2009年3月28日土曜日

東京 三浦按針屋敷跡 魚河岸跡








教科書にでてくるウィリアム・アダムスこと三浦按針さんです。
関ヶ原の直前の慶長5年(1600)3月16日に乗組員ヤン・ヨーステンらと豊後海部郡臼杵荘佐志生に漂着します。船の名は、「リーフデ号」(オランダ船)。ハウステンボスに復元したものがあるそうです。家康は、5月12日に大阪城で2名を引見。後に、外交顧問として優遇します。
背後には、アジア(日本)市場を巡るイギリス・オランダのプロテスタント連合とポルトガル・スペインのカトリック連合との対立・角逐があるのでしょう。
*
いろんなエピソードは有名すぎて省略。何故名を三浦としたか。「八重洲」の起源・・・・。
*
ただ、もう少し調べる必要がありますが、按針の日本人の奥さん(つまり現地妻)は江戸伝馬役馬込勘解由の娘「雪」とあるそうですので、非常に偶然ですが、このエントリの下にある本日UPしたエントリのうちの「1758年11月」の項目に同じ名前「江戸伝馬役馬込勘解由」があります。
按針さんに現地妻を差し出した「馬込勘解由」さんが、「御伝馬方旧記」に出てくる「馬込勘解由」さんより何代か上だったようです。
*
按針はたまたま平戸にいて病没(56歳)するそうですが、本国の家族、現地の家族ともにきちんと遺産分与したそうです。


0 件のコメント:

コメントを投稿