2023年11月3日金曜日

〈100年前の世界113〉大正12(1923)年9月4日 亀戸事件(5) 『亀戸労働者殺害事件調書』より八島京一・正岡高一と全虎岩(立花春吉)の聴取書 「平沢の靴」

 

亀戸事件の犠牲者


大正12(1923)年

9月4日 亀戸事件(5)



〈平沢計七に関する聴取書〉

〔1〕聴取書
     府下大島町三丁目二百二十三番地
                 八島京一
                  二十九才

一、自分ハ一日ノ地震ノ日ニ焼出サレ小松川ノ方面ニ逃ゲマシタガ、二日ニ雨ガ降リ野宿ガ出来マセンノデ大島ノ方へ行キタル処途中デ平沢君ノ細君ニ逢ヒマシタ処自分ノ家ニ来テ居レト云ハレタノデ平沢君ノ処へ行キマシタ 此時ハ午后三時頃デシタ、而シテ平沢君ハ其日正岡君ノ処ヘ倒潰家屋片付ノ手伝ニ行キ 夕方帰ツテ暫クスルト夜警ニ行クト云ヒ出テ行キ九時カ十時頃ト思フ頃帰ツテ来マシタ 暫ク休ンデ居ルト正服巡査ガ五六人来テ平沢君ニ マコトニ済マンガ警察マデ一寸来テ呉レト云ヒ 平沢君モ「ハイ」ト云ヒオトナシク出テ行キマシタ

ソシテ 夫レ切リ帰リマセンカラ細君ガ心配スルシ 自分モ心配ダカラ五日ノ正午頃手拭紙等ヲ持チ警察署へ差入ニ行キマシタ 而シテ亀戸署ノ高木高等係ニ逢ヒ差入レヲ托(ママ)シタル処、平沢君ハ三日晩ニ帰シ タト云ヒマスカラ自分ハ其時平沢君ハモー殺サレタモノト思ツテ帰ツテ来マシタ

二、其訳ハ、四日ノ朝三四人ノ巡査ガ荷車ニ石油ト薪ヲ積ミ引キ行クニ逢ヒ其中ノ一人ノ顔馴染ノ某正一ト云フ巡査ニ其薪及石油ハ何ニスルカトキヽタル処 外国人ガ亀戸管内ニ視察ニ来ルノデ 其死骸三百二十人ヲ焼クノデ昨夜ハ徹夜シタ鮮人バカリテナク主義者モ八人殺サレタト云フテ居リマシタ 夫レデ平沢君モ居ルノデハナイカト巡査ニキイタ方面ノ場所へ行キ見タル処 鮮人支那人等二三百人位ノ人間ガ殺シテ山ニ積テアリマシタ 其近辺ニ平沢君ノ靴ト思ハルヽ靴カ置イテアリマシタカラデス

 三、私ノ考テハ平沢君ハ自警団ヘモ進テ出テ居リ極メテ親切ナ要領ノ好イ人デスカラ殊ニ彼ノ場合演説ヲシタリ 革命歌ヲ唱ヘタリ又警察内デ騒グ様ナ無謀ナ行動ヲ採ル様ナ人テ無イト深ク信シテ疑ヒマセン

四、尚私ノ考ヘテハ平沢君ハ三日ニ連レテ行カレルト其夜ノ中ニ殺サレタモノト考ヘラレマス

 右ノ通リ相違アリマセン
   大正十二年十月十六日午后十時
     東京市芝区新桜田町十九番地
         松谷法律事務所ニ於テ
             八島宗一
     聴取人弁護士 松谷与二郎
     立会人 〃  山崎今朝弥

  
〔2〕聴取書
      下谷区下車坂町 六番地
             八島京一

一、自分ハ本日ヨリ前記ノ処へ引移リマシタ
此前話シタ清一ト云フ巡査ハ自分ガ大島町二丁目百六十五番地大島機械製作所ニ居タ本年三四月頃自分ノ友人デ広島県生レノ丸山某(多分岩蔵ト申シタ様ニ記憶ス)ヲ尋ネテ来タ関係デ自分モ心安クナツタノデス 丸山某ト清一巡査トハ同県人デ兄弟ノ様ニ心安クシテ居マシタ

二、大島機械製作場ノ主人ハ山本桂太郎ト申シ丸山某モ出資シテ実際ハ共同ニシテ居ルトノ事デ其工場内ニ寝止リシテ居マシタ

三、尚ホ九月六七日頃自分ノ妻ガ丸山某ニ会ツテ平沢サンノ話ヲシタラ丸山ハ平沢君ガ生キテ帰ツタラ煎豆ニ花ダト申シタサウデスカラ丸山ハ清一巡査カラ詳シイ事ヲ聞イテ知ツテ事(ママ)ト思ヒマス

