2024年6月21日金曜日

大杉栄とその時代年表(168) 1895(明治28)年10月15日~31日 一葉日記 「文学界」同人評(眉山、孤蝶、禿木、秋骨、上田敏) 文名が上がるに伴う不安 しかしもはや引き返すことはできないという自覚  

 

山田美妙

大杉栄とその時代年表(167) 1895(明治28)年10月8日~15日 一葉の文名が上がり大西祝や依田学海が会いたいと言ってると告げられる 松山で子規の送別会 一葉随筆「雁がね」「虫の声」 漱石に兄直矩より見合い写真が送られてくる より続く

1895(明治28)年

10月15日

~31日。この間、関如来の来訪4回。用事があって来るのもあるが、ないのに来るときもあった。角雑誌の「にごりえ」の評を郵便で寄越す。頼まれていた縁組の件で、写真を下さいと言えば、すぐに送って寄越す。武骨に見えて子供っぽいかわいらしいところがある。


「木強(ぼくきやう)の男とふと見ゆめれど、物なるゝまゝに、おきな子のやうなる所うつくし。」


「文学界」同人について;

このころかち眉山と如来がしばしば来訪するようになる。反面、禿木とは疎遠になっている。秋骨もよく来訪したが、母と邦子が嫌うので「いかがはせん」と日記に記している。上田敏もよく来訪している。

〇川上眉山は頻りに来る。今月に入って4,5回は来ている。一度は如来と連れだって来たが、その次の時、二人が偶然はちあわせになった。二人とも話がしどろもどろになり、恥ずかしがっていたのがおかしい。


「我れにこゝろなければ、何ともおもひたらねど、二人の面(おも)やうのをかしき、物がたりのしどなさ、おもひがけず落あひしを恥あへるさま、「男も猶、ものつゝみはなす成けり」とをかしかりき。」

(。私は特別な感情を抱いていた訳ではないので、何とも思っていなかったが、二人の顔つきのおかしさ、話しぶりのしどけなさ、思いがけずかち合ったのを恥ずかしがる様子など、男もやはり気兼ねはするのだなと可笑しかった。)


〇彦根中学に勤め始めた孤蝶からの手紙について。今月に入ってから手紙は三通、長いものでは巻紙6枚を重ねて2枚切手の大封じである。一度は名所古跡の写真が2枚、紫式部の源氏の間(石山寺にある、紫式部が「源氏物語」を起筆したと言われる場所)などというものを送ってきた。いつもの細やかでつつみない言葉、自分の恋人に送るようなことがかいてあるのもおかしく、誠実な人なので自然と励ますような言葉も見られるようだ。心美しい人であるよ


「此月に入りてより文三通、長きは巻紙六枚をかさねて二枚切手の大封じなり。一たびは名所古址の写真二葉、紫式部源氏の間などいへるをおくりこし給へり。例のこまかにつつみなき言の葉、わが恋人にやるやうの事かきてあるもをかしく、誠ある人なれば、おのづからはげますやうのことの葉などもみゆめり。こころうつくしき人かな。」

〇禿木とは今月一度も会っていない。細々とした手紙は来るが、孤蝶と一葉との間にあらぬ仲があるのではと疑って、少し妬まし気なことも書いてあって煩わしいので、返事はしなかった。向こうから二度ほど訪ねてきたが、妹邦子の取り計らいで帰した。才能はあるのだが、みっともないところがあるのが情けない。


「平田ぬしには此月たえて逢はず。文こまごまとおこしつれど、孤蝶ぬしとの間に物うたがひを入れて、少しねたまし気などの事書てありしもうるさければ、返しはやらず成りにき。みづから二度ほど訪ひ来しかど、国子の取はからひて、門よりかへしぬ。才子なれども憎くき気のあるぞ口をしき。」


〇戸川秋骨も何度私を訪ねただろうか。大体毎週土曜の夜に来て、来れば11時を過ぎないで帰ることなどない。母も妹もこと人を嫌う。ある伴、眉山と来て語ってるうちに、興奮しだした時の恐ろしかったこと。「どうしよう、どうしよう、この家を離れがたい」と打ちふるえるのに、眉山も呆れながら、辛うじて一緒に連れ出した。翌朝早くに詫びる手紙をよこしてこれまで通りのつきあいを求めてきたが、気味の悪い哲学者だ

秋骨自身はユーモアのように心得て振舞っていることでも、一葉に快感を与えなかったようである。


「さる夜、川上君と共に来て、物がたりのうちにふるひ出(い)でぬる時などの恐ろしかりし事よ。「我れはいかにするとも、此家の立はなれがたきかな。いかにせん、いかにせん」とて、身をもみぬ。みづから、「こは怪し、怪し」といひっゝ、あと先(さき)見廻しつゝ打ふるふに、川上ぬしもたゞあきれにあきれて、からく伴(ともな)ひ出て送りかへしぬ。「其夜、なき寐入(ねい)りにふしたり」とて、あくる朝まだきに文おこしぬ。うちにさまざまありけれど、「猶親しき物にせさせ給はらずや。いかにも中空(なかぞら)に取あつかひ胎給ふ亊のうらめしき」など、書つらねありき。あなうたての哲学者よな」

〇優美なのは上田敏で、この人も最近頻りにやってくるが、全般に学問の雰囲気を漂わせて、洒落の気配など無いが、学生なのでその方が良いだろう。『桐一葉』の評を書くのを嫌がってあれこれ言い訳を言っているのも、高ぶってはおらず慕わしく思われる。とは言いながら心では世に立とうとしている人かもしれない。侮りがたくもある。


