2024年9月19日木曜日

ポケベル爆発はこうして起きた、最大3グラムの爆発物が「生産段階で」仕掛けられたとの情報も (ロイター) / 爆発したポケベル、製造したとされるハンガリー企業は、実はイスラエルのフロント企業だったとNYT。イスラエルは2年以上かけ、ヒズボラに自ら爆発物入りのポケペルを売っていたことになる。 / レバノンでまた通信機器爆発、20人死亡 ラベルに「日本製」の表記(朝日) / ヒズボラ通信機器爆発、予備調査で「爆発物」の仕込み判明 治安当局(AFPBB) / まさに大規模な無差別テロリズム /  ヒズボラの無線機同時爆発の黒幕とみられるイスラエル・モサドの暗殺史(ニューズウィーク日本版)

「0が2個たりない」電通グループ、東京五輪「談合裁判」罰金3億円求刑に「やられ損」国民の怒り爆発(FLASH);「電通が関与したとされるこの談合事件は、総額約437億円に上る契約とされる。それに対する罰金が3億円という求刑に、Xは怒りの声が殺到している。」

 

レディ・ガガは、初期に「ガガは男性だ」という噂を否定しなかった理由を説明した。(Lady Gaga Explained Why She Never Denied Rumors That She “Was A Man” In Her Early Career)、、、、噂を否定しなかった理由について「被害者だと感じなかったから」であり、それが恥ずべきことだというメッセージを発信したくなかったからだと語った。、、、、

【虎に翼が突き刺さる】 「何か抱えてる奴は、どっかしら生きる為に無理してる。どうってことないふりをして誤魔化さないと、やっていけないことがある。」 / 「暴力は、思考を停止させる。抵抗する気力を奪い、死なないために、全てを受け入れて耐えるようになる。」

大杉栄とその時代年表(258) 1899(明治32)年1月26日~2月28日 梁啓超、柏原文太郎の許に身を寄せる 「国民教育授業料全廃ノ建議案」 与謝野晶子の短歌の新派和歌へ移行期 エミリオ・アギナルドの反乱 米比戦争開始 田河水泡・宮本百合子生まれる      

 

エミリオ・アギナルド

1899年1月21日に樹立したフィリピン共和国(フィリピン第一共和国)初代大統領

大杉栄とその時代年表(257) 1899(明治32)年1月1日~23日 この年、維新號、神田に開店 永井荷風(20)、噺家の弟子になる 漱石、同僚と共に6日間の旅行に 子規、俳諧叢書第一編『俳諧大要』刊行 より続く

1899(明治32)年

1月26日

室田忠七の鉱毒事件日誌より


1月26日 内閣大臣・内務次官の自宅を訪問するが会えず。内務省で「被害ニ対ス処分並ニ大臣閣下ニ検分ヲ願」う。

1月27日 神鞭知常を訪問するが会えず。

1月28日 内務省、農商務省に出頭する。

1月31日 安蘇郡々長に栃木県新任知事の被害地視察を願う。"


1月30日

梁啓超(25)、1月7日に牛込区早稲田南町42番地に移り、この日(30日)、小石川区表町109番地の柏原文太郎(29)の自宅に移動。

柏原文太郎は、明治26年に東京専門学校英語政治科を卒業後、朝鮮国政府農商務省の招聘を受けて韓国へ渡り、帰国後は駐日朝鮮政府公使館顧問になった。明治29年、東京専門学校の講師に就任して支那研究会を組織し、翌年、東亜同文会を設立して幹事に就任した。梁啓超を自宅に迎え入れたのはこの頃で、ふたりは意気投合して義兄弟の契りを結んだ。

梁啓超は柏原から日本語を教わりながら、日本語の単語帳を作成して、自己流の「日本語速読法」を編み出した。従来のように漢文式に返り点を打って読むのではなく、日本語の助詞と少数の言葉だけ覚えたら、日本文をそのまま中国語で読み下すという方法だ。これで日本語の大意が理解できるという。やがて梁啓超はこの方法をまとめて『和文漢読法』として出版し、清国留学生たちの間でベストセラーになった。

一方、日中関係に強い関心を抱いていた柏原は、梁啓超からたくさんの中国知識を授けられ、中国事情に精通することになった。

明治42年、相原は、細川護成とともに目白中学(現、中央大学付属高校)を創設して私学教育の向上に尽力。1912年には立憲国民党から立候補して衆議院議員を2期務め教育政策の分野で活躍した。

1月31日

第13議会、根本正、有志議員により提案された「国民教育授業料全廃ノ建議案」の趣旨説明。

建議案。「普通教育は自ら専門教育と異り国家の公務に属すべきものなり、授業料を要する学校は真正の公立に非ず、故に普通学校を公立と為し公税を以て之を支弁し貴賤貧富の別なく何人の子弟を間はず無月謝にて自由に普通教育を受くるの学制を立つるは国家の義務なりと信ず、政府は速に小学校の授業料を全廃し公税を以て自由教育を施行するの制度を立て帝国議会の協賛を求められむことを望む」。

根本は、学齢児童773万に対し不就学児童は250~300万にのぼり、小学校の為に34銭/人の負担に対し軍事費は2円40銭を負担しており、米国では同じく小学校に5円22銭、軍事費1円44銭、ドイツでは学校2円91銭、イギリスは2円66銭と、日清戦争後の大幅な軍備拡張財政が教育費を圧迫している事を指摘。この建議案は特別委員会で審議のうえ、衆議院本会議は賛成多数で可決

