2024年10月12日土曜日

大杉栄とその時代年表(281) 1900(明治33)年3月10日~27日 治安警察法公布 毓賢が山西巡撫に、袁世凱が山東巡撫となる 馬山浦事件 江南道観察御史高熙喆の上奏 「百姓の積年の恨みはいまや積もりに積もっているから、必ずや蜂起して洋人を襲い、戦端が開かれることになろう」  

 

馬山の位置

大杉栄とその時代年表(280) 1900(明治33)年2月15日~3月9日 イギリス労働者代表委員会(のちの労働党)成立 ロシア「東亜木材会社」設立 河北省浹水県でも拳法旋風沸き起こる 「短歌は俳句と違ひて主観を自在に詠みこなし得る」(子規) より続く

1900(明治33)年

3月10日

治安警察法公布

政治集会・結社の規制、労働・小作人運動を取締り。女子・未成年者の政談集会への参加も禁止。労働組合期成会活動を痛撃。保安条例廃止によって生じた空白を埋め、治安法制を統一強化するものとして立法される。

1887~90年代初頭に成立した一連の治安法令が改廃の気運にあった。

1887年制定交付の保安条例に対し、議会開設以来衆院で廃止を求める声が強く、政党側は毎期廃止の法律案を提出。また1892年公布の予戒令(治安維持の為の予防措置。警視総監又は地方長官は不穏な言動を為す者に対し、それを禁止する「予戒命令」を出す事ができる。第2回総選挙で政党側の運動を抑えるのに利用される)も、第3・4・8議会で廃止建議案が提出され可決。

こうした衆院の主張にも影響され、自由党と提携した第2次伊藤内閣は、第9議会に保安条例・予戒令を取捨合成した新法案(「治安警察法」)を提出。この時の「治安警察法」案は、第14議会の「治安警察法」とは正確・内容は大きく異なり、緩和されたもので、保安条例第4条に当る条項は含まれていない。第9議会に提出された「治安警察法」は、貴院において政党側の要求に迎合したものとして否決

続く第10議会で進歩党と提携した第2次松方内閣は保安条例・予戒令とならぶ治安法令である集会及政社法改正案(1890年制定、1893年改正。政談集会・街頭運動・政治結社の活動を規制する法律)を提出。改正案は、例えば制服警察官の集会への臨監を政談集会のみに限り、その濫用の可能性を小さくしたり、政治結社互間の「連結」を禁じた規定を撤廃しようとする。こうした日清戦争後の藩閥・政党提携により促進された治安法令改廃気運に乗って、1898年大隈・板垣への大命降下の翌日、第12議会を通過した進歩党議員提出法案に基づいて、保安条例廃止が公布される。

治安警察法起草は、隈板内閣板垣内相の下で着手されたとみられ、隈板内閣瓦解直後の1898年11月には原型ができる。集会及政社法が基礎となるが、政治活動制限が緩和されている事項もある。集会及政社法では政談集会参加もしくは発起人になる事を禁じる者に5つのカテゴリ(「現役及召集中ノ・・・陸海軍軍人」「警察官」「教員学生生徒」「女子」「未成年者」)があったが、治安警察法では「女子」「未成年者」のみとなり、「女子」についても、当初これを認める方針であったようであり、それを明記した草案・理由書案も残っている(最終的に「女子」の政治活動解禁は、1922(大正11)年)。他方で、集会及政社法(保安条例・予戒令にも)にない新しい取締規定が盛り込まれる。治安警察法起草の最終段階(1899年10月6日付草案)において、第17条(労働争議および小作争議取締規定)が突如出現。この規定は、この年ドイツ帝国政府が議会に提出し、社会民主党他の反対によって否決された「企業労働関係保護法案」の条項(ストにおけるピケッティング禁止)を参考にしたと云われる。

3月10日

高野房太郎、幸徳秋水らと共に普通選挙期成同盟会幹事に選任。

3月10日

感化法公布。各道府県に感化院を設置し入院該当者を規定。

3月10日

精神病者看護法公布。

3月10日

農工銀行法・同補助法各改正公布。各地の農工銀行による日本勧業銀行の代理貸し付けを開始。

3月10日

英のハリー・ジョンストンとブガンダ王、ブガンダ協定(ウガンダ協定)締結。ブガンダ王国が英ウガンダ保護領の1州となり、広範な自治を許される(ブガンダ王国は1894年にすでに英国保護領の一部だったが、この協定で保護領内の1州となる)。

3月11日

(露暦2/26)露、レーニンのみ刑期終えセント・ペテルブルク近くの町ブスコフ着。ペテルブルク居住は不許可。

3月13日

イギリス軍、オレンジ自由国の首都ブルームフォンテーン占領。

3月14日

前山東巡撫毓賢、山西巡撫に任命(袁世凱、代行から正式の山東巡撫に任命)。

3月14日

電信法公布。電信電話の政府管轄を明確化。

3月14日

アメリカ、金本位制確立。金準備高は1億5千万ドル。

3月15日

伊豆七島定期航路開始。発着所は東京鉄砲洲、年6回。

3月15日

イギリス政府、ボーア戦争の戦費をまかなうためカーキ国債公募。

3月16日

市町村立小学校教育費国庫補助法公布。教員の年功加俸・特別加俸の国庫補助を規定。4月1日施行。

3月16日

アメリカ、社会民主党結成。翌年社会党に。

3月18日

馬山浦事件。ロシア、韓国の馬山浦を海軍基地とするため利権を得ようとする。

3月19日

イギリス考古学者アーサー・エバンズ、ギリシャのクレタ島のクノッソスで遺跡発掘中、ミノア文明の遺跡発見。

3月19日

オーストリア元皇太子妃シュテファニー、エレメール・ローニャイ伯爵と再婚。ミラマーレ城。皇族は参列許されず。

3月20日

元新撰組島田魁、京都にて没。

3月22日

保険業法公布。保険業の免許制度を規定。

3月27日

江南道観察御史高熙喆の上奏。山東省高密県で洋人が鉄道を作る際に農民が邪魔をしたという理由で殺害される。中国人が洋人を殺せば、中国人数人の命・巨万の賠償金を要求。「百姓の積年の恨みは、いまや積りに積もっている」。洋人の横暴に、その怒りは頂点に達しようとしている。

〈山東高密県で鉄道をつくるさい、田圃の間を流れる川を塞き止めたりして、農民の生活に支障が発生した。そこで洋人の仕事の邪魔をすると、洋人は農民数人を銃殺した。また去年の三月、山東の日照県で、ドイツ人が農民一人を殺し、一人を傷つけた。洋人のこのような狂暴残酷に対して、地方官へ道理を申し伝えることが出来ず、まったく体をなしていない。中国人が洋人一人を殺したとすれば、かならず中国人数名の命を要求し、かつ巨万の賠償金を要求してくる。洋人は華民を犬や豚のように殺しているのだ。巡撫は道理に基づき尋問し、凶悪犯人を法律に照らして処罰し、百姓(ひゃくせい)の恨みを晴らせ。さもなくば、百姓の積年の恨みはいまや積もりに積もっているから、必ずや蜂起して洋人を襲い、戦端が開かれることになろう。かつ民は国家の根本である。洋人に勝手に華人を殺害させて何の咎めもないならば、真似をする者が続出し、わが中国はいったいどうして国家を成り立たせ得ようか。〉


つづく


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