 又自分ガ四日ニ清一巡査ニ会ツタ時ハ巡査三四人ノ外 人夫ガ二人計リ居ツタ様ニ記憶シマス

四、清一巡査ハ其時「巡査ハ実ニ厭ニナツタ」ナドノ話モシ又死骸ハ何処デ焼イタカト聞イタラ 小松川へ行ク方ダト 指シナカラ話シマシタカラ其方面へ行キマシタ、スルト大島町八丁目ノ大島鋳物工場ノ横デ蓮田ヲ埋立テタ地所ニ二三百人位ノ死骸ガアリマシタ中ニハ白カスリヲ着タ誰レガ見テモ日本人トシカ思ヘヌモノモアリマシタ 又平沢サンノ靴ノアツタ処ハ其処カラ約三十間位離レタ処デアリマシタ

五、右二三百ノ死骸ヲ四日ニ見タノハ私一人計リデハナク近所ノ者ハ皆見テ居マス 又清一巡査トハ一人立止ツテ 話シタノデアリマス

六、私ガ平沢君ハ三日ノ晩殺サレタト思フノハ巡査ガ昨夜(三日)ハ日本人ヲ七八人殺シタト話シ 其巡査ト兄弟以上心安クシテ居ル丸山ハ六七日頃平沢君ノ殺サレタノヲ確カニ知ツテ居リ巡査ノ教ヘタ処ニ教ヘタ位ノ死骸ガ焼イテアリ近所テモ特徴アル平沢君ノモノト思ハルヽ靴ガアリ平沢君ノ妻君ヤ近所ノ人ヤ正岡君ノ話テモ平沢君ガ警察デ云フ様ナ不穏ノ行動ヲトル時間モ暇モ訳モナイノニ今ニナツテ警察デハ之レヲ吹聴シ尚又警察デハ今テハ八日(ママ)ニ騒イタカラ殺シタ 世間ガ騒クカラ帰シタト嘘ヲ云フタト云フテルノニ高木高等係ハ五日既ニ三日ノ晩帰宅サセタト自分ニ話シタコトナドヨリ考へ合ハセタカラデアリマス

七、尚 大島町二丁目五百四十三番地村田信治君ハ私ガ平沢君ガ殺サレタノヲ疑ツテ未ダ妻君ニ語サナイ中ニ同君ガ何処カラ聞イテ来タノカ平沢君カ殺サレタト平沢君ノ妻君ニ話シマシタ次第デスカラ同君ヲ取調ヘレバ尚詳シク知レル事ト思ヒマス

 此時 村田君ハ后ニ弟ト共ニ検束サレ(弟ハ兄ト同居シテ居マス)弟ノ如キハ亀戸警察内デ兵隊ニ殺サレカケ剣ヲ手デ受ケ大負傷ヲシタノデスガ生命丈ケハ助ケテ貰フ代リニ口外セヌ約束デ漸ク出テキタノダソウデス 怪我ハ未ダ癒ラズ今ニ繃帯シテ居リマス

 右ノ通リ相違アリマセン
   大正十二年十月十九日午后七時
     東京市芝区新桜田町十九番地
      瀬尾法律事務所ニテ
              八島京一
          立会入 山崎今朝弥

   
〔3〕聴取書

     府下大島町三丁目二百四十番地
               正岡高一
                 三十歳

一、自分ハ平沢計七君トハ近所デ親シク交際シテ居リマシタ 九月一日昼頃 地震ガアリ一時頃、平沢君ハ自分宅ノ前ヲ出先キヨリ帰ル途中通リ掛リニ声ヲ掛ケテ行キマシタ 此時自分ノ家ハ地震デ倒潰シテ居タノヲ平沢君ハ一旦家へ帰リ私方ニ来リ 三時頃迄自分ノ家ノ金品取出方ヲ手伝ツテ呉レマシタ 夫レカラ自分ノ義妹カ浅草蔵前ノ煙草専売局ニ出テオルノデ 夫レヲ尋ネルタメ荷物取出ヲ中止シ自分ハ出掛ケマシタ 其後妹ヲ尋ネタリ 色々シテ翌日二日ノ午前八時頃迄平沢君ニ逢ヒマセンデシタ