政府は、授業料全廃方針を表明するが、校舎不足と教員不足が全国で3万人あり、これを充実するに1千万円余が必要と説明。

翌1900(明治33)年8月公布の小学校令で、市町村立尋常小学校の授業料廃止。但し、特殊事情ある場合は授業料徴収できる。

1月31日

漱石、夜、研屋旅館に村上霽月を訪ねて、夜遅くまで歓談。生と死の問題について意見をかわす。また、俳句を詠む。

翌2月1日、夜、村上霽月が漱石を訪問。遅くまで話す。

鏡子のヒステリー症続く。


2月

河北省淶水県の南洛村、年末(旧暦)の迎神賽会準備のため、地保(保長=1千戸の長)閻洛奉らが教民張才の家の前の十字路を跨いで小屋を掛ける。これ契機に紛争。双方が訴え、知県高正粛は、教民保護の立場を明確に閻洛奉・閻洛福らを逮捕、拘留。後、賠償金を払い釈放。

2月

与謝野晶子(21)、関西青年文学会(浪華青年文学会を改称)機関誌「よしあし草」第11に鳳小舟の名で詩「春月」を発表。晶子の短歌が旧派和歌から新派和歌へ移行する時期

「うら若き読経の声のきこゆなり一もと桜月にちるいほ 今宵こそハイネとふたりわがぬると友いひこしぬ星合の夜に」新体詩「春月」(一節)

5月「よしあし草」第14号に詩「わがをひ」を鳳小舟女の名で発表。

8月、同特集号に歌「塚」1首、「折に」1首発表。

9月、同第6号に歌「七夕」1首、「折に」1首発表。

10月、同第19号に歌「折に」1首発表。

11月、同第20号に詩「後の身」発表。

12月、同第21号に歌「恋の歌の中に」1首、「群鶴仙唱」1首発表。

2月

大杉栄(14)、北蒲原尋常中学校の三好愛吉校長の留任を求める学生運動に発起人として参加

2月

ハンガリー、パーンフィ首相解任。「鉄拳政策」が危機を招く。

2月

エミリオ・アギナルド、米に対し反乱開始初代フィリピン総督のアーサー・マッカーサー(ダグラスの父)、米兵7万を投入し民族解放勢力に対する大虐殺指揮。3年間でルソン島住民1/6殺害。

2月1日

東京~大阪間の長距離電話が開通

2月2日

栃木県知事、被害地視察に来る(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。

2月4日

米軍とフィリピン独立革命軍の戦闘が始まる(米比戦争開戦)。

2月7日

勅令により、中学校令改正・実業学校令が公布。

8日、高等女学校令公布。

2月8日

政府が納税資格の緩和、無記名投票などを内容とする選挙法改正案を提出するが、貴族院の反対で不成立。

2月10日

田河水泡、誕生。

2月11日

紀元節。第五高等学校でドイツ人教師エルドマンス・エルンスト・デルフェル、拝賀の礼をしないで、途中から退場。中川元校長、大いに困却する。後にデルフェル、頭痛のため精神錯乱していたとの謝罪状を中川元校長に提出。

2月12日

独、スペインより南方諸島購入

2月13日

宮本百合子、東京に誕生。

2月18日

エミール・ルーべ(61)、フランス大統領に選出。第3共和政の基礎を築く。

2月24日

西郷従道内相(第2次山県内閣)、高野事件に関連する衆議院での質問に対して書面で「台湾総督府法院判官は憲法第58条第2項の保障を得るものと認む」と回答。第13議会で花井卓蔵(1月21日)らが質問。台湾総督府判官の身分は制度的・憲法的に明確に保障される。後は高野盂矩の処分問題のみ。

2月27日

ペルーへの移民801人が出発。

2月28日

イタリア、三門湾の租借要求(清朝拒否)


つづく


小泉進次郎さん、大丈夫? → 小泉進次郎が地元後援会に送った「5万円おねだり」衝撃文書を独自入手!(FRIDAY) / 改憲「一気に国民投票へ」 小泉氏、仮定質問に発言 自民総裁選(時事) / 小泉進次郎氏のトンチンカンが止まらない!「大学に行くのがすべてではない」「改憲はファストパス」まで飛び出す始末(日刊ゲンダイ) / 石破氏、解散は国会論戦後 小泉氏「早期に」主張(東京)←解散の前に国会論戦する意思があるか? / 「台湾は行ったことがあるが中国は行ったことがない」(1972年日中共同声明知ってる?) / 拉致問題;「私が総理になった暁にはトップ同士が同世代」「親同士も会った事がある」←だから、どうなの? / トルドーは43歳で首相に、私も43歳。43歳で首相になったトップ同士が、胸襟を開き、新時代の扉を開けたい←中学生の生徒会長選挙? / 災害時、真っ先に対応してくれる自衛隊が憲法に書かれてない」←警察官、消防・救急隊も憲法に書かれてないけど、何か? / 「小泉進次郎」総裁選で「生き分かれた母」に言及のワケ 支持者は「お涙ちょうだいで票がほしいのか」と困惑 (AERA)



 

2024年9月18日水曜日

【虎に翼】主題歌 米津玄師「さよーならまたいつか!」オープニング映像をフルバージョンで公開!│NHK / 「虎に翼」タイトルバック制作 シシヤマザキインタビュー「ロトスコープという手法の面白さと豊かさが、画面上に結実したと感じます」

 

