2015年12月25日金曜日

昭和18年(1943)12月1日~8日 「大戦争二周年廻り来たる。・・・大東亜戦争には (一) 戦争そのものを目的な人と、(二) これを機会に国内改革をやろうという人と、(三)それによって利益する人とが一緒になっている。・・・二年に気付く現象は、コソ泥の横行である。・・・」(清沢冽『暗黒日記』)

鎌倉・円覚寺 2015-12-16
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昭和18年(1943)12月
この月
・スティルウェル、新編成中国軍2個師団率いインドから北ビルマ侵攻。
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・東宝株式会社、設立。東宝映画株式会社と株式会社東京宝塚劇場が合併したもの。
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・日本音楽文化協会、全音楽家に枢軸国以外の外国音楽家との共演禁止通達。
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・大日本興行協会、映画の車内広告、立て看板、チラシ、プログラム全廃を決議。ポスターも従来の半分とする方針
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・日本映画学校映画科開講。
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・里村欣三「キスカ撤収作戦」、亀井勝一郎「歴史の自覚」
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・石川達三「実践の場合」(「文芸」12月号)。
「・・・小説というものがすべて国家の宣伝機関となり政府のお先棒をかつぐことになっても構わないと思う。・・・私たちが宣伝小説家になることに悲しみを感じる必要はないと思う。」
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・小林秀雄(41)、第3回大東亜文学者大会計画のため、単身中国へ。
旅行中、「モオツアルト」を書き始める
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 ・映画雑誌、第2次整理により3誌となる。
内訳は日本映画出版株式会社による「映画評論」「新映画」。大日本映画協会の「日本映画」。
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・インド国民軍特務隊、アキャブ地区出動。
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・フランス、ルネ・ブスケ、左遷・休職となる。抗独派(マキ)発展を阻止出来なかった。
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・フランス、ダルナン、国家社会主義政党目指す「ヨーロッパ革命家統一戦線」大会開催。
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・鉄道従業員組合、ペロンを「アルゼンチン第1の労働者」と賞賛。
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12月1日
・第二国民兵(34-40才)第一陣、入営
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12月1日
・ニューアイルランド島西端カビエンの「八連特」中心に第14根拠地隊現地編成、ビスマルク諸島強化のため。大田實少将司令官。
翌昭和19年2月10日付けで太田少将は軍令部出仕となる。
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12月1日
・東亜旅行社、東亜交通公社と改称
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12月1日
・「十二月一日 (水)
朝早く嶋中真也君を見送りに行ったが、人混みで見えなかった。
学徒が日の丸を肩から胴に巻いて元気よく出る。その無邪気を見よ。この人々が学問や知識のためにではなく、砲銃を持って立つのだ。感慨沸く。
戦争を世界から絶滅するために敢然と立つ志士や果たして何人あるか。予、少なくともその一端を担わん。」(清沢『暗黒日記』)
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12月1日
・テヘラン三国宣言。ドイツ打倒。
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12月1日
・ルーズベルト・チャーチル・スターリン会談。
スターリンはカーゾン・ラインをポーランド国境にすることに合意、英国がポーランド亡命政府の説得することになる。
ノルマンディ作戦決定によりポーランドはソ連が解放することが確実。ポーランドの共産主義者はロンドン亡命政権に反対する政権樹立を構想中
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12月2日
・第6次ブーゲンビル航空戦。
大本営、4次以降6次までの「ブーゲンビル航空戦」で空母5隻を撃沈と発表。実際は、駆逐艦1隻撃沈、重巡1隻大破にとどまる
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12月2日
・「十二月二日 (木)
富士アイスの重役会あり。重役賞与、配当金合せて二〇〇〇円以上あり。近頃、総て物価あがり、収入を以て支出を支うこと難し。幸いに投資よりの収入あり、わずかに辻襟を合すに足る。
それにしても僕の如き裕福の部に入るべきものにして然り。一般人は如何。困っている者が非常に多いと思う。」(清沢『暗黒日記』)
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12月2日
・ドイツ軍によるノルウェー侵攻に対して抵抗を呼びかけていた作家グリーグ、ベルリン爆撃のイギリス軍機に同乗して戦死。
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12月2日