二、二日午前八時頃ニ自分ハ平沢君宅ヲ訪ネマシテ更ニ仝氏仝道錦糸町ヨリ両国ニ出テ浅草橋ヲ渡リ妹ヲ尋ネ浅草公園カラ十二階裏ニ出テ 上野へ廻リ方々妹ヲ尋ネタカ分ラズ上野公園西郷銅像前テ首藤敏雄君ニ逢ヒ妹ノコトナド聞合セタルモ分ラズ依テ元ト来タ道ヲ歩キ家ニ帰ツタノハ夕方デシタ

三、ソシテ平沢君方デ夕食ヲ喰ヒ同氏方ニ当分厄介ニナルコトニナリマシタ

四、ソシテ 其晩ハ平沢君ハ家族ト共ニ私モ加ハリ平沢君宅前ノ城東電車ノ道デ畳布団ナドヲ持出シテ ソコデ夜宿シマシタ ソコニハ隣家ノ浅野氏其他近所ノ人モ皆一緒ニ野宿シマシタ ソー云フ訳デ平沢君カ二日ニ演説ヲシタト云フコト等ハ絶対ニアリマセン 此等ノコトハ近所ノ人等モ十分承知シテ居リマス

五、三日ハ朝カラ 私方ノ倒潰家屋ノ荷物ノ取出等ヲ手伝ヒ夕方迄世話ヲシテ呉レマシタ、此事ハ 八島京一君近所ノ人モ知ツテ居リマス 八島君ハ三日ノ午后四時頃ヨリ避難シテ平沢君宅ニ来タ人デス

六、夕食后 平沢君ハ夜警ニ出テ九時半頃(多分)帰リマシタ、ソシテ暫ク休ンデ居ル処へ正服巡査カ来テ平沢君ヲ連レテ行キマシタ、其時ハ平沢君モ警察官モ極メテ平穏デ平沢君モ温順ニ警察官ニ附イテ行キマシタ

七、コウ云フ次第デ 自分ハ大抵平沢君ト共ニ居リマシタカラ只自分カ妹ヲ捜ス為メ独リテ出テ行ツタ時丈ケ平沢君ノ行動ヲ知リマセンガ一日ノ午后三時頃カラ翌二日ノ午前八時頃迄ハ平沢ノ妻君ヤ浅野君等近所ノ人等ノ話ヲキケバ 自宅ニ居ツタソウデスカラ 演説ヲシタリ 騒廻ツタリシタコトハナイト思ヒマス 殊ニ南飾(ママ)労働組合トハ平沢君ハ意見ガ合ハス 平常往復等ハシテ居リマセンカラ其組合本部へ行テ演説ヲシタ等ノコトハアル筈ハナイト思ヒマス

八、平沢君ハ 極メテ要領ノ好イ人テスカラ 警察署デ騒ク様ナコトハ絶対ニナイト思ヒマス、殊ニ労働歌ヤ革命歌ナドヲ唱フ人テハアリマセン

 右ノ通リ相違アリマセン
    大正十二年十月十六日午后九時
     東京市芝区新桜田町十九番地
       松谷法律事務所ニ於テ
                正岡高一
         聴取人弁護士 松谷与二郎
         立会人 〃  山崎今朝弥


〔20〕 聴取書
   府下亀戸町三千三百七十八番地
          福島由太郎方
              立花春吉
               二十二才

一、私ハ九月三日 亀戸署ニ四時頃保護ヲ願出デ仝署ニ六日午前五時頃迄居リマシタ、而シテ自分ハ奥二階ノ広キ間ニ居リマシタ、其二階ハ井戸ノ隣ニアリマシタ、自分ノ居タ部屋ニハイリタル時ハ二十人位居リマシタ、ソシテ其二十人ハ皆鮮人計リデシタ、入ツタ時ニハ自分ノ住所氏名年令職業等ノ取調ガアリ署長ヨリ「オトナシク」スレバ飽迄モ保護スルト云ハレマシタ

二、食物ハ玄米ノ握リ飯一ツ、一日二食デアリマシタ 皆ガ腹カ減ルダローカ鮮人ガ米ノ倉庫ニ爆弾ヲ投入シタカラ 米カナイ為少シシカ当ラヌト立番ノ巡査ガ云ヒマシタ

三、私ガ入リタル三日ノ晩ハ別ニ何事モナク寝入リマシタ 然ル処 四日朝カラ鮮人ガ多数入レラレ百十六名位ニナリマシタ 夫レテ狭マクテ足ヲ伸スコトスラ 出来マセンデシタ