恒例の同級生交歓 日本橋の吉野鮨本店 銀座の教文館カフェ 老舗居酒屋三州屋 2024-09-17

 9月17日(火、昨日)はれ

まだまだ真夏の気温、35℃前後の日が続いている。

今月の同級生交歓は、日本橋の吉野鮨本店で。

吉野鮨さんでは、来月に予定している佐渡旅行の話で大いに盛り上がった。実際は、幹事をして貰ってるHさんが詳細計画を立案済で、残り二人は彼にオンブニダッコ、金魚のフン状態ということではあるが、、、

吉野さんのあと、銀座をぶらぶら歩いて、四丁目にある本屋さんの教文館のカフェでひと休み。我々はすんなり入れたが、帰りのころは入店待ちの人が居るくらい混んでいた。

これで解散、、、と思ってたら、誰ともなく、もう一軒行きますかということになって、銀座の老舗居酒屋三州屋さんへ。

ここではさすがにお腹イッパイなので、オツマミは軽めだった。冷酒は多めだった。

帰りは、有楽町から一旦東京に戻って、東京から横須賀線で。午後6時頃だったのかな? 幸い座れたので、自宅最寄り駅まで熟睡だった。









「誰に聞いたんや、名前言え」 兵庫副知事、強権的聴取の一部始終(毎日);「人事権を盾に強い口調で繰り返し「自白」を迫っており、公益通報者保護の観点から専門家は「非常に悪質だ」と指摘する。」 / 告発者と親交のあった現役兵庫県職員が証言「元県民局長は片山安孝副知事のやり方が問題と常々言っていた」(FNN)

大杉栄とその時代年表(257) 1899(明治32)年1月1日~23日 この年、維新號、神田に開店 永井荷風(20)、噺家の弟子になる 漱石、同僚と共に6日間の旅行に 子規、俳諧叢書第一編『俳諧大要』刊行 

 

維新號

大杉栄とその時代年表(256) 1898(明治31)年12月6日~31日 「ホトトギス」第3号発行(1,000部を売り切る) 東海林太郎・浅沼稲次郎生まれる 地租増徴法案を含む予算案、憲政党(旧自由党)の賛成で衆議院通過 フィリピン全土に軍政布告 第二回蕪村忌 朝鮮独立協会解散(協会員逮捕)、万民共同会解散 キュリー夫妻、放射性元素ラジウム発見 より続く

1899(明治32)年

この年、維新號、神田に開店

明治32年、神田区今川小路(現、神保町3丁目)に開店した維新號は、最初は名前もない小さな店だった。留学生が足しげく通って中国食材や雑貨品を買ううちに、求められて簡易食堂も兼ねるようになった。ピータン、塩卵、焼き飯、肉入り麺、豆腐料理、豚肉野菜炒めなど、ごく簡単な料理を出すだけだったが、下宿先で油物を口にできない留学生たちは喜び、評判になって繁盛した。

「『維新號』という屋号も、実は留学生がつけたものです」と言う(維新號の3代目経営者鄭東耀氏)。

開店当時、留学生たちは店に集まって中国料理を食べながら、祖国の未来について話し合った。日本が明治維新で近代化を成し遂げたように、祖国の未来もそうであってほしいと願い、我が家同然のこの店に『維新號』と名づけた。

維新號に集まる留学生たちの話題は時代とともに変化した。創業初期の明治時代にはもっぱら清朝打倒運動に花が咲いた。大正半ば以降は、日本の中国侵攻と留学生に対する思想統制が厳しさを増すに連れて、反日運動や反帝国主義運動について議論沸騰することが多くなった。

大正中期には、中華料理は日本人にも親しまれるようになり、神田には「維新號」のほかにも「中華第一楼」「会芳楼」「漢陽楼」など中華料理店が十数軒に増え、日本人が経営する日比谷の「陶々亭」「山水楼」、虎ノ門の「晩翠軒」、茅場町の「偕楽園」などは、中国人コックを雇って大規模に営業した。

こうして神田には、大正時代以降、一説には140軒もの大小さまざまな中国料理店ができた。その頃の中華第一楼は神田区神保町のすずらん通りにあり、現在では中央区銀座に移転している。漢陽楼は神田区猿楽町から小川町に移転し、今日も営業している。

1月

永井荷風(20)、落語家6代目朝寝坊むらくの弟子となり、三遊亭夢之助の名で席亭に出入りする


「わたくしは朝寝坊むらくといふ噺家の弟子になって一年あまり、毎夜市中諸処の寄席に通つてゐた事があった。その年正月の下半月(しもはんつき)、師匠の取席(とりせき)になったのは、深川高橋の近くにあった、常磐町の常磐亭であった」

寄席の仕事を終えた夜ふけ、若い女の三味線弾きと二人で帰る場面が出てくる。若い男女のことであるから、「身を摺り寄せながら」歩くうちには、「手を握る」だの 「顔が接近して互の頬がすれ合ふやうになる」といったこともあり、あげくの果ては 「二人の間に忽ち人情本の場面が其のまゝ演じ出され」たという(随筆『雪の日』、昭和19年)。


荷風は昭和7年4月11日つけの日記にもこのときのことを書き記している。

「酔ひて心の乱るゝま、路傍の小屋に女を引入れ戯れし事あり。女は年の頃十七八にて橘屋橘之助といひし浮れ節寄席芸人の弟子なりき」と。この時、荷風は満52歳。30年前の雪の日の記憶は「忘れがたきところ」と言っている。日記にも書き、随筆にも記したということは、荷風の頭の中ではかなり生々しい記憶だった。


