2020年7月16日木曜日

慶応4年/明治元年記(19) 慶応4年(1868)4月16日~20日 大鳥圭介脱走軍、小山・宇都宮占領 榎本武揚、新政府に軍艦を引渡す(優秀艦は手元に残す) 仙台・米沢・二本松藩の会津謝罪周旋 

慶応4年/明治元年記(18) 慶応4年(1868)4月12日~15日 大鳥圭介率いる旧幕府軍、日光へ向かう(前軍に土方歳三) 奥羽鎮撫軍の一部、庄内征討のため新庄へ 徳川慶喜、水戸で謹慎生活に入る
より続く

慶応4年(1868)
4月16日
・大鳥圭介脱走軍、結城で長州藩祖式金八郎指揮の新政府軍を破る。17日、小山占領。
小山攻防戦
新政府に恭順の宇都宮藩、大鳥脱走軍北進の報を聞き、東山道先鋒総督府(甲州柏尾で甲陽鎮撫隊を撃破)に援軍要請。東山道軍は、軍監香川敬三(水戸)に、有馬藤太(薩摩)・祖式金八郎(長州)・平川和太郎(土佐)等の幹部を付け、彦根藩2小隊・岩村田藩1小隊・須坂藩1小隊等を与え宇都宮藩救援に向かわせる。しかし、香川隊は途中で、宇都宮に向かう香川率いる本隊と結城藩(佐幕・尊王両派の内戦状態)鎮撫に向かう祖式隊の二手に別れる。香川の宇都宮城到着後、大鳥脱走軍が宇都宮方面に北上との報が入り、香川は祖式隊と合流して大鳥脱走軍迎撃を目論み、自分が率いる部隊に加え、近隣の館林・壬生・笠間藩兵を率い宇都宮南方の小山に出陣。しかし、大鳥は香川の意図を逆に利用し、小山近辺で香川隊・祖式隊の各個撃破を試みる。
こうして、小山で4回に渡り香川隊と大鳥脱走軍(最初に草風隊・貫義隊・凌霜隊が戦う。これらはこの時点では大鳥指揮下にはないが、後に大鳥指揮下に入る)は戦闘、兵力・兵の質・指揮官の能力で大鳥脱走軍が香川隊を凌駕し、4度の戦いに全て勝利、香川隊を敗走させる。香川は宇都宮城に逃げ込み、東山道軍総督府に援軍を求める(援軍到着前に第1次宇都宮城攻防戦が始る)。
・新選組、宗道にて宿陣。永倉新八の靖兵隊は岩井において大鳥軍に合流、後軍に入る
・勝海舟、政府から軍艦取り扱いを委任され、榎本武揚と軍艦引渡しの件で交渉するため館山出張。17日、榎本ら、品川に戻る。徳川家処分に悪影響を与えるのを配慮、また軍艦引渡しは一部に止めるとの協定が成立し、勝の説得に応じる。19日、東海道先鋒総督府より榎本に軍艦4艦を与えるとの達し。24日、東海道総督府参謀木梨精一郎・海江田武次連名で、勝宛に幕府引渡し軍艦で徳川脱走兵を攻撃しないとの手紙。28日、軍艦引渡し完了(観光は廃船同様、朝陽は気罐故障、翔鶴はもと輸送船、軍艦として役に立つのは富士山艦のみ)。榎本のもとには新鋭軍艦開陽・回天・蟠竜など優秀艦が残り、榎本艦隊は江戸湾に居座る。
・福井藩、藩士・全領民に、「人心の塞りを除き、上下の情を通すため、目安箱を評定局大橋詰へ指出す」と周知。
4月17日
・長岡藩河井継之助、全藩士に武備中立、状況に応じて臨機の措置をとると表明。
・官軍、宇都宮集結、東山道総督に救援求める。18日、東山道軍本隊、板橋発。同日、因州・土佐藩隊、宇都宮に向かう。
宇都宮城救援軍の派遣
宇都宮城の香川から援軍要請を受けた東山道軍総督府は、宇都宮城救援軍派遣を決定。東山道軍内参謀(鳥取藩士)河田景与(左久馬)を指揮官とし、河田の手勢鳥取軍3小隊(天野祐次隊・支藩石川豊太郎隊・山国隊)及び佐分利鉄次郎砲兵隊に、幕臣大久保氏の手勢1小隊・吹上藩半小隊と松本藩半小隊による合併1小隊を加えた鳥取軍半大隊を編成。これに土佐軍5小隊による半大隊(迅衝隊1番日比虎作隊・2番小島捨蔵隊・5番宮崎合介隊・6番真辺戒作隊・11番平尾左金吾隊、及び北村長兵衛砲兵隊)を組み合わせた1大隊相当の救援軍第1陣(鳥取・土佐軍)を編成。17日、河田はこれを率い出陣。更に、東山道軍参謀(薩摩藩士)伊地知正治率いる薩摩藩城下士小銃5番隊(野津鎮雄)・長州藩施条銃足軽第1大隊2番中隊(楢崎頼三)・大垣藩2小隊(中島武左衛門隊・鳥居勘右衛門隊)及び砲1門・忍藩1小隊による救援軍第2陣と、薩摩藩城下士小銃6番隊(野津道貫)・2番砲兵隊半隊(大山巌)・大垣藩2小隊(長屋盆之進隊・小出五平次隊)による救援軍第3陣を編成し、18日に出撃させ。河田の第1陣は野州壬生城に向かうが、伊地知の第2陣は常陸岩井に別の旧幕府軍(旗本が編制する純義隊・誠忠隊・回天隊)の駐屯を知り、これを攻撃するため岩井に向かう。20日、槍刀部隊の純義隊・誠忠隊・回天隊は、伊地知の第2陣の攻撃を受け、逃走(のち大鳥の指揮下に入る)。