「されども、此人のは一景色(ひとけしき)ことなりて、万(よろづ)に学問のにほひある、酒落のけはひなき人なれども、青年の学生なればいとよしかし。「桐一葉」の評かく事をうがりて、かにかくといひわけなどいひ居(を)るも、たかぶらずしてなつかしう見えぬ。されども、心はいかならん。かく言ひ、かく見せて、世にたゝんの人なりや知りがたし。あなどりがたうもあるかな。」

〇考えるのも悲しいのは、争うの激しい世の交わったことだ。、、、だけどもどうしよう。舟は流れの上に乗った。隠れた岩に砕けない限り、引き返すことは難しいのではなかろうか。

桃水眉山など名の売れた作家たちでも実は金銭的には苦しく、また、嵯峨の屋美妙らの例から、人気の波や私生活の問題でも作家の苦しむことを知り、この頃から日記にしばしば不安を吐露している。自作の高い評価、またそれにより、文壇で名をなしていた年長の依田学海らから面会を請われるのも不安を煽った。


「さがのや」:

嵯峨の屋おむろ矢崎鎮四郎:明治22年(26歳)~明治24年頃、盛名はせる。昭和22年(84歳)没。

「山田の美妙」:

美妙山田武太郎。明治20年(19歳)「花の茨、茨の花」の完全口語体小説で世間を驚倒させる。明治21年「夏木立」の言文一致小説集で「東洋のシェイクスピア」とも呼ばれる。全盛期はここまで。明治28年暮、中島歌子の歌熟で一葉の友田沢稲舟と結婚。4ヶ月で破局。稲舟は明治29年9月10日没(22歳)。美妙は世間の攻撃にさらされる。明治43年(42歳)リンパ腺ガンで没。

「おそろしき世の波かぜに、これより我身のただよはんなれや。おもふもかなしきは、やうやうをさな子のさかいをはなれて、争ひしげき世に交(まじ)る成けり。「きのふは何がしの雑誌にかく書れぬ」「今日は此大家(たいか)のしかじか評せり」など、唯(ただ)春の花の栄(は)えある名計(ばかり)うる如くみゆる物から、浅ましきは其そこにひそめる所のさまぐ成けり。「わか松、小金井、花圃(くわほ)の三女史が先んずるあれども、おくれて出たる此人をもて、女流の一といふをはゞからず。たゝへても猶たゝへつべきは、此人が才筆」などいふもあり。「紫清さりてことし幾百年、とつてかはるべきはそれ君ぞ」などいふもあり。あるはとつ国の女文豪がおさなだちに比べ、今世に名高き秀才の際(きは)にならべぬ。何事ぞ、おととしの此ころは、大音寺前に一文ぐわしならべて、乞食を相手に朝夕を暮しつる身也。学は誰れか伝へし、文をば又いかにして学ぶべき。草端(そうたん)の一蛍(いつけい)、よしや一時(いつとき)の光りをはなつとも、空(むな)しき名のみ、仇(あだ)なるこゑのみ。我れに比べて学才のきは、なみなみならざりし、さがのやが末のはかなき事、山田の美妙が数寄(すき)の体(てい)、あはれ、あはれ、安き世の好みに投じて、この争ひに立まじる身、いか許(ばかり)かは浅ましからざらん。されども如何(いかが)はせん。舟は流れの上に乗りぬ。かくれ岩にくだけざらんほどは、引きもどす事かたかるべきか。」

(恐ろしい世間の波風に、これから私は漂うのであろうか。考えても悲しいのは、やっと子供の境界から離れて、争いのはげしい世界と交わることである。。昨日は或る雑誌にこう書かれたとか、今日はこの大家がこう批評したなどと、表面はまるで美しい春の花のように名誉だけを貰っているように見えるが、実はその底にひそんでいる色々な事が辛く苦しいのです。

「若松賎子、小金井喜美子、三宅花圃の三女史が既に世に出ているが、遅れて出たこの人を女流文学者の中の第一の人と言うことに遠慮はいらない。褒めても褒めても褒めきれないのはこの人の才筆」

というのもある。また、

「紫式部や清少納言がこの世から消えて既に数百年、今とって代るべき人は、この人より他にはない」

というのもある。或いは私を外国の女流文豪の幼少の頃と比べて褒めたり、或いは現代の秀才の仲間に入れて褒めたりする。何ということだろう。思えば一昨年の今頃は、大音寺前の通りに安い菓子を並べて、乞食同然の人々を相手に朝夕を暮していた身分である。学問は誰かについてまなんだというのか、文章もまたどうして学んだというのか。草の葉末の一匹の蛍のように、たとえ一時の光を放ったとしても、それは内実の伴わない虚名のみ、実効のない世間の声にすぎない。自分に比べて学問や才能のひと通りでなかった嵯峨の屋お室の末路のみじめなこと、山田美妙の不遇の有様、ああ、ああ、安直な世の噂好におもねって、この争いに参加した身が、なんとも情ない身の上でないことがあろうか。けれどもどうしようがあろうか。舟は流れの上に乗ってしまった。隠れた岩に当って砕けない限り、引き返すことは困難ではなかろうか。)

名声の不安に懐える一葉であるが、もはや引き返す途のないことを自覚してもいる。


つづく

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