1月

吉沢義則・八杉貞利ら「若菜会」創立。

1月

ゴーギャン(51)、タヒチ、パペーテの事業局の仕事をやめ、愛人パウラとともにプナアウイアに戻る。

1月

アンリ・マチス(30)、フヌイユで息子ジャンが誕生。ヴォラールからロダンの胸像「ロシュフォール像」、ゴーギャン「少年の肖像」、セザンヌ「3人の俗人の浴女」、ゴッホの素描を購入。

1月1日

「労働世界」に社会主義欄、片山と高野の対立

1月1日

漱石、同僚の奥太一郎とともに宇佐、耶馬渓から日田・吉井・追分への6日間の旅行に出発


「.....奥太一郎(前年四月、漱石の紹介で赴任する)と共に出発し、鳥栖・博多を経て、宇佐八幡宮に向う。小倉に泊る。

★一月二日(月)、宇佐停車場(現・柳ヶ浦駅。豊川線終点)で下車し、宇佐八幡宮まで(約四キロ)歩く。参詣して、約三キロの坂道を下って、四日市町に至り、一泊する。

★一月三日(火)、風の吹くなかを代官道を行き(推定)、曹洞宗羅漢寺(大分県下毛郡木耶馬渓町にあり、釈迦を初め、五百羅漢など七百の石像を安配してある)に参詣する。参詣寺の入口は笹の葉を結んで登る習慣になっている。雪降ってくる。巌頭の廊に、一丈余り(三メートル余り)の藁を積んで、その上に小僧が坐っている。風の吹くたびに崖下に落ちそうになる。危険ではないかと云うと、命は一つしかないので諦めていると答える。

★一月四日(水)、口ノ林(現・耶馬渓町平田)から、耶馬渓に向う。「谷深み杉を流すや冬の川」「石の山風に吹かれ裸なり」「目ともいはず口ともいはず吹雪哉」と詠む。柿坂を経て、守実温泉の河野謙吾(郵便局)方に泊る。

★一月五日(木)、守実温泉を出発、吹雪のなかを大石峠を越えて、日田(大分県)に向う。大石峠を降りる時、馬に蹴られて雪の中に倒れる。「吹きまくる雪の下なり日田の町」。日田町では、平野五岳(広瀬淡窓門下の奇才)を忍ぶ句を詠む。日田を過ぎて、筑後川の上流を下り、吉井(日田と久留米の中間、日田から西へ二十キロ、久留米から東へ二十五キロ)に至り、長崎屋(現在は酒場。吉井町天神町)に泊る。

★一月六日(金)、吉井を出発し、大将陣山(九百十メートル)、戸山(七百七メートル)の麓を通り、追分(現・久留米市山川町)を経て久留米市に至る。久留米市に一泊したか、または久留米停車場から熊本停車場に直行したとも想像される。」(荒正人、前掲書)

1月2日

~ 7日 貴族院議員と衆議院議員を訪問する。勝海舟宅には、参考のため被害地植物藁灰を持参して訪問する(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。

1月2日

フィリピン、マビニ革命政府首相、外務大臣に任命される。

1月5日

子規『蕪村句集』輪講会を開催

1月7日

仏、作曲家プーランク、誕生

1月8日

子規、俳句会

1月9日

渋沢栄一・大倉喜八郎ら、衆議院議員選挙法改正期成同盟を結成。

1月10日

子規『明治三十一年の俳句界』『俳句新派の傾向』『夢』(『ホトトギス』)


「○先日徹夜をして翌晩は近頃にない安眠をした。其夜の夢にある岡の上に枝垂桜が一面に咲いてゐて其枝が動くと赤い花びらが粉雪の様に細かくなって降つて来る。其下で美人と袖ふれ合ふた夢を見た。病人の柄にもない艶な夢を見たものだ。」(『夢』)

1月12日

大杉栄(14)、講武館師範の坂本謹吾から賞状をもらう。

1月14日

東京天文台、写真撮影による観測を開始。

1月19日

勝海舟(77)、脳溢血で没。

1月19日

英、スーダン協定締結。エジプトと共同でスーダン統治

1月20日

子規、俳諧叢書第一編『俳諧大要』刊行(ホトトギス発行所)。3千部。

1月20日

高柳健二郎、誕生。日本のテレビの父。

1月21日

フィリピン独立派、マロロス憲法制定。フィリピン共和国(マロロス共和国)樹立。初代大統領アギナルド就任。この頃までに、ルソン島、ヴィサヤ諸島の大半は革命政府が掌握。

