2015年9月27日日曜日

明治38年(1905)6月11日~30日 ロシア領樺太侵攻作戦裁可 在米ロシア人自由協会代表ニコライ・ラッセルの講演 週刊『直言』第20号発行(竹久夢二の挿絵掲載) 世界産業労働者団(IWW)シカゴで結成 黒海艦隊巡洋艦「ポチョムキン号」水兵反乱

実りの秋 横浜 2015-09-24
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明治38年(1905)
6月11日
・東大教授「バイカル博士」戸水寛人、仲間と講和条件について話合う。
この事を知った文相久保田譲は東大総長山川健次郎に対し、教授らに慎重な行動をとらせるよう厳命。
13日、戸水らは山川総長より注意を受ける。
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6月11日
・ニューヨーク・シカゴ間を18時間で走る快速電車運転開始。
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6月12日
・御前10時40分、御前会議。東郷大将「日本海海戦戦闘報告」奏上。
午後1時40分、首脳会議。首相・外相・陸相・海相・参謀総長・軍令部長。樺太・北韓作戦中止決定。参謀次長長岡外史少将は、満州軍総参謀長児玉大将をたてて、作戦実施の再度の根回しを行う。
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6月12日
・ロシア、セオドア・ルーズベルト米大統領の日露講和勧告受諾。
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6月13日
・京都の東本願寺、前宗務総長を財政紊乱問題で除名。
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6月14日
・満州軍総参謀長児玉大将、参謀次長長岡外史少将に電報。講和談判を有利にするためのに積極作戦(樺太占領)が必要と力説。
15日、参謀総長山縣元帥・首相桂太郎・外相小村寿太郎・陸相寺内正毅中将・蔵相曾禰荒助が定例会議。児玉電報について会議。小村は児玉の進言を支持。
結果、樺太占領作戦・北韓軍の進軍を決定(海軍の反対で北韓作戦は没になる)。
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6月14日
・数紙に「バイカル博士」戸水寛人らの決議した講和の最小条件「賠償金30億円、樺太・カムチャッカ・沿海州の全部の割譲」掲載。決議参加者は「戸水寛人、岡田朝太郎、中村進午、渡部遯吾、松浦厚、渡部千冬ほか数氏」。
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6月17日
・夜、天皇、ロシア領樺太侵攻作戦、裁可。
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6月17日
・在米ロシア人自由協会代表ニコライ・ラッセル、麹町富士見軒での経済学協会例会で講演。
23日、習志野の俘虜収容所で演説。現政府打倒・立憲政体実現を訴える。

ラッセルは、在日ロシア兵俘虜の間に新聞書籍を配布し自由思想を鼓吹する目的で来日。彼は米国に帰化したロシア人で布哇(ハワイ)の上院議員だったこともあり、リョフ・デイチ(幸徳秋水訳『革命綺談 神愁鬼哭』の原著者)の旧友。

17日の講演では、諸種の実例を引用して「世界の富はすでに余裕あり、もし十九世紀が自然征服に費やされたとすれば二十世紀はまさに社会的、政治的改造のために費やさるべく、その最も重要な改革は富の分配であろう。世界平等の教育、平等の文明は各国民の精神的結合を実現し、次第に人類的大家族を形成せんとする傾向を示している。諸君は日本封建制度の消滅を実見した、まさに世界に来らんとする大封建制度の消滅に関しては、諸君は最良の審判者であろう」(大意)と述べた。論旨は明らかに社会主義的だが、この演説を掲げた『時事』、『日日』両新聞はその寓意を理解してのことかどうか。

23日の講演では、「今回の戦争はもとより武断派の頑迷に起因し、国民の利害に関係はない。諸君が戦闘に従ったのは祖国のためではなく、頑迷者輩の欲望の犠牲に供せられたに過ぎない。ロシアの為政者がなお反省しなければ、フィンランド、ポーランド、カフカーズ等はいずれ独立し、シベリアは列国に分割されるだろう。諸君が祖国将来の長計を想うならば、須(すべか)らく現政府を顚覆して立憲政体を実現しなければならぬ」と説く。
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6月18日
・週刊『直言』第20号発行。