・ヒトラー、ドイツの青少年を召集
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12月3日
・11軍116師団、常徳占領、中国側戦死29,503、捕虜14,025、日本側戦死1,274
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12月3日
・ソ連軍戦線各地で前進
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12月4日
・空母冲鷹、八丈島沖で前日からの度重なる潜水艦の雷撃を受けこの日沈没
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12月4日
・「十二月四日 (土)
戦争後、華族が増し、プロモーションがあり、金鵄勲章が増える。これを全廃したらどうか。
そうすれば、それをもらうために戦争を目がけるものがなくなろう。また実際他の国民が犠牲だけ払うのに、官吏、軍人だけが利益を得るのは、その立場からも否定すべきだ。」(清沢『暗黒日記』)
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12月4日
・第2次カイロ会談。ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、イネニュ・トルコ大統領(~6日)。
英・米両国、トルコに対しドイツの攻撃に対する援助を申し出る。
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12月4日
・ユーゴスラビア、暫定政府成立を発表
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12月5日
・日本軍、フィンシュハーフェン放棄
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12月5日
・マーシャル島沖航空戦。
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12月5日
・「十二月五目(日)
軍人は教育を憎む。しかし自身は陸大、銀時計というようなことを誇りとするんだから教育そのものを排斥するのではないことは明らかだ。
軍が、今まで軽蔑していた「学徒」を極力讃(ほ)めたてるのはどういうものか(松村〔秀逸、大佐、大本営陸軍報道部長〕と栗原〔悦蔵、大佐、大本営海軍報道部課長〕の会談)。だが学者に対しては排斥するのは学問も蘊奥(うんおう)を極めると駄目になるということらしい。
今日は冬の霜除けのため一日中畠をやった。晩、北田正武君の出征を送るため夕飯に招待。」(清沢『暗黒日記』)
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12月5日
・連合軍『クロスボー(石弓)』作戦(北仏海岸線のV1発射場への爆撃作戦)
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12月6日
・「十二月六日(月)
政治家に必要なのは心のフレキシピリチーである。その屈伸性を近頃の軍人政治家は全く欠如している。だから時に応じて対策をたでることができなかった。
毎日の新聞は松村、栗原両報道部課長の対談やら談話やらだけを載せている。そして戦局のただならざることを警告している。
日本が宣伝下手であるという事実が、日本人がアドミットする唯一の弱味である。他は総て日本人が優れていると思っているのに。
我らから見れば、日本人ほど自家宣伝をする国民は他にない。」(清沢『暗黒日記』)
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12月8日
・日本政府、テヘラン宣言へ反駁声明
東条英機、大東亜戦争2周年記念放送でカイロ宣言・テヘラン宣言を非難
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12月8日
・第2回大東亜戦争美術展
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12月8日
・クサイ島(カロリン諸島)守備隊支隊長、海岸防備築城指示
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12月8日
・「十二月八日 (水)
大戦争二周年廻り来たる。新聞も、ラジオも過去の追憶やら、鼓舞やらで一杯だ。外では盛んに訓練がある。
満二周年において明らかをことは、沢田〔謙歳?〕も昨日いったように、国民はまだ戦い足らぬことである。二、三日以前から十二月号の『中央公論』を見ている。その「赴難(ふなん)の学」という座談会の如きは「京都帝大」教授連の談なのに、奇々妙々なものだ。「徳川慶喜にフランスが刃向わせた」とか、征韓論はアメリカの謀略みたいに書いてある。小牧〔実繁〕という教授は「大東亜戦争は天佑神助だ」と繰返している。『中央公論』を通して全部そうした調子だ。
大東亜戦争には (一) 戦争そのものを目的な人と、(二) これを機会に国内改革をやろうという人と、(三)それによって利益する人とが一緒になっている。そしてその底流には武力が総てを解決するという考え、また一つの戦争不可避の運命観を有している民衆がある。戦争は徹底的に戦い通されねはならぬ。
二年に気付く現象は、コソ泥の横行である。物を盗まれない家とてはない有様だ。玄関に置いた外套、靴、直ぐとられる。
この日の新聞はロ、チャ、スターリン三名のテヘラン会議の公報を発表した。「世界の全民族が圧制を蒙ることなく、かつまた独自の決意と良心に基づき、自由なる生活を営み得る日の到来を待望する」といっている。六日発表だ。「ロンドン電報」と書かなければ「大東亜宣言」と間違いそうだ。
かつて、我らは日本主義者から「日本がついた方に戦争は克つ」という言葉を聞いた。中野正剛の如きが、そういった一人である。今でもその信念は失われておらぬ。
警察の水野君が来たから、空襲下においては食糧掠奪が行われよう。それには隣組が単位で防衛団を造るべきだと話した。また欧州方面には「和平談の否定」が行われているが、否定するところに何事かあるものだと話した。かれは耳学問があり、事態を正しく見透している。」(清沢『暗黒日記』)
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