2009年10月6日火曜日

神田(2) 駿河台の由来 お茶ノ水の碑 神田上水懸樋跡

今回は、まずJR「お茶の水駅」のお茶の水橋口辺り。
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お茶の水橋から聖橋方面を見たところ。
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「駿河台」の由来
(お茶の水橋交番横)
神田川南側の台地を「駿河台」というのは、
家康没後、駿河駿府城にいた旗本たちが江戸に戻り、
その多くがこの辺りに屋敷を与えられて住んだから、と云う。
先回述べたように神田川は一面では江戸城北側の外濠に擬されている訳で、
それだけに防備上の要所であるということであり、
ここに直臣の旗本を置いたということなんでしょう。
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「お茶の水」の碑
ここを訪れた秀忠が飲んだ泉の水がたいへんおいしく
「お茶に適している」というので「お茶の水」と名付けられ、
これが一帯の地名となったと云う。
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「神田上水懸樋跡」の碑
お茶の水橋を東京医科歯科大側に渡り、
外堀通りを神田川沿いに歩くと、
水道橋の手前にこの碑がある。
神田上水は、この辺りで神田川を跨いでいた。
懸樋というのは、いわゆる水道管。
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天正18年(1590)の家康の江戸入府前後の頃、
武蔵野の井の頭池から水を引き、
江戸の市民に水を供給していたのが神田上水
(神田一帯に水を供給したので神田上水と名付けられる)。
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神田上水は江戸の最初の上水で、
数十年後にできる玉川上水と並んで二つの大きな水源であり、
江戸の人々の生活を支えてきた大動脈である。
神田上水は、井の頭池を水源とし、
途中、善福寺川と妙正寺川の水を合わせて目白下の大洗堰を通り、
現在の江戸川橋を経て、小石川後楽園に入り、
そこから水道橋に出ていたが、
ここで神田川を渡らなくてはならなくなる。
神田川は台地を開削して通してあり、
神田上水がこの開削した谷を渡るための懸樋が必要となった、いうことである。
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その懸樋によって、「水道橋」という橋の名前が生まれる。 
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1 件のコメント:

  1. 先日大学の授業で玉川上水・神田上水をどう江戸に引き込むかを教わり、その痕跡を見たいと思っていました。この文章のおかげで場所を知ることができました。神田上水を通した橋、見に行ってみます。ありがとうございます。

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