2012年3月18日日曜日

昭和17年(1942)2月18日 「午後淺草向嶋散歩。實は場末の小店には折々賣残りのよき鑵詰あり又汁粉今川焼など賣るところもあれば暇ある時處定めず歩みを運ぶなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 北の丸公園(2012-03-16)
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昭和17年(1942)2月15日
二月十五日 日曜日 朝九時目覚めて見るに雪ふりて庭につもりたり。あけ方より降り出でしなるぺし。午後俵の炭切りてゐたりし時杵屋五叟來る。雪いつかやみたれば暮方共に出でゝ金兵衛に飰す。
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2月16日
二月十六日。晴。午後日本橋を通るに赤塗自働車に新嘉坡陥落記念國債金拾圓弐拾圓の幟を立て蓄音機をしかけ國債を賣あるくを見る。大蔵省の役人供なるべし
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2月17日
二月十七日。晴。夕暮日にまし長くなれり。夜淺草に飰す。
上海より歸り來りし藝人のはなしに昭和十一年二月政府の元老重臣を虐殺せし将校皆無事に生存し上海に在るを見しと云。さもあるべき事なり。
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2月18日
・二月十八日。晴。午後淺草向嶋散歩。
實は場末の小店には折々賣残りのよき鑵詰あり又汁粉今川焼など賣るところもあれば暇ある時處定めず歩みを運ぶなり
白髪神社のほとりに女供多く集りいたれば近づきて見るに、玉の井娼家の女、組合の男につれられ新嘉坡陥落祝賀祈祷のため隊をなして参詣するなり。
滑稽のきわみと謂うべし
此日酒屋にては朝より酒を賣るがため酔漢到處に放歌嘔吐をなす
昏暮金兵衛に夕飯を喫してかへる。
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2月19日
二月十九日。(略)
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2月20日
二月二十日。晴れて風甚寒し。終日家に在り。小説執筆。
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2月21日
二月廿一日。(略)薄暮西銀座の岡崎を訪ひ砂糖及菓子を貰ふ。
歸途庄司理髪店に立寄る。化粧用の油石鹸正月頃より品切の由。
この後理髪用の香油なくなる時は日本人は老弱を問はず刺粟頭にならざるを得ず。
これ軍国政府の方針なりと云
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2月22日
二月廿二日 日曜日 晴。(略)
〔欄外墨書〕本年より毎月廿二日及八日魚屋料理屋休業
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2月23日
二月廿三日。晴。(略)
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2月24日
二月廿四日。朝の雨畫頃より雪となり忽つもる。終日家に在り。小説執筆。
(略)
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2月25日
・二月廿五日。晴。昏暮銀座食堂に飰して淺草に至る。
春月残雪を照す
公園の夜景亦趣あり。
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2月26日
二月廿六日。陰。午後杵屋五叟来訪。共に出でゝ金兵衛に飰す。島中氏電話あり。明後朔谷崎氏と共に余を鶯谷の旗亭盬原に招飲したしとなり。
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2月27日
二月廿七日。雨屋上の残雪を洗ふ。昏暮土州橋に行き銀座に飰す。
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2月28日
二月廿八日。晴れて俄に暖なり。午睡半日夜金兵衛に飰す。十三夜ころの月よし
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18日、向島を散歩するが、
「實は場末の小店には折々賣残りのよき鑵詰あり又汁粉今川焼など賣るところもあれば暇ある時處定めず歩みを運ぶなり。」
散歩の実益を語る。
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15日、シンガポールがようやく陥落し、街の浮かれた様子などが見える。


荷風はといえば、・・・


「春月残雪を照す。」
「十三夜ころの月よし。」


である。


これは、定家と同じ意識の流れである。


「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。」
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