2012年3月14日水曜日

寛平7年(895) 京畿・坂東で群盗蜂起。 坂東では延喜元年まで7年間の群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)

東京 北の丸公園 カワヅザクラ (2012-03-06)
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寛平7年(895)
・この年以降、宇多天皇は神泉苑に出遊し、ときには北野での鷹狩に興じる。
快楽追求的な生活である。
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京畿内や坂東では、この年から群盗が蜂起し始める。

坂東では、この年から本格化し、延喜元年まで7年間の群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)

この年、物部氏永(もののべのうじなが)をリーダとする坂東群盗が蜂起し、信濃・上野・甲斐・武蔵等の諸国が大きな被害を受ける。
諸国が共同して追討しようとすると、彼らは上野国碓氷・相模国足柄を越境して逃走。

坂東諸国の群盗蜂起の実態:
上野国からの国解(報告)によれば、駄馬に荷物を積んで運送して稼ぐ諸国富豪層からなる「僦馬(しゆうば)の党」が、群党を結成して凶賊となったという。
僦馬の党と呼ばれた坂東富豪層は、それまで調・庸運京に便乗して私物を運京し、預かった調・庸を着服して王臣家人になるなど、多大の利益を獲得してきた。
ところが国制改革は彼らから、それまで寄生してきた利潤獲得の機会を奪い去った。
富豪層のなかには、本籍を京内に置きながら諸国に居住しつづける前司(前任国司)子弟や王臣子孫がいた。

寛平~延喜初年は、全国的な騒乱状態で、東国に続き、瀬戸内海地域ではやや遅れて、承平(じようへい)年間に「東国の乱」と同質の反乱が起こる(931~936)。

寛平・延喜の軍制改革
こうした一連の軍制改革によって国衙軍制が成立し、この新たな軍制にもとづく群盗鎮圧を通じて武士が登場する。

①軍事動員における受領の裁量権を強化。
本来の捕亡命(びもうりよう)臨時発兵規定では、国衙が軍事動員するためには、政府に飛駅奏言(天皇への緊急報告)し、発兵勅符(天皇の緊急動員令)を出して貰わねばならない。
しかし、この乱の鎮圧過程で飛駅奏言を受けた政府は、しばしば発兵勅符を出すのをやめ、より簡便な太政官の鎮圧命令である追捕官符を下した。
追捕官符の場合、人夫(非武装追捕要員)なら受領の裁量で何人でも動員できた。
政府があえて追捕官符を出したのは、受領に鎮圧の責任と軍事動員の裁量権を委ねようとしたからであった。
この方針は、元慶7年(883)2月の上総俘囚の乱に対する対応を継承したものであり、国内支配を受領に委任する国制改革の基調と同じである。

②国衙の群盗追捕指揮官として、国ごとに押領使(おうりようし)を任命(延喜の軍制改革の目玉)。
押領使は、追捕官符を受けた受領の命に従い、国内武士を動員して反乱を鎮圧することを任務とする、国単位の軍事指揮官である。
将門の乱後に常置されるようになり、鎌倉幕府の守護制度に受け継がれていく軍事的官職で、寛平・延喜の群盗鎮圧のときに始めて置かれる。
鎮圧責任を負う受領は、押領使にそれを委任した。

③王臣家人であっても武勇に優れた者は国衙の動員に従うことを義務づける。
天慶2年(939)4月、出羽俘囚の乱に対し、政府は 「国内浪人は高家(こうけ、王臣家)の雑人(ぞうにん)を問わず軍役に宛てよ」と命じるが、この動員の仕方は寛平・延喜東国の乱鎮圧でも適用されたものと思われ、彼らは押領使の指揮下に入って戦った。
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1月11日
・菅原道真(51)、近江守をかねる。
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3月
・王臣家の私出挙を禁じる。
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3月15日
・新羅の賊に備えて博多の警備を厳しくする。
博多警固所に夷俘50人を置く(『類聚三代格』巻18)。
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4月
・参議民部卿藤原保則、没。
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5月7日
渤海使入京して鴻臚館に入った。大使は前回来朝の裴頲。
菅原道真、紀長谷雄とともに渤海客使を鴻臚館に応接して詩を賦す。
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8月
・左大臣源融、没。
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9月27日
・徴物使などの王臣家の手下や、六衛府の舎人と称する諸司の手下たちを擬任郡司(ぎにんぐんじ)として採用し、彼らを、調庸を部内で調達し、それを運京・納入する責任者たる専当郡司(せんとうぐんじ)に任命する。
また、富豪浪人として国司・郡司の徴税に対抗してきた者たちを、実際の運送人(綱丁)に任命する(『類聚三代格』巻19寛平7年9月27日官符)。

勝手に管内を荒らし、諸司・諸家への納入物未払い分として調庸などを持ち去る者(徴物使)を、そのまま徴収・運京・納入の責任者に任じることによって、彼らが持ち去る分は、国司から言えば支払い分ということになる。
正しく諸司・諸家に納入され、受取状(調庸返抄)を貰ってこなかったら、解任できるし、彼らの資産を没収することもできる(『類聚三代格』巻7寛平2年6月19日官符)。

仁和4年(888)、藤原保則の提唱によって、任期中の調庸完済が解由受理の条件とされていた国司(受領)たちは、徴物使の跋扈という事態打開のために、現実を直視して発想を転換させた。
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10月26日
・菅原道真、父祖を越えて中納言に任じられ、従三位に叙される
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11月13日
・菅原道真、春宮権大夫を兼ねる
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12月
・検非違使の職掌などを定める。
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