2013年10月21日月曜日

寛徳2年(1045) 後朱雀天皇(37)、没。皇太弟の親仁親王(21)、即位(後冷泉天皇)。寛徳の荘園整理令。

田安門前の千鳥ヶ淵 2013-10-18
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寛徳2年(1045)
この年
・春、源義家(7歳)、石清水八幡宮に於いて元服。八幡太郎と号す。
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・イングランドエドワード懺悔王、ゴッドウィン伯娘エディス姫と結婚。ゴッドウィン伯および息子ハロルド伯権勢を掌握。
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・カヌート大王甥スヴェイン、ノルウェー王マグヌスに対しデンマークの独立を宣言。以後20年間の抗争に入る。
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・夏、ハラルド・ハードラーダがスウェーデンに入る
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・フランドル伯後継者ボードワン6世(位1067~1070)、皇帝ハインリヒ3世よりアンヴェルス・マルクを一時封与される。
1051年エノー伯エルマン未亡人リシルドゥと結婚、エノー伯領を併合。
(フランドル伯当主はボードワン5世(リールのボードワン)、位1035~1067)
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・ナバーラ王(パンプローナ王)ガルシーア・サンチェス3世(位1035~1054)、カラオーラを攻略。
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・ミラノ大司教アリベルト、没(位1018/1019 ~ 1045)。
従来ミラノ大司教は大貴族出身者が就任していたが、ハインリヒ3世、ミラノ大司教に下位封臣身分出身ヴィドーを任命。
ハインリヒ3世、イタリアでも平和と協調の招来者として聖俗の各層から期待されて治世をスタート。
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・ノルマン人の東ローマ領アプーリアへの征服事業の状況。
ターラント近くでアルギュロスに敗戦。ボヴィーノを占領。レッチェも手に入れる。
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・アヴェルサ伯アスケッティヌス、没(ライヌルフス甥、位1044~1045)。
サレルノ候グアイマリウス5世、家臣ルドルフをアヴェルサ伯任命(位1045)。
ノルマンが憤り、ライヌルフス甥ライヌルフス2世をアヴェルサ伯後継者に選出。
グアイマリウス5世、ライヌルフス2世を捕らえサレルノの牢に投獄。
ライヌルフス2世は脱獄し、サレルノ候仇敵カープア候パンドゥルフス4世に助けを求める。
1045年叉は1046年ライヌルフス2世がアヴェルサ奪回(位1045~1048間)。
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・スコットランド、マクベス王、ダンケルドの戦いでダンカン1世父・アサル領主クリナンを破る。クリナン殺害。
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1月18日
・後朱雀天皇(37)、没(誕生:寛弘6(1009)/11/26)。
親仁親王(21、父は後朱雀天皇、母は道長娘嬉子、後冷泉天皇)が受禅。4月即位。
章子内親王(後一条天皇皇女)、教通の娘歓子、ようやく長じた頼通の娘寛子が次々に入内するが、結局皇子は誕生しなかった。

尊仁親王(父は後朱雀天皇・母は禎子内親王、のち後三条天皇)が皇太子となる。
頼通は摂関家と疎遠な尊仁親王を皇太子にする事に反対するが、後朱雀天皇が強く希望し、権大納言藤原能信の働きで、尊仁親王が皇太子になる。
藤原能信は、道長の子であるが、頼通・教通とは母が違い、摂関家の傍流であり、主流派に抵抗する。
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1月20日
・教皇シルヴェステル3世、即位(クレスケント家、位1045)。
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2月20日
・トゥスコラーニ家、教皇シルヴェステル3世を追放。
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4月
・皇太弟の親仁親王(21)、即位(後冷泉天皇)。
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・春、神聖ローマ帝国ハインリヒ3世、ハンガリーに赴き、ペーター(位1038~1041、1045~1046)を王位に復帰させ、ペーターにドイツ王の封主権を承認させる。
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4月10日
・教皇ベネディクトゥス9世(29)、復帰(2回目、位1032~1044、1045、1047~1048)。
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5月10日
・教皇グレゴリウス6世、即位(ピエルレオーネ家、位1045~1046)。
教皇ベネディクトゥス9世、ペテロ献金のあがり全てをベネディクトゥス9世に支払う条件で教皇座を教皇グレゴリウス6世に売却
(6月29日聖ペテロ・聖パウロの祝日に各世帯主が教皇庁に1ペニー献金をさせられる)。

<経緯>
教皇ベネディクトゥス9世、ジラール・ド・サクソンと結婚しようとして、父のジラール・ド・サクソンも教皇退位すればとの条件で結婚を承諾。
ベネディクトゥス9世、名付け親ラテラノ教会首席司祭ヨハネス・グラティアヌスに相談。
ヨハネス・グラティアヌス、自ら教皇即位を申し出る。
ベネディクトゥス9世、ジラール・ド・サクソンの娘に拒絶され教皇復帰画策、3人(シルヴェステル3世、グレゴリウス6世、ベネディクトゥス9世)が教皇を争う。
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7月
・ハインリヒ3世、オーバーロートリンゲン大公ゴットフリート(髭)の反乱鎮圧(1044~1045)。
ゴットフリート(髭)、降服、拘禁(1045年7月~1046年5月)。
ハインリヒ3世、エッツォーネン家オットーをシュヴァーベン大公に任命(位1045~1047)。
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8月15日
・千葉常兼(良文流平氏7代当主)、良文流平氏6代当主・平常長の長男として上総国大椎(千葉市緑区大椎)で誕生。
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10月
・東大寺、若狭に封戸の租穀200石を納めるよう牒する。また、若狭が納めた封戸調庸雑物の返抄を出す。
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10月21日
・寛徳の荘園整理令。
長久の荘園整理令を受けて、前司(前任の国司)任中以後の新設荘園を停止。
(それ以前を公認)
地方豪族(在庁官人など)の所領・新開発地を別名として公認。
国衙領への官物賦課率を官物率法として公定。
臨時雑役を整理。

その後天喜3年(1055)3月の荘園整理令は、寛徳令以後の荘園を停止する。
これらの整理令は、いずれも内裏造営と関係があったようで、造内裏役をはじめ一国平均に雑役を課すために、国司が荘園整理を申請したもので、荘園と公領が確定された。
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12月
・年末、叉は1046年初頭、メルフィのノルマン人首領鉄腕ギョーム(ウィレルムス)、没。弟ドゥロゴ(ドロゴ)、即位(位1046~1051、1047年アプーリア公に即位)。
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