この号より竹久夢二の挿絵掲載。明治40年の「日刊平民」まで継続。
この頃、竹久夢二は早稲田実業学生、白馬会の洋画研究所に通う。送金を止められ、葉書に絵を描いて生活費に充てる。早稲田学生岡栄一と小石川雑司が谷鬼子母神近くの農家に間借・自炊生活。しばらく、帰京した荒畑寒村を寄食させる。

社説「平和に急げ」(大要)
吾人は米国大統領の講和提議を正義、人道の美挙とするものではない。フィリッピンを掠奪した帝国主義アメリカは、今や羊皮を被って平和の提唱を試みたるに過ぎないからである。しかし今は、アメリカ帝国主義を批判すべき時ではない、日露両国民をこの凄惨な戦禍から救い出す機会を与えられたために、むしろ多少の謝意を表さなければならぬ。
両交戦国は平和法廷の訴訟人であって、判官となることは出来ない。実際上、戦勝国の要求が力をもつことは認めるが、しかし戦いに勝ったからといって、すべての主張を正しいとすることは非理である。開戦の正理は日露両国の主張であって、かくの如きは戦争の常であるから、勝敗によって正邪を分つことは太古蛮民の迷信を再現するにはかならない。しかるに日本の学者、論客、志士、政治家が講和の条件として、ロシアが満洲で支那から得ていた一切の利権を得ようというのは、ロシアの侵略主義政策を日本に継承せしめようとするにはかならない。
ロシアをして米国の提議に賛成せしめるのは、ロシア国内の革命運動の一大功績であって、もしロシアをして戦後ふたたび軍備拡張の暴挙に出でさせまいとするならば、是非ともロシア革命を成就させなければならぬ。顧みてわが国の世論を考えると、実に慚汗(ざんかん)背を潤おす感を禁じ得ない。日露両国の政府は小我を棄てて、速かに講和の堂に上るべきである。
それなら、講和に関するどんな世論が、『直言』記者に慚汗背を潤おさしめたのか。まず進歩党の講和条件は、
一 サガレン島(樺太)の割譲
二 ウラジウォストーク港の永久自由化
三 沿海州の漁業権獲得
四 東清鉄道の日本領有
五 満洲におけるロシア既得権の日本継承
六 償金二十億円の対日提供"

しかし、これなどはまだ軽い要求の方で、いわゆる大学七博士の条件となると、
一 償金三十億円
二 樺太、カムチャツカのみならず沿海州全部の割譲
三 遼東半島(支那)におけるロシアの既得権全部の譲渡
四 東清鉄道および其敷地の譲渡
五 シンガポール以東にあるロシア逃竄(とうざん)艦船の譲渡
六 満洲にあるロシアの鉱山その他の敷設物の譲渡
七 太平洋および日本海におけるロシア艦隊駐留の禁止
八 バイカル(シベリア)以東のロシア守備兵制限
九 ロシアは日本の承諾なくして、支那の土地に関する利権を得てはならぬ

さらに対露硬同志会の条件に至っては、
一 ウスリー沿海州(黒竜江右岸)および樺太の割譲
二 東清鉄道および満洲における租借地の譲渡
三 満洲における軍隊の撤退、一切の利権ならびに将来の発言権抛棄
四 償金三十億円
五 中立港に逃竄して武装解除したるロシア艦船の譲渡
六 黒竜江の通航および漁業権の獲得、ならびにプラゴウェシチェンスク、ストロイチンスクの開放

