(漱石の小説『三四郎』の中に登場する深見画伯のモデルとも言われる。Wikipedia)
1900(明治33)年
2月15日
英軍、ボーア軍に包囲されていた英3拠点の1つ、キンバリーを解放
2月17日
幸徳秋水「治安警察法案」(「万朝報」)。政府案を攻撃。
2月19日
清朝、形だけの拳会禁止布告。
2月22日
「禁止義和拳告示」公布。「会か不会か、教か不教は論じない。ただ、匪賊となって殺人を犯す者を厳しく取締る」従来の方針の確認。1月11日の西太后上諭を踏まえたもの。
2月23日
大審院、函館の娼妓坂井フタの廃業の上告について、原判決を破棄、自由廃業を認める判決。廃娼運動のはずみになる。
2月23日
林董が駐英公使に、小村寿太郎が駐米公使に任命される。
2月26日
品川弥二郎(58)、没。
2月27日
英、労働者代表委員会(のちの労働党)成立、ロンドン、労働組合、社会主義諸団体の代表者会議開催。独立労働党、労働組合会議、社会民主連盟、フェビアン協会など65の労働組合が参加。社会主義団体を代表する委員会である労働代表委員会結成。初代書記長J・ラムジー・マクドナルド。1906年に労働党となる。
2月28日
浅井忠、神戸から日本郵船神奈川丸でフランスに赴く(4月17日パリ着)。
2月28日
英、レドバース・ブラー将軍、ボーア軍に包囲されていたイギリスの3拠点の1つ、レディスミスを解放
2月28日
露、ムラビヨフ外相、ボーア戦争を終結させるため仏・独に対し、英に圧力をかけることを提案。
3月
朝鮮、ロシア、スイス系ロシア人J・ブリンナーより鴨緑江沿岸森林伐採権取得し、「東亜木材会社」設立。蔵相ウィッテは日本を刺激しないよう、営業開始を延期させる。
3月
この月、河北省の浹水県でも突如として拳法旋風が沸き起こり、村々に拳法の道場が出来上がり、どんどん反教民を掲げる人々が集まり始めた。浹水県の知県である祝芾は慌てふためき、なんとか拳法勢力を解散させようとしたが、4月になると、拳法道場の人々は、まるで狂ったかのように練習をするようになった。
3月
子規の阪井久良岐宛て書簡
「短歌は俳句と違ひて主観を自在に詠みこなし得ること」と述べる。
3月
堺利彦「小有居漫録」(『萬朝報』連載)。「下女」を置かないことなどを提言。
3月
この頃までに、吉沢商店、初の国産映写機を発売。リュミエールやエディソンの製品を簡易化したもので吉沢の工場で製造。
3月
米人宣教師モルフェー、娼妓廃業届に対する楼主の捺印拒否のため、名古屋地裁に提訴。
6月11日、同地裁、原告に有利な判決を下す。
3月
三井鉱山、福岡県田川炭鉱を取得。三井田川鉱山として、三井の主力炭鉱となる。
3月
兵庫県赤穂塩田の採塩夫3千人、前給金未払いのためストライキ。
3月
京都の真宗中学校の生徒360人、退校処分となった32人の復学を要求して同盟休校。
3月
インド、500万人以上が干ばつと不作に苦しむ。英植民地政府に飢餓救済を求める。
3月
ミルラン・仏商相、労働時間制限法を制定。
3月
スペイン、婦女子労働保護法制定。
3月1日
清廷、拳法学習厳禁。
3月1日
山川均・守田有秋ら、「青年の福音」発行。月刊。
3月2日
5公使、2回目「共同照会」を総署首席大臣慶親王に手渡し。義和拳・大刀会厳禁上諭の「京報」掲載要求。アメリカ公使コンガー、前山東巡撫毓賢を地方官に再任すれば厳重に抗議すると宣言。
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