大杉栄とその時代年表(374) 1901(明治34)年11月20日~30日 木下尚江ら、足尾鉱毒地救助演説会開催 鉱毒地救済婦人会(会長・潮田千勢子)結成 鉱毒被害地救済仏教者同盟結成 より続く
1901(明治34)年
12月
長野県諏訪地方の製糸豪奢、製糸女工の争奪防止を名目として製糸同盟を結成。
12月
日鉄矯正会、会社・警察の弾圧で解散。
12月
相馬愛蔵、東京本郷に「中村屋」を開業。パンを製造販売し、のちカレーライスで有名となる。
12月
年末、堺利彦(32)、鎌倉で療養していた美知子が回復してきたので、東京郊外に引っ越す。
新居は豊多摩郡淀橋町角筈七百三十八番地(現・新宿区西新宿七丁目)で、内村鑑三や福田英子の家が近くにあった。堺は「日本社会主義運動史話」で、福田英子について「元の景山英子。自由党の古い婦人名士。大井憲太郎等の国事犯、朝鮮事件に関与して、爆弾運びの任務に服した人。これが又平民社出入りの常連で、石川と深い親近の間柄にあつた」「平民社のシウトメとでも呼ぶべきか」と紹介している。これ以後の平民社と売文社時代を通して、福田英子は堺たちと親しい関係にあった。石川三四郎は。翌明治35年初秋、万朝報に入社。
また、この引っ越しは、それまでの堺の鬱々とした気分を一新する効果があった。また、日記に「自転車を始めようかと思ふ」と書いているように、この年の秋ごろ堺は自転車に乗る練習を始め、角筈に転居した後は、京橋区弓町二十一番地(現・中央区銀座二丁目百三番地)にある朝報社まで自転車で通勤するようになる。
12月
福岡県浮羽郡で小作農民1,800人が、小作料永久1割削減を要求して地主30人と交渉。地主は、翌年1月までに1割削減を約束。
12月
12月頃、大杉栄(16)父東が幼年学校に来て、退学届けを出し新発田へ連れ帰られる。
12月
ロシア、エス・エル党結成。1876年に始まったナロードニキ主義運動に刺激された。主な目的は土地の社会化。テロ・暗殺が手段。
12月
ハンガリーのブダペストで失業者のデモと暴動発生。
12月2日
大井憲太郎(58)・西川光二郎(25)、横浜・賑町の喜楽座での普通選挙期成同盟会横浜支部主催演説会で演説。大井は「代議政体の真諦」、西川は「吾人の最大武器」。
12月2日
ペテルブルク、伊藤博文、ラムスドルフ外相と会談。
3日、ウィッテ蔵相と会談。
12月2日
米連邦最高裁判所、プエルトリコ人は米西講和条約下では合衆国国民ではなく合衆国憲法によって国民に保証される権利や特典は認められないという判決を下す。
12月3日
日本赤十字社条例公布。陸海軍大臣の監督下で、戦時衛生勤務幇助。
12月3日
啄木(15)、「翠江」の筆名で友人たちと結成した「白羊会詠草」を翌年1月1日にかけて『岩手日報』に発表。啄木短歌で活字となった最初の作品。
12月4日
ペテルブルク、伊藤博文、ラムスドルフ外相に韓国からのロシア軍撤退に関する日露協定案提出。しかし日英同盟締結を優先するため、7日に交渉中止。23日に交渉打ち切り通告。
12月5日
清国、学堂章程制定。
12月5日
大阪糸綿木綿取引所を大阪三品取引所(株)と改称。綿花・綿糸・錦布を扱う。
12月5日
ペテルブルク、駐英公使館書記官が日英同盟草案を伊藤に示し意見を求める。
6日、伊藤、桂に日英同盟締結前に日露協商締結を忠告する電報。
7日、桂より伊藤へ、元老会議・閣議で日英同盟案決定と電報。
12月5日
ウォルト・ディズニー、誕生。
12月6日
袁世凱直隷総督代理、内田康哉駐清公使に天津還付を要請。各国公使にも。
12月7日
元老秘密会議(桂太郎・小村寿太郎両相参加)、日英同盟の修正案可決。
10日、裁可。12日、英外相に提出。
12月7日
第16議会招集。10日開会、1902年3月9日閉会。
12月7日
英伊、北アフリカのスーダンとエリトリア間の植民地国境を画定する協定書に調印。
12月8日
ペテルブルク、伊藤博文、日英協約締結の延期を勧告。
10日、桂より同意せずの回答。
12月10日
日英同盟日本側修正案、天皇裁可。駐英公使林菫より英国側へ。
12月10日
午前11時10分、田中正造(61)、第16議会開院式帰途の天皇に足尾鉱毒問題直訴。直訴文は幸徳起草(前日夜更けに依頼され、徹夜で書く)、麹町警察署にて取り調べ、夕刻釈放。「毎日新聞」主筆石川安次郎(半山)の教唆という。
直訴後、正造は妻に離縁状。木下尚江は幸徳に対して「満腹の不平を抱い」た。
直訴は大きな反響を呼ぶ。新聞は被害民に同情を示す(「読売新聞」は直訴状全文掲載)。中学1年生の啄木は義捐、東京に苦学す黒沢酉蔵は正造を訪ね、以降鉱毒反対闘争に参加。
12月10日
第1回ノーベル賞授与式(ノーベル賞創設は1895年)。
科学者に初のノーベル賞。物理学賞は独のW・C・レントゲン(X線発見)、化学賞は蘭のJ・H・フアント・ホフ、生理学・医学賞は独のE・A・フォン・ベーリング。
つづく
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