2012年4月7日土曜日

昭和17年(1942)4月4日 「世が世なりせば木の芽田楽草餅など食ふ時節なれど今はその名さへ大方忘れられしが如し。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-04-04
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昭和17年(1942)4月1日

四月初一。曇りて風寒し。街上の郵便函に本日より郵便封書五銭に値上の貼札あり。四銭になりしも二三年前の事なるに忽にしてまた一銭高くなれり。政府の指定する公停價格の如き何の謂なるや。滑稽至極といふぺし。
市中藝者枕金普通拾圓玉の井五圓が並相場となりしも怪しむに及ばず。
〔欄外朱書〕郵便切手値上ゲ五銭トナル
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4月2日
四月初二。春風嫋々たり。又もや在京中の獨逸人某なるもの舊著二人妻及び新橋夜話の中色男の二編を獨逸文に翻譯したしと申來れり。
若し佛蘭西人にして俳蘭西語に譯すとならば余の喜やいかならむ
是非もなき世といふぺし。
夜初更満月の屋上に現はるゝを見る。
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4月3日
四月初三。春日駘蕩。櫻花既にちりかけたり。今年花散ること早し。
金兵衛に夕餉を食すること毎夜の如し。今日魚類の配給なしとて玉子焼を出せり。
初更歸宅小説浮沈續編起稿。
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4月4日
・四月初四。晴。花落ちて木の芽既に青し。
世が世なりせば木の芽田楽草餅など食ふ時節なれど今はその名さへ大方忘れられしが如し。
土州橋より昏暮濹上を歩み芝口に飯してかへる。
二十日頃の月おぼろなり。
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4月5日
四月初五 日曜日 杵屋五叟來話。晩間風雨。
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4月6日
・四月初六。両歇みてはまた降る。金兵衛にて大塚氏より台湾の羊羹を貰ふ。香港海南島あたりの視察より歸京せしと云。
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4月7日
四月初七。晴。魚類品切となり今明日銀座邊日本料理屋休業の貼札を出したり。兎屋谷口氏、熱海木戸氏書信あり。
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4月8日
四月初八。快晴。夜久振にてオペラ館樂屋を訪ふ。偶然菅原氏の來るに逢ふ。陸軍々樂隊の沿革を調査中なりと語らる。
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4月9日
・四月初九。くもりて風あり。夜寺嶋町漫歩。
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4月10日
四月十日。風歇みて雨となる。晡下士州橋に至る。水天宮四辻にて猪場毅余の姿を見て雨傘に顔をかくし逃れ去るを見たり。偽筆偽印の掛合をおそれてなるぺし。
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4月11日
四月十一日。晴れて風甚冷なり。夜金兵衛にて筍飯を食す。歌川氏來りて巌谷小波先生偽物の書幅を示す。
近頃茶の湯流行日本精神涵養のためなりと云。
足利精神北朝精神の誤なるぺし
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4月12日

・四月十二日 日曜日 風吹きて時々小雨ふり来る。海棠山吹の花既に散る。晩間淺草を歩み芝口に飯す。
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4月13日
四月十三日。晴。晡下木戸氏小星を伴ひ來り話す。共に芝口の金兵衛に飯す。
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4月14日
四月十四日。風冷なり。常磐木の落葉狼藉たり。薄暮掃き寄せて焚く。
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4月15日
四月十五日。机の曳出しを整理す小説戯曲の腹案を識せしもの二三種あり。その中にて稍採るべきもの備忘のためこゝに寫し置く事とす。

小説筋書
宮岡と云ふ青年作曲家たらんとして勉学せしが中途に父死したるため生活のために志をすて淺草公園レビュー劇場の樂師となり母と妹を養へり。二三年にして妹は聲樂家となりレコード會杜に入りて成功す。妹は兄に代り母を養ひ且又兄の生活をも援助し兄を立派な作曲家にしたしと言ふ。この時兄は既に淺草の無意味なる生活に馴れ名聲を逐ふ心なくなり居たれば妹の送る金にて踊子と同棲し同時に流行唄の歌手の情夫となる。

此日晴れたれど風冷なること暮秋の如し。晩間本所亀戸散歩。芝ロに飯してかへる。
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赫々たる戦果報道、戦意高揚の世情の有様が、全く荷風のこの日記には現れない。
意地でもシカトと貫く覚悟に見える。
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