2012年3月5日月曜日

寛平3年(891)2月~寛平4年(892) 菅原道真(47)が蔵人頭となる。以降、式部少輔、左中弁、左京大夫を歴任。従四位下の叙任。

東京 北の丸公園(2012-02-28)
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寛平3年(891)
2月29日
・菅原道真(47)を蔵人頭に任じる。
3月9日、式部少輔に任じられる。
4月11日、藤原保則が左大弁に、道真が左中弁に任じられる。
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5月29日
・この日付け官符によると、伊予・土佐国などからの調庸運搬も、その途次で徴物使(ちようもつし)の来襲に悩まされていることがわかる(『類衆三代格』巻19、寛平3年5月29日官符)。
既に、天長3年(826)5月25日と承和10年(843)3月15日の官符により、調庸の督促は主計寮が纏めて行うい、諸司・諸家は直接督促できなくなっている。
しかし、他司・他家に先んじて調庸物を確保したい諸司・諸家は、徴物使(私的な使者)を派遣して、調庸を運んでくる者たちを路上で待ち受け、場合によっては諸国まで行かせて実力で確保しようとし始めた。
直接徴物使に押し入られるのは畿内・近国が多いが、その他諸国もその例外ではなかった。
封物(ふうもつ)を要求する院宮王臣家(いんきゆうおうしんけ、皇族及び高位・高官たち)や諸寺社の無法ぶりは、全国的な問題になっていた。
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9月
・この月、政府は主として坂東諸国を念頭において、婚姻や農商を通じて国内に居住し、「土民」と生業を同じくしながら党を引き連れて村里を横行し、納税を拒否している前司子弟・王臣子孫ら富豪浪人について、翌年7月までに帰京するか、国衙に納税することを条件に現地に留住(土着)するかどうかの意思確認をして、国衙に従う意思のない者は国外追放せよ、と全国に通達(『類聚三代格』)。

所謂「僦馬の党」の解体を命じたのだが、それに対する反撥・闘争が起こる。
寛平・延喜東国の乱は坂東諸国の富豪層が、国制改革にもとづく受領による締め付け強化政策に反発して起こした闘争である。
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寛平4年(892)
1月7日
・菅原道真(48)、従四位下となる。
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・菅原道真『類聚国史』を撰進。
宇多天皇の命により、道真個人が中国・日本の先例を参考にして作製。
「六国史」の記事を神祇・帝王などの各部に類別。本文200巻・目録2巻・帝王系図3巻。
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・源能有ら『日本三代実録』の編纂を開始。
『日本文徳天皇実録』につづく国史で、清和・陽成・光孝の3代の事績を記したもの。
宇多は、大納言源能有・中納言藤原時平・参議菅原道真・大外記大蔵善行・三統理平らに命じて編述を始めたが、この朝のうちには成就しなかった。
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12月5日
・菅原道真、左京大夫を兼ねる。
勅を奉じて清涼殿において「群書治要」を侍読した。
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