2011年6月17日金曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)6月20日(22歳) 明治東京地震起こる 「三田小山町辺には、地の裂けたるもあり。泥水を吐出して、其さま恐ろしとぞ聞く。」(樋口一葉「水の上日記」)

明治27年(1894)6月16日
十六日 早朝、禿木子来訪。天知君より文あり。「花ごもり」二度目の原稿料送りこさる。禿木君も学校のいそがしき比(ころ)とて、はやくかへる。われは小石川稽古にゆく。
此日、三宅龍子ぬしより使にて、『依緑軒漫録』かさる。坪内ぬしよりかりたる小説もろとも、今宵通読。一時に及ぶ。
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『依緑軒漫録』:
磯野徳三郎著。明治26年9月18日刊。リットン、ディッケンズ、ユーゴーの伝記・解題を掲げ、本文を抄訳で紹介している。

「坪内ぬし」:
坪内逍遥としたものと坪内銑子(明治26年2月11日の発会の時に入門)したものあり。
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明治27年(1894)6月16日
さて、この日、「明治東京地震」が起る。
この地震の概要はWikiをご参照下さい(コチラ)
一葉は、伝聞した地震の状況を日記に記している。
液状化現象も起こったようだ。

二十日 午後二時、俄然大震あり。
我家は山かげのひくき処なればにや、さしたる震動もなく、そこなひたる処などもなかりしが、官省通勤の人々など、つとめを中止して戻り来たるもあり。

新聞の号外を発したるなどによれは、さては強震成しとしる。

被害の場処は、芝より糀丁(かうじまち)、丸之内、京橋、日本橋辺おも也。
貴衆両院、宮内、大蔵、内務の諸省大破、死傷あり。
三田小山町辺には、地の裂けたるもあり。泥水を吐出して、其さま恐ろしとぞ聞く。

直に久保木より秀太郎見舞に来る。ついで芝の兄君来訪。

我れも小石川の師君を訪ふ。師君は、此日、四谷の松平家にありて強震に逢たるよし。
「床の間の壁落、土蔵のこしまきくずるゝなどにて、松平家は大事成し」とか。
鍋島家にて新築の洋館害に達て、珍貴の物品どもあまたそこなひ給ひけるよし。師君のもとにはさしたる事もなかりき。

此夜、「更に強震あるべきよし人々のいへば」とて、兄君一泊せらる。その夜十時過る頃、微震あり。
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二十日。午後二時、急に大地震。
私の家は山陰の低い所なので、それほど振動もなく損害もなかったが、役所勤めの人たちの中には、仕事をやめて帰って来た人もいた。

新聞の号外によれば、成程強震だったということがわかった。

被害の場所は芝から麹町、丸の内、京橋、日本橋あたりが主な所でした。
貴衆両院、宮内、大蔵、内務の各省は大破し死傷者も出た。
三田小山町辺には地が裂けた所もあり、泥水を噴き出し、その様子は恐ろしい程であったと聞く。

すぐに久保木から秀太郎が見舞に来る。ついで芝の兄も来る。

私も小石川の中島先生を見舞う。先生はこの日、四谷の松平家にいてこの強震に遭われたとのこと。床の間の壁が落ちたり土蔵の腰巻きの壁が崩れるなど、松平家では大事であったとのこと。
鍋島家では新築の洋館に被害が出て、珍しい貴重な品物が沢山破壊したとのこと。先生のお宅は大したことはなかった。

「今夜再び強震があるだろうと人々が言っているから」
といって、兄は泊まっていく。夜十時過ぎ頃に微震があった。
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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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