1月23日

英、オスマン帝国支配脱却求めるクウェート統治サバーフ朝首長ムバーラクの要請受けペルシャ湾諸国手中に。


つづく

高市早苗さん、総裁選に立候補! → 高市早苗氏の猛追に旧統一教会が見え隠れ…熱心な信者がXで「サナエ一択」を大拡散(日刊ゲンダイ) / 高市早苗氏の政策パンフレット郵送、岸田首相ら執行部が「毅然とした」追加対応を党選管に要請(読売)←選挙違反ですね / 裏金議員が推薦人になるのはいかがかと問われ「選対チームに任せたので翌日の新聞まで、どなたが推薦人か知りません」と / 「裏金議員という言い方は正しくない、不記載のあった方、それぞれ説明を尽くされ皆さんに納得頂いてる」 / 学習院大学 野中教授「高市さんは13人も裏金議員がいて、キャッチフレーズが『自民党を作り直す』、これなんかは『トランプ風』だなと思って私は聞いてましたけど」 / 裏金議員への批判「おかしい」 高市早苗氏推薦人の衛藤晟一氏が反論 「法的に処分は終わっている」(東京) / 高市早苗氏の推薦人に杉田水脈氏ら「裏金議員」13人 5候補で計21人(東京) / 「主犯で関与した放送法の違法な解釈改変の責任を官僚になすり付け、経緯を記録した公文書を官僚らが悪意を持って自身を攻撃するため捏造したと主張し、捏造でなければ議員辞職すると答弁。 しかし官僚らが捏造していないと国会報告しても居座り続け、、、」(小西ひろゆき) / 高市早苗氏 裏金議員への追加処分なし「党の処分をひっくり返すような独裁的な行動は取らない」(スポニチアネックス) / 国家の主権を守ると強弁するが、首都圏を含む空域が米軍に支配され国家主権が侵されている「横田空域」を質問すると「横田空域に限っての質問について、この場でお答えすることはございません」と、、、、 / 高市早苗氏が断言した「旧姓で不動産登記できる」はミスリード? 法務省「旧姓だけではできません」(東京) ← これはウソ! / 「夫婦別姓はダメ」は安倍さんの遺言、と高市さん。そんな遺言の記憶はない。それを遺言と言って金科玉条のように守るのには付いて行けない、と田崎史郎(スシロー)さん。         

 


安倍氏・教団「面談」写真が火種 自民調査に疑義、早期解散影響も(時事) / 岸田首相「これまで説明した通り」 安倍氏と旧統一教会の面談報道(毎日) / 「安倍氏 旧統一教会会長と面談か」朝日新聞 政府「コメントは控える」(テレ朝) / 星浩氏「総裁室で、選挙前に、選挙について話をしたとみられるので、今まで自民党が言っていた『組織的関係は無かった』は崩れつつある、」 / 「これでもまだ再調査をしないという自民党の「国民の信頼回復」という言葉が、いかにインチキかがよくわかる。都合の悪いことはひたすら隠蔽。国民の声を無視。カルトのお陰で当選した議員も辞職しない。」(平野啓一郎)         

 




 

堕落「維新」の不祥事続く、、、今度は会派ぐるみ → 千葉市議会の議員2人が無断で請願作成 辞職勧告決議案が可決 名義を無断で使われた男性「請願を書いていない」 議員2人は辞職の意向なし(TBS) / 請願署名を偽造 千葉市議会、辞職勧告を決議(千葉日報) / 維新また不祥事…千葉市議2人が市民の請願を捏造して議会提出「間に合わせるため」のア然(日刊ゲンダイ) / 千葉市議が請願署名を偽造 17日にも辞職勧告案 「維新・無所属」会派議員へ(千葉日報オンライン) / 千葉市議会 議員2人が名義人の同意得ず請願を作成し提出(NHK) / 維新会派「自作自演だった」と謝罪 千葉市議会、請願の無効を決定(朝日) / 千葉市議会維新会派が請願書偽造か(チバテレ)

 



 

東電の当事者能力を疑う → 福島第一原発デブリ取り出し 映像確認できず中断(テレ朝) / 「・・・と思い込み手順書にもチェック項目がなく、作業員も元請も東電も現物確認をしてない」 / 福島第一原発 デブリ取り出し延期 パイプの並び順確認せず(東京);「パイプを並べる前にこの作業の予行練習を行っていなかったことや、東京電力と元請け企業も取り出し着手の当日まで1か月近くのあいだ一度も現場で並び順を確認していなかったことが、関係者への取材でわかりました」 / 現場に社員は1人もおらず…「協力企業任せ」の東京電力 ミスで延期の燃料デブリ試験的取り出し(TUF) / 「順番間違いが発生したのは7/28ですが 何度も最終確認したはずなのに8/22の現場まで気付かなかったと…」 / 「押し込むための棒の順番が間違っていることに現場の作業員が気付いたという。」 / 燃料デブリ初取り出し…「現世代の責任として、できるだけのことをやる」取り出し工法チームのトップに聞く“廃炉への道筋”(日テレ) / 東電、原発デブリ初採取を中断 福島県「人為的、初歩的ミス」(共同) / 福島第一原発 核燃料デブリ取り出し 直前で延期 再開時期未定(NHK)  / 福島第一原発デブリ、21日にも取り出し開始…東電が事故後初めて(読売);「東電は伸縮する釣りざおのような形の装置を原子炉の横から差し込み、先端にある爪で3グラム以下のデブリの採取を試みる。作業完了まで2週間を見込む。」 「1~3号機に計約880トンあると推計」 / 燃料デブリ回収、正念場 福島第1、2号機で初試験へ 専門家、リスク低減への道筋期待(毎日)     



 

【自民党総裁選2024 ; 衆院選のための事前選挙運動】 「自民党と旧統一教会との関係について新たな疑惑が出ていますが、再調査が必要ではないかと尋ねたところ、必要だと答えた候補はいませんでした」 / 井上貴博キャスター(Nスタ)「脱税まがいのことをして、脱税政党が、どう変わろうとしているのかと、その時に裏金事件について、皆さんおしなべて腰砕け、再調査をしない。」 / 自民党総裁選の「推薦人」に旧統一教会と接点ある“壺議員”が58人もいる非常識(日刊ゲンダイ) / 真山仁氏 「未来に対する情熱は、申し訳ないけど、誰にも感じられない」 / 大竹まこと 自民総裁選で私見「“裏金議員80人はいりません”と落ちてもいいから言える人はいないのか」(スポニチアネックス) / 裏金再調査、9候補ともに否定的 衆院選見据え国民の負担増を回避(共同) / 岸田から次期総裁への置き土産「憲法改正」は総選挙に向けた「裏金問題」隠しか(ニューズウィーク日本版) ;「政治資金問題は何一つ解決していないにも関わらず、自民党総裁選への出馬ラッシュが始まってから、自民党の支持率は回復傾向にある。メディアで毎日主要候補のアピールが報道されるからだ」 / 「自民党は政策活動費の廃止に消極的でした、ところが高市氏などは急に廃止に変わった、何で国会中に言わないのか?」 / 「アタリ」が入ってなくて全部「ハズレ」のクジみたい 又は、「凶」しか入ってないおみくじ、そのうちの何本かは「大凶」 



