2023年6月2日金曜日

〈藤原定家の時代379〉建仁3(1203)年7月4日~19日 『吾妻鏡』に鳩の死の記事(不吉な予感) 定家、有馬で湯池保養 その後、後鳥羽院の水無瀬殿に向かう 定家、良経の春日詣に供奉(7/16~18)      


 〈藤原定家の時代378〉建仁3(1203)年6月1日~25日 定家、足の腫れに対して蛭による瀉血療法を始める 「蛭を飼う」 和歌所影供歌合 より続く

建仁3(1203)年

7月4日

「未の刻、鶴岡八幡宮、経所と下廻廊と造合の上より、鳩三喰い合い地に落ち。一羽死ぬ。」(『吾妻鏡』)

同9日「辰の刻、同宮寺閼伽棚の下に、鳩一羽頭切れて死す。この事先規無きの由、供僧等これを驚き申す。」(『吾妻鏡』)

7月7日

・季夏より、有馬の湯屋に在り。今朝、この山上人の湯屋に渡り坐す。此の処の地形、もっとも幽なり。高山に対し、遠水を望む。今日、水場を始む。(『明月記』)

7月8日

・牛の時、微雨の中、輿に乗り、厳径を攀じ、山奥の飛滝を見る。其の高さ三丈ばかり、雲涯を出ずるが如し。相ついで、女体権現に参ず。和歌と詩を柱に書いて、宿に退く。(『明月記』)

7月9日

・後鳥羽院、熊野御幸。~8月3日。

7月10日

・若狭三方郡向笠が伊勢神宮領となる。

7月10日

・定家、有馬での保養の後、京には帰らず、後鳥羽院の水無瀬殿に向かう。江口で遊女の家で、清明の月を見る(定家にしては珍しい風狂)。

遅明、社頭に参ず。すなわち路に赴く。輿遥かに山野を過ぐ。未の一点、神崎の宿所に着く。しばらく休息するの後、申の一点ばかりにここを出て船に乗る。夜に入り、江口に着く。船を下り、遊女三位の宅(この人、天王寺に参じて留守)にて、一寝す。院、瘧病重く発りおわしますと。晩、月清明。(『明月記』)

7月11日

・江口を出て、船に乗る。酉の時許りに、赤江にて船を下り、輿に乗る。鳥羽の席門に於て、車に乗り、日入るの程、冷泉に帰る。無事に帰着したことを悦ぶ。これを以てなぐさめとする。本病、未だ癒えず、恨みをのこすといえども、小減なきにあらず。(『明月記』)

7月15日

・九条道家(良経の子)の中将の拝賀。定家が供をする。

『石清水八幡若宮撰歌合』、判者俊成。

7月16日

・阿野全成の子、頼全、京都東山延年寺で在京御家人により殺害される。

7月16日

・定家、良経の春日詣に供奉。~18日。

春日詣。未明に、人々ようやく参入すと。前駆の声を聞き眠り覚む。日出づる以前、右大丞過ぎらる。刻限に臨み、装束を着けるためなり。辰の時許りに束帯して参上す(これより先、北政所に、出車を献ず)。今日、沛艾(はいがい)の馬一匹、この中に在り。例の番長久清騎すべき由、諸人目を澄ますの間、敦近が乗った。舞人渡り終るの間、下官、かねての仰せにより北政所御見物の車を寄す。七条院、密儀に御見物と。稲荷を伏拝する辺りに於て、馬に乗りかえ、木綿山に於て輿に乗り、馳せ奔る。

宇治の船津で一行を待ち、僕従を皆宿所に寄せ、食事をさせた。急ぎ出づべき、を下知す。程を経ず、御車着きおわします。御沓を取り、御船に参ず。良輔、舟中に御坐す。少納言と食事を進む。

