2012年1月4日水曜日

京都 北白川天神宮へ初詣

1月2日の京都はすごくヘンな天候で、30分~1時間間隔で、晴れ、曇り、小雨を繰り返していた。
晴れ間をぬっての初詣は北白川天神宮
比叡山の山麓
すぐ前に白川が流れている


説明板にはこうある。
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北白川天神宮
北白川一帯は、一万年を超える縄文時代より集落が営まれていた環境エネルギーの良地である。
ここに延喜以前より天使大明神と唱え、我国病気平癒健康長寿の神少彦名命が祀られていた。
八大将軍義政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座された。
遠く比叡山を望み外山・丸山・瓜生山より昇る日輪と共に拝するこの宮山は、古来幽邃(ゆうすい)の仙境で悪疫伝播で始まった祇園会に列した白川黒鉾と共に永い歴史の大的(おおまと)・高盛(たかもり)・神事御輿に三十九個の提灯を付け、篝火(かがりび)の中、百三十三段の石段を担ぎ上げ還幸、担ぎ下ろす勇壮な秋祭り等が絶えることなく続けられている。

平安時代ここは都に近く宮廷の貴族、大宮人が風光明媚な白河街道沿いにこぞって山荘を営み、詩歌に興じた。
また、白川石と花の里で男は石工でその秀でた技術を神社前に残している。
女は白川女として代々受け継ぐ地域へ花を届けている。
石工・白川女共に数は激減したが現存している。
宮廷や貴族の影響で衣裳は白黒鮮やかかつ立体的で京女人風俗中、特に優れている。
名水にも恵まれ、遠方より水汲みに訪れる人が多い。
白川の川面になびく糸桜として都紅糸桜など見事である。
                                  (京都市)
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▼杉の木の間に階段が連なる





▲山中にはたくさんの小さな祠がある
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▼神社の前には菊の模様を冠した「御旅所」がある
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ここの神さんは日本でも数少ない病気平癒の神さんだそうだ。

実は、12月30日にもここを訪れたが、その時、境内清掃中の宮司さんに呼止られて、暫しお話を聞いた。
幾つかのやり取りの中で、質問されたので、知り合いが近くの病院に入院しているので、そのついでに寄らせて戴いたと答えた。

宮司さんによれば、その病院は元は京都の有力な実業家の私邸であったという。
島津源蔵さん、「げんぞう・しまづ」、あのGSバッテリーの島津さんの私邸だったそうだ。

立派な洋館であったが、その故にか、占領軍に接収された。
接収したものの中尉か誰かが住んだだけであった、とやや怒りをこめて言う。
私の空耳だったか?、「アメリカとはもう一回やらんとアカン」と聞こえたような・・・。

島津源蔵さんについてはWIKI(コチラ)で教えてもらったほうが良いだろう。
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