 

2024年9月17日火曜日

【鈴木エイト氏が追跡3000日】旧統一教会と関係していた国会議員168人名簿|NEWSポストセブン

 

大杉栄とその時代年表(256) 1898(明治31)年12月6日~31日 「ホトトギス」第3号発行(1,000部を売り切る) 東海林太郎・浅沼稲次郎生まれる 地租増徴法案を含む予算案、憲政党(旧自由党)の賛成で衆議院通過 フィリピン全土に軍政布告 第二回蕪村忌 朝鮮独立協会解散(協会員逮捕)、万民共同会解散 キュリー夫妻、放射性元素ラジウム発見  

 

キュリー夫妻

大杉栄とその時代年表(255) 1898(明治31)年11月11日~12月4日 徳富蘆花「不如帰」連載 二葉亭四迷、海軍編修書記 山県首相、憲政党との提携成立を声明 第13議会(衆院議長は憲政党片岡健吉) 狩野亨吉、一高校長に転出 より続く

1898(明治31)年

12月6日

島崎藤村、詩集「夏草」。

12月7日

栄禄、武衛軍を編成、袁世凱の新建陸軍は武衛右軍として配属される

12月8日

地租増徴案・地価修正案、議会提出。憲政党(旧自由党系)が与党となり衆院通過。

星亨は、党内を説得するとともに、政府から譲歩も引き出す。

①増税率の低減。当初2分5厘⇒4分のところ、3分3厘とする。

②地租算定の基準となる地価の地方的不均衡の修正(とくに地価が不当に高く評価されている地方にこれを行う)。

③増徴に5年間期限を付す。

④従来地方負担とされてきた監獄費を国庫負担とし、地方負担の軽減を計る。

⑤議員歳費800円を2千円に増額。田中正造のみ歳費を辞退。

12月8日

久野村鉱毒事務所で足利郡役所と「村治上ニ就」て協議する(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。

12月10日

「ホトトギス」第3号発行。1,000部を売り切る。


「「ホトトギス」は好調だ。

といっても、それはあくまで同人誌的文芸誌の範囲内でのことで、原稿料は出せないのである。しかし雑誌の売上げだけで編集専従者、つまり虚子の生活をきわどくであろうと支え得るかが「ホトトギス」の主題のひとつであり、「ホトトギス」永続の条件であった。

明治三十一年十一月発行の東京版第二号は千二百部印刷した。すると二百部余った。十二月十日発行の第三号は千部にした。今度は全部売り切ったうえに、少し足りなかった。虚子は「ホトトギス」の実力を、千部と見きわめた

千部刷って九百部売る。それでも文芸誌としては望み得る最高の堅調さである。一部十銭で九十円の売上げ。紙、印刷、流通などの基本経費が一号あたり六十円として、三十円余る。その三十円が編集費であり、虚子の一家の生活を支える日常費となる。

十二月、第三号を発行し終えた虚子は、それまでの金銭の出入りを計算してみた。

第一号から第三号までの基本経費は合計で百八十円、第一号を増刷したから二百円と少しかかった。一方、編集費と日常費は、明治三十一年九月から十二月まで、あわせてやはり二百円ほどであった。十二月十日に第三号を発行し、年末までに済ませなくてはならない支払いを前に、虚子の手元の資金は底をついた。

(略)

明治三十一年の暮れをどう越すか。思案した末に、虚子はまず家賃十二円の家を引払った。碧梧桐はじめ子規門の青年たちにとやかくいわれた高い家賃の家から、おなじ神田の猿楽町内、四円五十銭の家に移った。印刷所は、新年号となる第四号からかえることにした。前の印刷所は料金の督促の仕方が気に入らず、そのうえ新しい方がいくらか安かったのである。知り合いから最大五十円は借り出せる。それでも年末にはいくらか足りなくなる。妻の身のまわりのものを買ってやりたい。子供にもせめて正月の晴れ着一枚は欲しい。」(関川夏央、前掲書)


12月11日

東海林太郎、誕生。

12月13日

パリ条約締結(米スペイン講和条約)

キューバ独立。勝利したアメリカはキューバ,プエルトリコ,フィリピン,マリアナを取る。

12月16日

中枢院では、朝鮮政府である義政府の役人を選出する案を出した独立協会の崔廷徳(チョェ・ジョンドク)によって投票が行なわれるが、選ばれた11人のうちに大逆罪人とされて日本に亡命している朴泳孝と、アメリカ国籍の徐載弼が含まれていた。朴泳孝の選出をめぐって、議長の李鍾建(イ・ジョンゴン)をはじめ守旧派の議員は投票を拒否。独立協会の内部でも論争になる。しかし、朴泳孝選出賛成派は議長の代理として尹始炳を推戴し、問題となった選出結果をそのまま断行。