船を下りて騎馬し、八幡に於て伏礼。又御沓に候す。これより先陣し、贄野の池に於て輿に乗る。又束帯を脱ぎて騎馬し御車の前近くに在り。

法華寺の鳥居の辺りに於て、松明をとり、佐保の殿所に入らしめ、庭に於て拝さる、例の如し。ついで、入りおわします。予、退かず、御前に在り。明月蒼然たり。勝地、感を催すこと頻りなり。御眺望、数刻の後、人々参入す。亥終計りに、出でおわします。予、御沓を献ず。殿上人眺望を見に来らず。予、私の優を以て、大弐に申さしめていう、御装束に奉仕する人なしと。社頭の鳥居の下に於て、これを申す。兼時に参ずべき由仰せらる。ついで、下りおわします。予、御沓をとる。祓殿の儀、例の如し、長俊、ついで陪膳。西の中門の外に於て、剣を解き、尻を懸く。笏(こつ)を取りて棚の下に進み寄り、ひざまずき、笏をはさみて、棚を昇き起つ。神人引導す。薦(こも)を敷き、棚を薦の上にと立て定めて、いささか立ちのきて、立ちながら、裾を垂れて笏を抜く。坐しながら一拝して立ち、退きて帰る。その後、役がないので、ひそかに退出す。予宿所に臥す。時に夜半を過ぐるか。今夜、到着殿に御着きなり。(『明月記』)

7月17日

・巳の一点に装束し(青朽葉の下襲(したがさね)を着く)、到着殿に参ず。午の一点許りに出でおわします。中将殿、御沓を取らしめ給う(女郎花の表袴、萩三重の下襲)。予。取り継ぎて御沓を献ず。御笏を中納言殿の御車の簾にさす。各々騎馬す。

黒木屋の前に於て、御牛を放ち、しばらく榻(しじ)を立つ。公卿皆散ずるの後、中将殿御沓(予、仰せによりて、扶持し奉る)、下りおわします。中将殿、下襲の尻を取りおわします。歩み進ましめ給うの間、これを置き給う、北の階を昇らしめ給い、御沓を取る。中将殿、笏をはさみて、取らしめ給う。殿下の御随身、誤りてこれを取り、前駆に沓を給う。東の檻の下に、立ち給わしめ給う(予、同じくここに在り。仰せによるべきなり)。公卿次第に昇る。刑部卿、列に加わる(各々西の階を昇りて、座に着く)。僧綱東北の階を昇りて、着座し終る。中将殿、同じ階を昇りて、北面の簀子に候せしめ給う。予、この後、南面を廻り、殿上人の座に加わりて着く。次いで舞人御馬に上る。ついで馬を馳す。舞終り、舞人御前を渡りて、饗に着く。

予、座を起ちて閑所に入る。中将殿又起ちて、入らしめ給う。閑所より密々に御退出。御車の下に参じて帰り入り、又座に着く。この間に、童舞・万歳楽・地久あり。ついで還城楽。ついで馬を引く。ついで僧綱以下退下す。公卿以下起ち、下りて立つ。良経下りおわします。予、御沓を取る。申の刻、佐保殿に入りおわします。事終りて分散し、予退出す。今日の早速(はや)きこと、未曾有か。宿舎に帰る後、私に御社に参じて奉幣す。秉燭、宿舎に帰る。今夜窮屈、帰参するあたわず。(『明月記』)

7月18日

「御所の御鞠なり(今日以後この御会無し)。」(「吾妻鏡」同日条)。

7月18日

・日出づる以後、束帯して(野剣)、佐保殿に参ず。良経御装束終る。舞人を召す。院の御随身三人、皆、水干狩襖を着す。ついで纏頭。ついで、人々下り立つ。良経、下りおわします。予、御沓を取る。ついで各々騎馬し、十町許り、中将殿の御車に供奉す。

予、泉木津に於て、ひそかに船に乗る。衣を脱ぎて休息。鳥羽の方より、申始許りに九条に着く。又束帯す。此の間、御車着きおわしまし、即ち入りおわします。検非違使二人に馬を給わり、各々これに召す。御随身、御馬を引き出すなり。これを給わりて、退出す。入御、御輿を以て、南殿に還るの由、仰せらる。よって、下りて九条に在り。(『明月記』)

7月19日

・早旦、召しあり。用意せざるにより、昨日の装束を着して、参上す。中将殿、布衣にて、客亭た出でらる。予、御前に候す。良経、簾中にて御覧ず。中将殿、蘇芳生の御衣を取りて給う。予、これを取り、これを被く。退出するの後に、休息。昼又参上す。(『明月記』)


つづく

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