1905(明治38)年
4月12日
清国の哥老会首馬福益、湖南で捕縛。
4月12日
農商務省の示唆により紡績業者、棉花栽培協会設立を決定。7月15日、設立。韓国における綿花栽培を推進。みずからも農場経営。'12年3月解散。
4月12日
阪神電車、開業(大阪~神戸間20銭)。
4月13日
第2艦隊司令長官海軍中将上村彦之丞にウラジオストック港外への機雷施設命令、鎮海湾発。715個施設し4月18日、帰着。
4月13日
田口卯吉(49)、没。
4月13日
海軍軍令部にバルチック艦隊の情報届く。
シンガポールの森大佐・田中郁吉領事より。英巡洋艦「サトレッジ」が11日にバルチック艦隊と遭遇したとの情報。その他、英の商船・軍艦からの情報。
4月14日
東京深川区蛤町の小学校生徒にペスト菌発見。東京市で二回目の流行。7月までに死者12人。
4月14日
(漱石)
「四月十四日(金)、近藤金次郎(宮崎県都城、都城中学校長)から、三井大作の年俸は、九百円と伝えてきたので、その手紙を三井大作に送付する。」(荒正人、前掲書)
4月14日
ロシア第2太平洋艦隊、カムラン湾入港。食糧・石炭補給と第3艦隊の来着を待つ意図。
4月15日
北沢楽天、漫画雑誌「東京パック」創刊。
4月16日
桂・原第2回秘密交渉。
原は桂の求めに応じて、個人的考えとしては戦局収拾すべきと答える。但し、今講和すれば国民は騒ぎ、政友会も国民の側に立つかもしれないと述べる。桂は、戦後処理を終えた時点で西園寺に政権を譲る、政友会との連立内閣は得策でないとこれを否定。戦後の政権移譲があるとしても、その前に政友会が講和に反対しないのは不自然である。政権をどの様に受け渡すか熟慮を要すということになる(西園寺への後継指名は既成事実となる)。
4月16日
『直言』第11号発行
石川三四郎「借地人に告ぐ」。
「火鞭会告白」(平火鞭会;民社を中心に集まった社会主義的青年文学者の結社)
「火鞭会は文学研究会也」「火鞭会は科学万能主義に抗して、人類の迷妄を打破し、現代の文明を批評して、黙移暗遷する時代の黒潮に棹(さおさ)す」など4項目が掲げられている。
発起人は、児玉花外(本名・伝八)、小野有香、山田滴海、山口孤剣、中里介山、白柳秀湖、原霞外(本名・真一郎)で、児玉花外以外は、『直言』の執筆および編集に携わっていた青年社会主義者。
児玉花外は詩人で、1930年に出版して発禁となった『社会主義詩集』で知られる。自柳秀湖によれば、児玉花外は西川光二郎と親しく、自ら「社会主義詩人」と称していた。しかし、彼は平民社で開かれる同志の集会には顔を出さず、秀湖が理由を尋ねると、「僕は堺が大きらひだ。堺には詩は分らぬ」といって、堺が土井晩翠(本名・林吉)の『天地有情』をけなしたことを挙げた。
堺は世間で評判だった『天地有情』を取り上げて、『萬朝報』の文芸評論で二回にわたって痛罵したことがあった。樋口一葉や正岡子規を高く評価し、世間で話題になる前に徳富蘆花の『不如帰』を絶賛した堺にしては珍しいほどの酷評だった。それが児玉花外には許せなかったらしい。
4月16日
ドイツ皇太子結婚式参列に随行の大沢喜七郎中佐、シンガポールに入港し、2日前の14日にカムラン湾集合のロシア艦隊の状況を報告。
4月17日
(漱石)
「四月十七日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。(第三学期講義始る)
四月十八日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。文学至上主義論者を批判する。」(荒正人、前掲書)
4月18日
政府、仏駐在本野公使にバルチック艦隊のカムラン湾入港に対しフランス政府への抗議命令。
4月18日
丹治直次郎、出征軍人遺族救護のため、平安養育院を京都市下京区に創設。翌年10月7日岡崎円照寺に院舎新築。
4月19日
(漱石)
「四月十九日 (水)、内田貢(魯庵)宛手紙に、或る人の編集している文集中に『カーライル博物館』(『学燈』一月号一月十五日刊)を収録することを承認したと伝える。
四月二十日(木)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。締めくくりとして「意識の波動、上から眺めた文學の要素に就て」話す。(金子健二)六月末「英文学概説」完了すると告げる。(三年間連続講義である)」(荒正人、前掲書)
4月20日
小村寿太郎外相、本野駐仏公使にバルチック艦隊の東航に関し、仏に中立励行を要求するよう訓令。
4月20日
第5回国庫債券1億円発行規定公布。利率6分。
4月20日
火鞭会創立第1回大会
『直言』第17号の「火鞭会の記」という記事に、この日(4月20日)に牛込の清風亭で開かれた火鞭会創立第1回の会の様子が書かれている。開会時刻になると、会場に牛込署の警部が巡査二人を引き連れて臨監に来たが、聴衆は社会主義とは無縁の者が多かったので呆れていたという。自柳秀湖が「火鞭会の告白」の説明をし、児玉花外と山口孤剣が詩の吟詠を行い、堺は静かに「ゾラの晩年」について述べ、久津見蕨村はニーチェについて概観した。講演が終わると、巡査たちはしおしおと帰っていった。「聴衆六十名、文学会としては稀に見る盛会」とも書かれている。
4月20日
辰巳柳太郎、誕生。
4月21日
緊急閣議、日露講和条件7項目決議(19日の元老会議で承認)。ロシア軍の満州撤兵など絶対条件3項目。軍事賠償・樺太割譲など希望条件4項目。同日裁可。
4月21日
南北石油株式会社設立。資本金150万円。1906年、東西石油会社を合併し、1908年5月に寶田石油会社に併合される。
4月21日
元オーストリア皇女エリーザベト、ヴィンディッデュグレーツとの間に次男エルンスト・ヴァーリアント誕生
つづく

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