これに対して高宗皇帝は、まず役人選出の案を出した崔廷徳と議長代理の尹始炳を解任し、罪人を選んだ議員を捜索して逮捕し、軍隊と行商人を動員して万民共同会の鎮圧に乗り出す。

そして、高宗皇帝はついに独立協会に解散命令を下すことになる。尹致昊、尹始炳、李承晩、崔廷徳など、多数の幹部は外国人の家に逃亡して、議会設立運動は失敗に終わる。

独立協会は翌1899年1月に解散され、独立新聞は同年の12月に廃刊されることになる。

12月17日

チェーホフ「かもめ」、モスクワ芸術座で上演

12月18日

上野の西郷隆盛像の除幕式。隆盛未亡人は「主人に似ていない」とつぶやく

12月19日

河田小竜(75)、没。土佐藩士、中浜万次郎取り調べを行う。

12月20日

地租増徴法案(2.5%→3.3%)を含む予算案、憲政党の賛成で衆議院を通過。5年間の限定実施。27日、貴族院通過、成立。見返りとして憲政党の要求の一つである府県郡制の改革は、明治32年(1899年)3月16日に施行。

12月21日

米、マッキンレー大統領,フィリピン全土に軍政布告.「友愛的同化」宣言発する.

12月22日

高野房太郎、横浜鉄工共営合資会社を開業、その専従となる。

12月23日

藤田たき、誕生。津田塾大学学長。

12月24日

第二回蕪村忌

鳴雪、五城、四方太、繞石、麗水、豊泉、世南、廉郎、虚子らが集まり、子規は露石から送られた天王寺蕪を使って風呂吹きでもてなす。

「蕪村忌の風呂吹くふや鴨の側」の「鴨」とは、虚子が持ってきた鴨で、『雲の日記』には22日に「虚子鴨を風呂敷に包みて持て来る。盥に浮かせて室内に置く」、24日には「蕪村忌小会、今日は鴨の機嫌殊によし」、28日には「朝、目ざめて聞けばね鴨逃げて隣の庭に行きたりとてののしる」とある。

鴨は、そのうち隣の陸羯南の家の庭にある池に放される。子規は、カモを背負って陸の家に持っていき、石の上に眠る鴨を見届けて帰る。鴨はそのうち死んでしまったという。

12月24日

ヘルマン・ハイエルマンス「ゲットー」、アムステルダム・オランダ劇場で初演。

12月25日

朝鮮政府、詔勅により独立協会解散命令、協会員逮捕。万民共同会も解散

12月25日

フィリピン、砂糖プランテーション地帯の西ネグロスが独自の州政府樹立。

12月26日

キュリー夫妻、放射性元素ラジウム発見

12月27日

浅沼稲次郎、誕生。

12月28日

酒造法改正、公布。30日、地租条例、改正公布。地租、2.5%から3.3%に増加。翌1899(明治2)年2月13日、改正所得税法、公布。27日、醤油税則改正を公布。

日清戦後の第2次増税。

12月29日

~30日 貴族院に「鉱毒事件ニ付附託セラレシ」26名の特別委員への訪問運動を行う(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。

12月31日

この日の虚子

「十二月三十一日、夜更けても東京中心部に人出は絶えなかった。長兄の送金百円で印刷所の未払いを処理し、子供の晴れ着を買って、つつましい正月の準備を終えた虚子だが、大みそかの夜はなんとなく落着かなかった。十二時近く、最後に残った五円を手に神田の街へ出掛けた。

深夜でもあけていた勧工場へ入って買物をした。勧工場はデパートの前身である。

欲しいものがあったわけではない。とにかく消費したかった。夏以来つづいた雑誌実務の多忙がもたらした緊張感の反動であろう。雑多な商品で懐と袂をふくらませて帰宅した。まだ余っていた二円を妻にわたし、何でも買ってこい、といった。すでに明治三十二年一月一日になりかわっていたが、妻もおなじ気分で夜の街区へ出掛けて行った。」(関川夏央、前掲書)


つづく


トランプ氏暗殺未遂の容疑者特定 米メディア(AFPBB) / 「取り押さえられた犯人(58歳)はノースカロライナ州出身でハワイ在住の白人。SNSにウクライナ支援の投稿を繰り返していたよう。」 「彼は共和党支持者で2016年にはトランプに投票していた。 しかしトランプのウクライナ政策を聞いてからヘイリー支持に転じた。 銃を持っていたので取り押さえられただけで、発砲したのは警官だった。」

 

 

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2024年9月16日月曜日

封じられた“第四の被曝(ひばく)” -なぜ夫は死んだのか-(NHK);「私たちの社会が、その存在すら忘却してきた被ばく事件がある。1958年、海上保安庁の船「拓洋」と「さつま」の乗員113人が被ばく。その1年後、乗員の永野博吉さんが急性骨髄性白血病で命を落とした。妻の澄子さんは事件の実態を知らされずにその後の人生を過ごしてきた。1945年、広島・長崎への原爆投下。1954年のビキニ事件。それらに次ぐ“第四の被ばく”とも言える知られざる事件。その実態に独自取材で迫る。」  / 「第四の被ばく」米文書“日米で巧みに対処”の記載も(NHK)   

 

大杉栄とその時代年表(255) 1898(明治31)年11月11日~12月4日 徳富蘆花「不如帰」連載 二葉亭四迷、海軍編修書記 山県首相、憲政党との提携成立を声明 第13議会(衆院議長は憲政党片岡健吉) 狩野亨吉、一高校長に転出    

 