 「対露硬同志会の豪傑連と、彼の英雄的博士組との気焔の凄まじさ想ふべし。戦争の当初、野蛮なる敵愾心を煽動せんがためには、是等の英雄豪傑も亦甚だ必要なる道具なりしが、今や外交の舞台となりては、さすが政府も少々持余しの気味に見受けらるゝこそ笑止なれ」と、『直言』記者は冷笑している。
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6月18日
・ハンガリー、フェイエルヴァーリ・ゲーザ内閣。、~06/4/18。「近衛兵」内閣。
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6月20日
・『中学世界』増刊号に竹久夢二の投稿挿絵「筒井筒」が掲載(竹久美人画の登場)。
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6月20日
・講和全権に小村外相・高平公使が決定。
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6月21日
・この日付け『読売新聞』文芸欄、島崎藤村の企画する緑蔭叢書第一篇の「破戒」と、それに続けて出版する予定の第二篇の短篇集まで準備が出来たとのニュースが載る。
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6月21日
・仏、サルトル、誕生。
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6月25日
・黄興・宗教仁ら、東京で「二十一世紀之支那」発行。
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6月25日
・この日付けの幸徳秋水の獄中からの最後の堺利彦宛手紙書
出獄後の欲望(空想に過ぎないと言うが)を四つ話している。その一つは、「先ず米国に遊び、転じて欧洲に入り、中原に於ける同志の運動に参して淹留数年」をあげている。
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6月25日
・ハワイ、オーラア砂糖耕地会社の日本人労働者スト。耕地医師・診療所掃除人・通弁坂巻銃三郎の免職要求。翌日、収拾(抗議程度か?)。
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6月26日
・セオドア・ルーズベルト米大統領、ポーツマスを日露講和談判地に指定。
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6月27日
・シカゴ、世界産業労働者団(IWW)結成。
17団体36,200人。17団体代表59人出席。サンディカリズム傾向。
西部鉱山労働者連合ウィリアム・ヘイウッド、社会党委員長ユージン・デブス、社会労働党ダニエル・デ・レオン、アメリカ鉱山労働者連合の老活動家メアリー・ジョーンズなどが指導。
未組織労働者を組織し鉄道ストなどを展開。
後、デブスら社会党指導者とヘイウッドら労働組合指導者に分裂。後者が果敢に闘争。
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6月27日
・第13師団長原口中将と第3艦隊司令長官片岡七郎中将、青森で樺太上陸作戦について協定。
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6月27日
・(露暦6/14)ポチョムキン反乱
ロシア、黒海沿岸オデッサ停泊中の黒海艦隊巡洋艦「ポチョムキン号」水兵反乱。
食事のスープに蛆が混ざっていたことで、かねてからの食事に対する不満爆発。秘密集会で艦長に給食改善嘆願書提出決定。
艦長ゴリコフ大佐は嘆願書を持参した水兵ワクレンチュクを射殺し遺体を海に投棄。水兵たちは艦長はじめ士官(3人を残して)全員を殺害。マストに赤旗を掲げる。
オデッサ市ではストライキから暴動・略奪が始まる(軍隊・警察の鎮圧行動には「ポチョムキン」が砲撃で対応すると警告)。
29日夜、艦内備品の補充を市側が拒否したことから、砲撃が開始。
30日黒海艦隊主力12隻がオデッサ沖に到着。艦隊司令官は降伏を呼掛けるが、反乱参加を呼掛けられた駆逐艦「ポビードノセツ」が応じ、艦隊はセヴァストポリに戻る。「ポビードノセツ」水兵は士官の説得により、叛意がおさまり、「ポチョムキン」は友艦相撃を避け出港。
7月4日、ルーマニア港コンスタンザに入港するが食糧・石炭補給を拒否される。沿岸沖を彷徨し、のちコンスタンザで降伏。

1925年、第1革命20周年記念として、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督(27)の「戦艦ポチョムキン」公開。
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6月29日
・英、ドライバーの利権保護目的の自動車協会創設。
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6月30日
・閣議、講和全権委員に訓令。
「絶対的必要条件」:
韓国を「全然我自由処分に委すること」を承認させること、遼東半島租借権・ハルピン~旅順間鉄道譲与など、「飽迄之が貫徹を期せらるべし」とする。賠償金・サハリン割譲は「許す限り之が貫徹に務めらるべし」という「比較的必要条件」。7月5日裁可。
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6月30日
・アルバート・アインシュタイン、特殊相対性理論についての最初の論文が受理される(「物理学年報」)。
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