2015年1月6日火曜日

寛治8/嘉保元年(1094) 源義綱、出羽の賊(平師妙、師季)の首級を携えて入京。 この功により従四位下に叙任され、陸奥守から美濃守に転じる。 藤原師実、関白辞職。息子の師通、関白就任。

雪の京都御苑 2015-01-01
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寛治8/嘉保元年(1094)
この年
・イングランド王ウイリアム2世、何人もの修道院長を任命。
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・ノルマンディー公ロベール、フランス王フィリップ1世の支援でノルマンディーのウィリアム2世拠点を攻撃。
ウィリアム2世、援軍1万余をノルマンディーに派遣。
3男ヘンリーもウィリアム2世の支援でノルマンディー西部に侵攻。
フィリップ1世はウェールズを支援し、イギリス侵攻を促す。
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・アッバス朝アル・ムクタディ、没(位1075~1094)。アル・ムスタズヒル、即位(位1094~1118)。 
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・エジプト宰相アル・アフダル、暗殺教団の蜂起鎮圧。
暗殺教団はシリアに拠点を築くべく説教者を送込み、アレッポのリドワーン王の信頼を得る。カーディーのイブン・アル・ハシャーブは、暗殺教団の活動禁止を主張。
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・ムラービト朝、バダホース王国を併合。
バダホース王ムタワッキル、拷問死。カスティーリャ王アルフォンソ6世、バダホース王国併合もムタワッキル拷問死も救えず。
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・ムラービト朝、リスボン征服。
ガリシア総督兼ポルトガル総督アムー伯レーモン(カスティーリャ王アルフォンソ6世娘ウラーカの夫)、ムラービト朝に敗北、リスボン喪失。
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・アラゴン・ナバーラ王サンチョ・ラミーレス、サラゴーサ王国ウエスカ包囲開始(~1096)、包囲中に没。
息子ペドロ1世、即位(位~1104)。ペドロ1世、アキテーヌ公ギョーム8世(1056~1086、アリエノール曾祖父)娘と結婚。
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・ヴェネツィア、サンマルコ寺院完成。
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1月18日
・伯耆大山寺の地蔵会の頭役に関する内紛。この日、西明院と中門院・南光院の間に合戦。 前年、内紛が起り、天台座主は西明院を支持し、西明院と中門院・南光院の間に合戦。
三院は和議につき上裁を仰ぐため、3月22日神輿を奉じて大衆600余が上洛。
朝廷は大衆を山崎に防ぎ、衆徒は神輿をおいて朝廷に訴える。
この時、中門院閼伽井房永命が関白師通の供先を乱し狼藉、一同は山崎の関戸宮の拝殿に神輿を捨て置いて逃亡。顛末は不明。 
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1月20日
・この頃大雪。美濃・尾張・北陸道の積雪が「数丈におよぶ」という(「中右記」)。
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2月22日
・正六位上三善為倫を若狭掾に任じる。
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3月8日
・源義綱、出羽の賊(平師妙、師季)の首級を携えて入京。
この功により義綱、従四位下に叙せられ、陸奥守から美濃守に転じる。(『中右記』寛治8年3月8日条)
この年、源義綱、美濃の役夫工使が、源国房郎党に辱められた事件で、犯人を召し取る命に従わず。再度、犯人逮捕の宣旨が出される。
この師妙は、前九年合戦に参戦した平国妙の一族と考えられる。
この時、義綱自身は下向せず、郎等の「字藤別当(とうのべつとう)」を派遣し賊徒を捕らえたという。藤別当が誰かは不明だが、追捕に際し奥羽の藤原清衡の支援を受けたことは疑いない。陸奥守として泥沼の私合戦を惹起した義家と、鮮やかに賊徒を鎮圧して治安を回復した義綱。両者の明暗ははっきりした。
3月8日、義綱は賊徒の首を携えて入京。京の人々は、彼の一行を熱狂のうちに迎えた。
宗忠は『中右記』に「武勇の威、自ずと四海に満つる」と絶賛。義綱はその日のうちに従四位上に叙され、位階で兄義家と肩を並べた。
翌日、父師実の譲渡で息子師通が関白に就任することになっていて、摂関家に近侍する義綱の賊徒追討は、摂関家の代替わりを祝福し、その権威を増大させる意味をもっていた。
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3月8日
・藤原師実、関白辞職。
9日、藤原師通、関白就任、11日、氏長者となる。若狭守藤原行綱、印櫃を持参。越前守源清実、家司となる。
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閏3月8日
・「今日伯耆大山大衆三百人許り、院の陣に参ると云々。座主を憂へ申すに依るなり」、天台座主を訴える(中御門右大臣藤原宗忠の日記「中右記」同日条)。
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4月25日
・美作の新立荘園を停止する。
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5月
・スコットランド、故マルカム3世長男ダンカン(34)、王位奪還挙兵。イングランド・ウィリアム2世の支援。
伯父ドナルド3世(61、マルカム3世弟)を破り、ダンカン2世として即位。イングランド王に臣従。(ドナルド3世、ダンカン2世を殺害し再度即位)。
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5月15日
・エル・シド、バレンシアを占領(714年イスラム教徒により征服)。19ヶ月包囲後。統治期間8年間。
1099年エル・シド没。
1102年エル・シド妻ヒメーナ・ディーアス、バレンシアより撤退(イスラム教徒が奪還)。
1238年アラゴン・カタルーニャ連合王国が征服。
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5月25日
・遼と私貿易を行った前太宰権帥藤原伊房(これふさ、65)ら、処罰。
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6月5日
・地震あり。
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6月13日
・越前権守大江匡房を権中納言に任じる。
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8月1日
・関白藤原師通、越前の重ねての解を内覧(「中右記」)。
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8月5日
・地震あり。
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8月17日
・白河上皇を呪咀したことにより、首謀者源惟清(蔵人)は伊豆に、弟顕清は越前に、筑後守源仲宗(惟清の父)は周防(讃岐?)に、仲清は阿波に、盛清(蔵人)は信濃更級郡村上郷に、配流。
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9月5日
・源顕房(58)、赤痢により六条の自邸で没。従一位。「村上源氏」の源流・源師房の次男。顕房の嫡男雅実(36、1058~1126)は、権大納言兼右近衛大将。以降、父祖をしのぐ速さで昇進。保安3(1122)年12月、従一位右大臣より太政大臣に昇る。源氏の太政大臣補任の初例。
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9月23日
・越前の勘出が議題になる(「中右記」)。
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9月28日
・藤原宗忠、権中納言藤原通俊と会い越前官使のことで意見を聞く(「中右記」)。
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10月22日
・清水寺の再建、成る。
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10月27日
・地震あり。
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11月
・スコットランド、ドナルド・ベイン(元のドナルド3世)、ダンカン2世(故マルカム3世長男ダンカン)を殺害、王位に返り咲く。ダンカン2世異母弟エドマンドと共同統治。
ケルト的反動。マルカム3世とマーガレットの遺児5名、内乱を避けイングランド王に頼る。
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11月13日
・長谷寺、焼失。
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12月
・クアルテの戦い。
エル・シド、バレンシアより打って出てムラービト朝に勝利(エル・シッド、11世紀に野戦でムラービト朝を破った唯一のキリスト教徒指導者)。 
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12月8日
・藤原宗忠、越前役夫工作料代賃のことを関白藤原師通に報告(「中右記」)。
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12月15日
・「嘉保」に改元。
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12月29日
・大江公仲を隠岐に流す。
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