徳富蘆花「不如帰」絵葉書

大杉栄とその時代年表(254) 1898(明治31)年11月1日~10日 「東亜同文会」設立 憲政本党結成(旧進歩派) 第2次山県内閣成立(超然内閣復活) 『ホトトギス』第2巻第2号(子規『車上所見』『雲』『山』、漱石『不言之言』) より続く

1898(明治31)年

11月11日

梁啓超、横浜華僑の鴻鏡如らの資金援助を受けて、横浜に移り『清議報』(10日毎に発行するミニコミ紙)を創刊。

この年の冬、梁啓超は「戊戌政変」に関する記事を連載し、後に『戊戌政変記』として1冊にまとめる。

この頃から、孫文ら過激な「革命派」に比べて、穏健な梁啓超が「改良派」と呼ばれるようになる。

11月12日

室田忠七の鉱毒事件日誌より


東京の鉱毒事務所より室田宛に書面が届く。そこには堤防築造について、吾妻・植野・界と久野の間で利害対立を煽る動きがあることが次のように述べられている。また1500万円の渡良瀬川改修大計画が図られていることが述べられている。

「四方八方ヨリノ通信ニ依レバ驚入候。果シテ其ノ事実ノ真偽ハ知ラザレトモ、近頃マタ加害者ノ間牒(諜)村々ニ出没、堤防新設ニ付回シ吾妻・植野・界・久野ノ間ヲ離間シ、夫レガタメ一般被害民ハ非常熱心ナルニモ関カワラズ、堂々タル有名ノ有志ニシテ瞞着セラレ、二十九年以来堤防請願ノ貫徹シテ漸ク茲ニ至リ一千五百万円大事業トナリ。素人ニテハ到底分ラザル大経画ナルニ、各々字々ニ割拠シテ眼小豆ノ如ク亦タ近眼ニシテ一寸先ハ真暗ニシテ愚論ヲ唱フルハ、一般ノ利害ヲ省リミズ政府ノ事業及ヒ外村々ノ妨害ヲ為スモノナリ」


11月12日

ジョン・中浜万次郎(72)、没。

11月18日

近衛秀麿、誕生。

11月20日

高等師範学校と高等商業学校との軟式テニス試合。テニス試合のはじめ。

11月22日

二葉亭四迷、海軍編修書記となる。月給50円。~明治32年7月頃。

26日、父吉数(60)、没。

11月23日

朝鮮、万民協会参加の市民学生による皇国協会本部襲撃、死傷者多数

11月23日

漱石、狩野亨吉から、文部大臣が第一高等学校校長に推薦した件を聞く。

11月29日

朝鮮、独立協会の議会設立の要求が受諾され、中枢院議員50人が選出される。万民共同会の会長尹始炳と李承晩が含まれているが、独立協会および万民共同会の関係者は過半数に及ばない17 人にとどまる。

11月29日

労働組合期成会幹事会、高野房太郎、常任幹事を辞任。後任片山潜。同日鉄工組合の参事会でも、高野、常任委員辞任。

11月29日

徳富蘆花「不如帰」連載(「国民新聞」11月29日~翌年5月24日)。

改稿して、1900年(明治33年)1月15日、民友社から『小説 不如帰』が刊行されベストセラーに。

初版1000部は1ヶ月で完売、2年間で1万部を売り上げ、蘆花が没した昭和2年には190版を重ね、50万部を売りつくしたという。虚子は「小説に 涙を落とす 火鉢かな」の句を詠んでいる。

11月30日

山県首相、憲政党代議士を招き茶話会を開催、憲政党との提携成立を声明。

隈板内閣陸相桂太郎、憲政本党成立後、主に星亨を通して憲政党との間に提携交渉を開始。第1次山県内閣下の第1議会で自由党土佐派と妥協して局面を打開して以来、桂と自由党系との間には「友誼上の関繋」が維持されている。

提携は第13議会直前に3条件で妥結。

①現内閣は超然主義を執るものにあらずとの宣言を発する。憲政党と提携して議会に臨む旨を公然発表する。

②憲政党の綱領を採用する(選挙権拡張や鉄道国有等の積極政策を政府が法案提出する)。③憲政党と利害休戚を同じうする(議会後に憲政党員を閣僚・官吏へ登用)。提携方式による超然主義の修正。

超然主義変質を促進させるが、同時にそれに伴う政党勢力の進出に対抗する措置も打ち出す。

①1900年5月、陸軍省官制・海軍省官制改正により、陸海軍両大臣・両次官の現役将官専任制を確立。陸海軍両大臣は現役の大将・中将、次官は現役の中将・少将を補任するものとする。

②1899年3月公布の文官任用令改正、文官分限令制定、文官懲戒令制定により専門官僚制を徹底させ、政党員の就官増大に歯止めをかける。


12月

後藤宙外「新機軸」(春陽堂)

12月

河井酔茗、河野鉄南、宅雁月ら、浪華青年文学会堺支会を結成、酔茗宅に本部を置く。与謝野晶子の弟籌三郎も会員。

12月

狩野亨吉が第一高等学校校長に転出。

12月

パリ、画商アンブロワーズ・ヴォラール(1865~1939)がゴーギャン(50)作品に関心を示し始める。 

12月3日

第13議会(衆院議長は憲政党片岡健吉)。~明治32年3月9日。

第2次山県内閣、憲政党を抱込み地租増徴案通過させる。一方で、議員歳費800円を2000円に増額する案を提案。田中正造、憲政本党を代表して反対演説。議会通過後、正造は歳費全額を辞退。

12月4日

東京音楽学校、定期演奏会。


つづく