歳』が叫ばれました。 僕の向いにいらした選挙侯妃殿下も太后もブラボーと言われました」。
しかし、大成功にもかかわらず歌手の病気などもあり合計3回上演のみ。
モーツァルトの人気も長続きせず、謝肉祭の騒ぎが終る頃には、これといった成果もなく父子はザルツブルクに引き上げる。
ミュンヘンでの収穫は、フランス的なギャラント様式を知ったこと。
帰郷後も華美な音楽を作るようになる。
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2月
・衡専売権者守隋彦五郎、東三十三国の衡を調べる旨乞う
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・モーツアルト、タデウス・ヴォン・デュルニッツ男爵の依頼により、クラヴィーア・ソナタニ長調(デュルニッツ)(K.284(205b))作曲(計6曲)。
チェンバロに代わってフォルテピアノという楽器が登場し始める頃の曲で、その楽器の可能性に対する大きな興味から生まれた。
2年後のアウクスブルクからパリへの旅行でも、この6曲をよく演奏。
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2月1日
・イギリス、チャタムの和解案却下。
9日、議会、「マサチューセッツは反乱状態にある」とする法案が通過。状況に応じて武力行使を許可。
27日、ノース政府の和解案可決。
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3月
・イギリス、サミュエル・ジョンソンの反アメリカのパンフレット「課税は専制にあらず:アメリカの会議の決議と奏上文に答える」。
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・イギリス議会、ニューイングランド通商制限法、通過。
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3月5日
・モーツアルト、オッフェルトリウム<ミゼリコルディアス・ドミニ(主の御憐れみを)> (K222=K205a)演奏
6日、モーツアルト一家、ミュンヘン出発。ヴァッサーブルク到着。
7日、ザルツブルク到着。
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3月17日
・インド、第1次マラーター戦争が始まる。
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3月19日
・イギリス、バーク帰国するフランクリンに最後の挨拶。
20日、フランクリン、フィラデルフィアに向けて帰国。
5月5日、到着。

ベンジャミン・フランクリンは、イギリス・アメリカ間の和平工作のためにイギリスに渡り、不人気なマサチューセッツ総督ハッチンソン解任嘆願書を枢密院に提出する意向だったが、ノース内閣法務長官アレグザンダー・ウェダバーンの猛攻にあう。嘆願書は却下され、郵便局長代理の職も追われる。
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3月22日
・イギリス、バークのアメリカ和解演説。
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3月23日
・北米、ヴァージニア議会、パトリック・ヘンリーの演説「自由を、しからずんば死を」。
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4月
・アメリカ最初の奴隷制反対協会、フランクリンの指導の下にフィラデルフィアに設立。
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・イギリス、南部植民地通商制限法。
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4月8日
・大野藩で「前代未聞の大火」(「未年大変」)。城下・城内まで殆ど灰燼に帰す。
囲籾4千俵焼失、類焼人の内困窮者3583に及ぶという。
復興に幕府から4千両を拝借、大工の他出を禁止するなどして昼夜兼行で事に当たる。
拝借金返済は、翌年から年に400両ずつ10年賦の約束で天明5年12月にようやく皆済するが、財政を大きく圧迫。
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4月11日
・ポーランド常設評議会設置
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4月19日
・アメリカ独立戦争開始
レキシントン・コンコードの戦い。
ゲイジ司令官率いるイギリスとマサチューセッツ軍700、コンコードに隠匿された軍需品を押収するため出動。
パーカー大尉の率いる独立派部隊とコンコード、レキシントンで本格的衝突。イギリス軍戦死73・負傷・行方不明200。アメリカ側戦死49・負傷39・不明5。
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4月23日
・イギリス、風景画家ターナー、誕生。
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4月23日
・モーツアルト、祝典オペラ「イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)」 (K208) 初演(序曲と2幕14曲)。
ザルツブルク宮廷。マリア・テレジアの末皇子マクシミリアン・フランツ大公のザルツブルク訪問歓迎用。(ザルツブルク大司教の依頼。劇場用セレナータ(演奏会形式のオペラ)。 
オペラ劇場のないザルツブルクでは本格的なオペラは上演できなかったので、宮廷の一室を劇場に見立て、歌手がそれらしい格好で簡単な身振りをつけて歌う軽いオペラが上演。 観客も役者もステージに見立てた台を囲むようにして周りに座った。
この序曲からシンフォニーK.213cを作る。
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4月24日
・モーツアルト、宮廷で演奏
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