2010年4月4日日曜日

鎌倉の桜 妙本寺 カイドウ満開 本覚寺のベニシダレ

妙本寺。
祖師堂両脇のカイドウが実にいい。
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左側のカイドウ。
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右側のカイドウ。
その後ろに、秋にすばらしい紅葉をみせるもみじ。
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山上の桜。
妙本寺は比企谷という谷あいにある。
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妙本寺からの帰りに通り抜ける本覚寺に、
ベニシダレ
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妙本寺の説明板にも書いてあるが、この寺のカイドウが枯れ落ちる頃、中原中也と小林秀雄が和解したという。
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中原中也は17歳の時、中也の詩にひかれた3歳年上の長谷川泰子と京都で同棲する。
(この頃、中也は河原町丸太町辺に住む。)
大正14年、中也は早稲田予科受験のために上京。(中野に住む)
中也は詩作に熱中し、泰子を顧みず、遂に泰子は小林秀雄の許に出奔。
中也は小林秀雄を「口惜しき男」と表現する。
その後、中也も小林も他の女性と結婚。
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中也は昭和8年12月、26歳の時に故郷山口県湯田温泉で結婚。
翌9年10月には長男文也が誕生するも、昭和11年11月2歳で没し、この事が中也に精神的打撃を与える事になる。
昭和12年、幻聴などの療養につとめ、復帰後は鎌倉の寿福寺に住むことになる。
小林との和解はこの頃のことであろう。
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中也はこの年12年10月22日、30歳で没す。
直前に「在りし日の歌」の原稿を小林秀雄に託していた。
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