四、四日ノ朝六時頃便所ニ行キタル処 便所ニ行ク道ノ入口ノ処ニ兵士カ立番シ其処ニ七八人ノ死骸ヤ半殺シノ鮮人ニ莚ヲ被セテアリマシタ 而シテ其 横手ノ演武場ニハ 縛セラレタル鮮人ガ 血ダラケニナリテ三百人位居リマシタ 而シテ 演武場ノ外側ニハ支那人カ一列ニナリ 軒下ニ 五六十人位 座ツテ居リマシタ

五、四日ノ晩 暗クナツテカラ 銃ノ音カ ポンポン夜明迄キコヘマシタ 其ノ銃声ハ自分ノ居タ二階ノ下ノ方ニ聞コヘマシタ 即兵隊カ立番シテ居テ七八名ノ死骸ノアツタアタリテアリマス、其夜ハ只銃声計リテ人カ騒ク音ナゾハ少シモ致シマセン 又一人丈ケ泣キ叫フ声ヲキヽマシタカ 其他ニハ泣声 叫ヒ声 等ハ致シマセン、

 右ノ泣キ叫ブ声ハ鮮人ノ声テ夜明方デシタ ソシテ其鮮人ハ自分カ悪イコトヲセヌノニ殺サレルノハ国ニ妻子ヲ置イテ来タ罪ダロウカ 貯金ハドウナツタロウト云フ様ナコトヲ云フテ泣キ叫ビマシタ

七、其立番ノ巡査ハ又昨夜ハ日本人七八名 鮮人共十六名 殺サレタ 夫レハ 鮮人計リ殺スノデハナイ 日本人モ悪イコトヲスレバ殺サレルノタ君等モ悪イコトヲスレバ殺サレルカラ従順ニセヨト云ヒマシタ

八、此時巡査カ三人テ立話ヲシテ居ルノヲ何心ナクキイテ居タ処 南葛労働組合川合ト云フ言葉丈ケ漏レキコヘマシタ 自分カ川合トハ知合テアツタタメ特ニキコヘマシタノデ自分ハ恐ロシクナリマシタ

九、五日ノ昼頃自分等ノ居ル部屋カ狭キ故 自分等及階下ノ温順ナ鮮人ヲ連レテ 安全ナ場所ヘ行クト云ヒ 騎兵ニ守ラレ附近ノ自転車工場ヘ行キマシタカ危険タト云フノデ更ニ 署ニ帰リマシタ

十、夫レカラ暫ク 便所ヘ行キマスト 便所ニ行ク道ニ日本人ラシキ三十五六才ノ男カ二人 裸テ手ヲ縛リ立タセテアリマシタ 其男ハ頭ニ創ガアリ半死半生ノ状態デアリマシタ

一一、其日ノ晩方 三人ノ立番巡査ガ窓カラ覗イテ殺サレル処ヲ見テ 一人ノ年寄ノ巡査ハ剣デ刺ス手附ヲシテ「アノ刺ス昔ハズブート云フテ何ト云フ音ダロウ」トイヒ 音ノ発音ノ「マネ」ヲシテ居マシタ
 殺スノハ銃計リテナク剣デモ刺殺シタモノト思ハレマス

一二、其晩モ多数殺サレタ様子デス 夫レハ巡査ノ話ヤ便所ヘ行クコトヲ止メラレタコトヤ、四隣ノ気配デ知レマシタ

 自分ノ考デハ四日ノ晩迄ハ銃デ射殺シ五日ヨリハ剣デ刺殺シタモノト思ハレマス

一三、右ノ次第デ三日ノ晩ヨリ五日ノ夜明迄ハ静カデ騒グ様ナコトハアリマセン 夫レハ一人デモ話デモスレバ他ノ者ガ迷惑スルシ且恐ロシク皆縮ミ上ツテ居リマシタ 夫レハ巡査ノ注意モアリ 御互ニ注意シ合ヒ 静カニシマシタ

一四、右ノ状況デアリマシタカラ隣室デ騒グ様ナコトガアレバ 直チニ 分ル筈デシタガ 極メテ静カデ騒ギマセンデシタ
 労働歌ヲ歌フ声ハ絶体ニ聞キマセン

一五、六日ノ朝五時頃 習志野ヘ五百人位一緒ニ兵隊ニ送ラレテ行キマシタ ソシテ習志野ニ二十六日迄居リ其后 青山鮮人収容所ニ廻ハサレ 二十九日 自分ノ家ニ帰リマシタ
一六、右ノ通リ相違アリマセン

   大正十二年十月十六日午后七時
    東京市芝区新桜田町十九番地、松谷法律事務所ニ於テ
                        立花春吉事
                        全 虎岩


つづく

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