2009年11月14日土曜日

湯島・根津・本郷・千駄木(1) 湯島天神 男坂 女坂 切通坂 啄木

湯島天神。
天神さんなので、やはり学問の神様菅原道真を祀る神社であるが(由来は下の写真の説明をご覧ください)、泉鏡花「婦系図」の「分かれろ切れろは芸者の時に・・・」の方が馴染みが深い。
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従って、男坂・女坂も男女の愛憎にまつわるイメージが強いが、この天神さんは南北朝の頃に創建、太田道灌が再建、男坂・女坂の命名も「婦系図」(明治40年)よりはるかに以前のこと。
むしろ鏡花さんの方が男坂・女坂からインスピレーションを受けたのかも?
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湯島天神は台地上にあり、その眺望は有名で月待(つきまち、正月・7月に月の出を拝む行事)が行われ、「江戸名所花暦」では九段坂上、品川などとともに月待の名所にあげられている。
また、安藤広重「多所江戸百景」では「湯しま天神坂上眺望」が描かれている。
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湯島天神
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鳥居に向って左側に銀杏の下は「ぎんなん」が一杯でした
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男坂・女坂
他にも、日枝神社の山王男坂・女坂、
愛宕神社(港区)の愛宕男坂・女坂が有名という。
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神田のカトリック教会裏から明治大学方面に抜ける道にも、
男坂・女坂があるが、勾配は同じだったような気がする。
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女坂下に占いのおじさん。
「いまさら縁談来たりなんて言われたらどうしよう」などと言いながら、アラフォー越えのご婦人2人が、このおじさんを取り囲んだ。
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切通坂
山ノ手と下町を繋ぐ道
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啄木の歌碑
「喜ノ床」時代の啄木の通勤路。
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旧町名案内
こういうのは非常に有難い
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近くにあったお店
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この頃の啄木
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明治42年(1909)24歳
1月1日 「スバル」創刊。啄木は発行名義人。
1月9日 森鴎外宅での観潮楼歌会。この日初めて斎藤茂吉出席。歌会で啄木は最高点。
2月1日 啄木編集による「スバル」第2号発行。
2月7日 東京朝日新聞社に佐藤北江(真一)編集部長を訪問し、就職を懇請。24日、「東京朝日新聞」
校正係通知を受ける。
3月1日 東京朝日新聞社に出社。
但し、年来の借財もあり生活は改善せず、自虐的な生活を送る。
4月3日~6月16日、ローマ字日記を認める。
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6月16日 友人宮崎郁雨が同伴して盛岡から上京した家族(妻節子、長女京子、母カツ)を上野駅に迎え、本郷区本郷弓町2丁目17番地の床屋新井こう方2階2間の新居に移る。
以降2年2ヶ月をここで過ごす。
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この間、妻節子は啄木の自虐的な生活を知り、体調不調、啄木の母との確執、貧困などのプレッシャーにより盛岡の実家へ家出をしたりする。
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一方の啄木は、一転、文学的・思想的転機を迎える。
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明治43年(1910)25歳
明治43年5月、「二葉亭全集」第1巻編集、東京朝日新聞より出版。
大逆事件による思想的転換(六月-幸徳秋水等陰謀事件発覚し、予の思想に一大変革ありたり。」(日記))。
「時代閉塞の現状」執筆、但し掲載には至らず。
明治43年9月、「東京朝日新聞」朝日歌壇撰者に抜擢。
明治43年11月、「二葉亭全集」第2巻、出版。
翌12月、「一握の砂」刊行。
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明治44年1月26日 平出修の自宅で、7千枚17冊の大逆事件特別裁判の「訴訟記録」初めの2冊と管野すがに関する部分を読む。
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そして、人生の最終段階を迎える。
そんな時代であった。
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「★東京インデックス」 「★寺社巡りインデックス」 をご参照下さい
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