・下館藩開城事件。
・衝鋒隊、柏崎に到着。
・新選組、下妻に入って、第1伝習隊隊長秋月登之助強談す。土方は下館に先登。下館藩に金子を受け、秋月隊と合流。
4月18日
・土佐藩長岡謙吉、讃岐諸島鎮撫のかたわら海軍創設建白書提出。
・山国隊、市ヶ谷発。20日、古河発、壬生城入り。
・仙台・会津両藩兵、土湯峠で戦闘。両軍士気が上がらず膠着状態。仙台(米沢)は会津・庄内藩に同情、救済に動く。
・仙台・米沢・二本松藩の会津謝罪周旋(二本松藩は16日から参加)
この日、米沢・二本松・仙台藩使者と会津藩家老梶原平馬(26)・内藤介右衛門・一瀬要人が謝罪降伏条件について会談。翌19日、仙台藩は鎮撫使の会津征討圧力強く、国許に戻る。二本松藩も戻り、周旋は米沢藩のみが行う。同日、米沢藩使者と会津藩梶原・内藤・山川・手代木・伊東らが開城について会談。
・会津藩砲兵隊長日向内記、藩主護衛の任にある白虎士中2番隊頭に任命。
・新撰組、蓼沼に宿陣
4月19日
・大鳥圭介脱走軍(新選組等前軍)、宇都宮城攻略。蓼沼へ戻って宿陣。20日、全軍、宇都宮に入城、城内の米を市中に配す。23日、回復。
第1次宇都宮城攻防戦
小山の戦い後、宇都宮城に逃込んだ東山道軍軍監香川敬三(水戸)は、東山道軍に援軍を求め、更に近隣の烏山藩にも援軍を求め、派兵された烏山藩3小隊を含め300余で宇都宮城に篭城。香川は、大鳥脱走軍中・後軍とは別の軍勢(秋月・土方率いる前軍)が下館方面より進軍中との報が入り、迎撃のため宇都宮城南東方面に出撃するが、これが大軍である為、後退し、宇都宮城から田川を隔ててすぐの簗瀬村に布陣。秋月・土方の大鳥脱走軍前軍は、右翼伝習隊第1大隊、中央桑名藩兵、左翼回天隊・新選組で攻撃開始。宇都宮守備軍は兵力で劣勢であり、伝習隊の最新鋭銃シャスポー銃の猛射撃は、旧式装備の彦根藩兵・信州諸藩兵、野州諸藩兵では相手にならず宇都宮城に逃げ込む。大鳥軍は、桑名藩兵・回天隊・新選組・砲兵等が南部の下河原門を、伝習隊が北部の大手門を攻撃。夕方、香川隊と宇都宮藩兵は城西の松ヶ峰門から脱出。香川等の新政府軍幹部は大鳥率いる中・後軍を避けるように下総古河に(後、有馬は河田救援軍に合流)、宇都宮藩藩主一向は上州館林藩に逃亡。この間、城下が放火され城下町・城内・本丸・ニ荒山神社(城北部の明神山)が焼失。この火災の為、大鳥軍前軍はこの日入城出来ず、翌日宇都宮城に到着した大鳥圭介率いる中・後軍が先に入城。
この頃、宇都宮藩内は農民一揆が続発、農民の心は宇都宮藩から離れており、大鳥にとっては農民の支持を得て長期対陣し策源地にするとの判断もあるが、城下町が焼失したため、策源地として利用出来なくなり恒久的根拠地たりえなくなる。また、戦火に見舞われた民衆の為に炊き出しを行い、手入した宇都宮城内の米を供出し、思わぬ支出となる。
・庄内藩、全藩に動員命令、防御態勢とる。総指揮松平権十郎含む5人の軍事掛。4大隊1200。清川口には家老松平甚三郎ら200と農民志願兵。大綱口には家老酒井兵部ら160と博徒・人足200。羽黒山口には番頭水野藤弥ら100。海岸線の吹浦口には家老石原倉右衛門ら300と農民100。本丸鶴ヶ岡城には歴戦の新徴組など。
・会津藩士佐川官兵衛、朱雀4番隊長として越後に向う。
4月20日
・奥羽鎮撫軍庄内征討軍(沢副総督・大山参謀)、上ノ山発。山形を経て天童城下入り。新庄・長瀞藩に庄内征討出兵命令。
・秋田藩、政府派遣の長屋・山本両督軍に対して、庄内征討は薩長の私戦との説強く、庄内を門罪のうえ罪を明確にしないと兵勢振るわずと、討入り猶予を願出る。
・神奈川裁判所、旧幕府神奈川奉行の外交事務を接収
・在長崎各国領事、キリスト教徒弾圧に抗議

つづく

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