2013年10月5日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(7)「フエンデトードス村」(2) 「アラゴンの風という風がここで渦巻く」

ゴヤ『戦争の参加』12番「そのために生まれてきた」
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1960年代初め、この村は廃屋ばかりかと思われた
「・・・
一九六〇年代のはじめの頃に、最初にこの村を訪れたときは、この村は全体にまったくの廃屋ばかりかと思われたものであった。・・・。

ゴヤの生家・・・

扉がひらくと、すぐに室内である。・・・
扉は、あけ放っておかなければならない。でないと、内部は其暗で、階段を二段下りるときに、早速ころんでしまわなければならなくなる。縦に長い、洞窟のような家である。積みあげた黄色っぽい石の肌が、漆喰の塗りがはげてしまってむき出しになっていた。地階の奥の方に、もう一段下って台所があった。」

「台所といっても、温突(オンドル)風な炉だけしかなくて、その両側に低い腰掛けか、寝台様 - といっても、これはしんだいというよりも、ねだいと言った方がよいであろう - のものがあり、羊の毛皮がしいてある。ここで火を燃やして食い物をつくり、冬は、この火にあたためられて両側のねだいで寝るのか、と思うと、もう寒さに背中がぞくっとして来るような代物である。貧しさが身にしみて来る。流しや皿小鉢などの置き場のようなものは、ない。地階にゴヤ家用の砥馬のための部屋はあっても、便所もない。

夜は、せいぜいランプ一つと、この炉の火が唯一の明りであったであろう(私が最初に訪れたとき、この村に電気が来ていなかった)。」

1971年夏、三度目にこの村を訪れて、私はやはりびっくりしなければならなかった
「一九七一年の夏に、三度目にこの村を訪れて、私はやはりびっくりしなければならなかった。
この村にも、言うまでもなく電気は来ていて、村はずれにはこわれたトラクターが放ったらかしてあった。そうして村にはキャフェ・レストランが出来ていて、家々の外壁には草花の鉢が飾られていた。・・・」

「ゴヤの旧家そのものも、きれいに漆喰が塗りつけられて、ゴヤ家そのものの向って左隣りの家は、その名も Maja と称されるレストランに変り、右隣りは、ゴヤの作品の、まことに拙い模写や怖るべき模造品を集めた美術館(!)の如きものと化していた。フエンデトードス村にも、二〇世紀の風は吹き入って来て、観光名物の一つとなって来たのである。・・・」

アラゴンの風という風がここで渦巻く
しかし、ゴヤの旧家の「室内はこざっぱりとしたけれども、この窓からのぞまれる外の景観は、これまた少年ゴヤが見ていたものと、おそらく何の変化もないであろうと思われる。

・・・、やはり荒涼たるアラゴンの荒野と丘陵がひろがっている。

この窓からは見えないけれども、村から遠からぬところの山上に、ローマ時代の堡塁、従って次の時代にはゴート族のとりでになり、またモーロ人にもうけつがれたとりでの廃墟がある。
ここにも、スペインの歴史は、裸山の山上にむき出しの姿で、廃墟として露出しているのである。」

「村は前記ベルチーテ市と、ビリャヌエーバ・デ・ウエルバ町との中間にあって、堡塁、あるいは見張りの塔をたてるには、戦略的に恰好の土地なのであった。海抜の高さは、先にも述べたように八〇〇メートルはあり、従って、この村は、村人のことばによれば「アラゴンの風という風がここで渦巻く」といわれる、夏は熱風、冬は寒風の吹きすさぶ、貧寒たる地に位置した。」

フエンデトードス村:豊かな地下水と水売り
「ところで井戸といえば、この村の名、Fuendetodos は、Fuente de Todos (すべての人々の泉)のつづまったものであった。

すべてに貧しく寒々としているなかで、この村にだけ、質もよく、夏でも冷えびえとした、豊かな地下水があった。年中雨もほとんど降らず川にも水はなかったが、地下水だけが奇蹟的に豊かだったのである。戦略的な位置ということよりも、おそらく人々が、ローマ時代にも、ゴート族の時代にも、またモーロ人の時代にも、ここに住みついたについては、この水がもっとも重要な理由であったであろう。村の領主は、 Fuentes (複数の泉)伯爵と称されていた。

ということは、アラゴンの砂漠に近い地域にあって、水は、おそらくは何物よりも貴重なものであった、土地そのものよりも貴重であったであろう、泉、井戸の所有者は、それだけで一財産をもっていたことになる。附近の町、ベルチーテ、ビリャヌエーバ、あるいは市(いち)のたつカリニエーナの町などへ水を売りに行く。ベラスケスの傑作『セピーリャの水売り』を思い出して頂きたい。あるいは冬期に降った雪を窪地や、穴倉の氷室にためこんで麦ワラで空気を遮断しておいて、これを春から夏にかけて附近の町は言うまでもなく、サラゴーサ市へま売りに出掛けるのが、この村の人々の主たる仕事であったのである。」
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