2012年6月17日日曜日

長野県中川村村長が壇上で国旗に礼をしない訳とは。「・・・頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと・・・」

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-06-14
*
梅雨に入って天候が鬱陶しい。
でもこれは毎年のことであるし、
雨が降るとその分、紫陽花や菖蒲の花がしっとりと美しい。

我慢できない鬱陶しさは何と言っても、
経済界の古タヌキと政界の新タヌキ。

所詮、資本主義と民主主義というのは両立しないんだな、
とつくづく思ったりして・・・。

そんな時、昨夜だけど、
もやもや、鬱陶しさを吹き飛ばすような情報を教えて貰った。

長野県の中川村というところの村長さん
その曽我さんとおっしゃる村長さん
入学式・卒業式などで壇上に上がったりするとき、国旗に礼をしないという。

で、何故、礼をしないかというその訳を村のHPに掲載されている。
その訳というのが、何とも肩肘はらない、自然体の、
それでいて確固としたものであり、
舌をまいた。

以下、無断であるが、中川村のHP(コチラ)を転載させて戴く。

<以下、転載>
(見出し)
村議会6月定例会 「国旗と国歌について村長の認識は」との一般質問を頂きました。

(記事)
 中川村議会6月定例会で、高橋昭夫議員から、「国旗と国歌について村長の認識は」という一般質問を頂いた。
 一問一答方式のため、受け答えはやりとりの流れに応じた“アドリブ”になっていき、正確に再現することは難しいので、頂いた通告と私の答弁原稿を以下に掲載する。

<一般質問通告>
 小・中学校の入学式や、卒業式の席で、村長は(壇上に上る際、降りる際に)国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長のお考えをお聞きしたい。

<答弁原稿>
 たいへんありがたい質問を頂戴しました。ご質問の件については、村民の皆さん方の中にも、いろいろ想像して様々に解釈しておられる方がおられるかもしれません。説明するよい機会を与えていただきました。感謝申し上げます。

 私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になって欲しい。
 それはどのような国かというと、国民を大切にし、日本と外国の自然や文化を大切にし、外国の人々に対しても、貧困や搾取や抑圧や戦争や災害や病気などで苦しまないで済むように、できる限りの努力をする国です。海外の紛争・戦争に関しても、積極的に仲立ちをして、平和の維持・構築のために働く。災害への支援にも取り組む。
 たとえて言えば、日の丸が、赤十字や赤新月とならぶ、赤日輪とでもいうようなイメージになれば、と思います。
 世界中の人々から敬愛され信頼される国となることが、安全保障にも繋がります。

 これは、私一人の個人的見解ではなく、既に55年以上も前から、日本国憲法の前文に明確に謳われています。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 そして、憲法前文は、次のような言葉で締めくくられています。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

 しかし、現状はまったく程遠いと言わざるを得ません。日本国は、名誉にかけて達成すると誓った理想と目的を、本気で目指したことが、一度でもあったのでしょうか

 東京電力福島第一原発による災害では、国土も、世界に繋がる海も汚染させました。たくさんの子ども達が、かつての基準なら考えられない高汚染地域に放置されています。そしてまた、安全基準も確立しないまま、目先の経済を優先して、大飯原発の再稼動を急いでいます。放射性廃棄物をモンゴルに捨てようとしたり、原発の海外輸出まで模索しています。
 明治になって日本に組み入れられた琉球は、抑止力のためという本土の勝手な理屈で多くの米軍基地を押し付けられ、さらにまた美しい海岸をつぶして新たな米軍基地を造ろうとする動きがあります。イラク戦争に協力し、劣化ウラン弾で子どもたちが苦しめらることにも、日本は加担しました。兵器輸出の緩和さえ模索しています。
 他にも、福祉を削り落として、貧困を自己責任に転嫁するなど、言い出せばきりがありません。ともかく今の日本は、誇りにできる状態から程遠いと言わざるを得ません。

 しかしながら、誇りにできる状態にないから、国旗に一礼をしない、ということではありません。完璧な理想国家(twitterで誤字を指摘頂いた。多謝)はあり得ないでしょう。しかし、理想を目指すことはできる。しかし、そのそぶりさえ日本にはない。それが問題です
 
 もっと問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今の日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている点です。この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています
 声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。
 人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。
 人々に同じ空気を強制して現状のままの日本を肯定させようとする風潮に対して、風穴を開け、誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛され信頼される日本が築かれる。日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと考えております
<以上、初回答弁の原稿>

<一問一答のやりとりの最後(要旨)>
Q:村長は子供たちが国旗に礼をしないようになる方がいいと考えているのか?
A:教育内容について行政から口を挟むことは控えるべきだと考える。なにをどう教えるかは、教育委員会の管轄である。国旗に対して、どういう態度を取るべき、とか、取るべきでない、とか、これまでも申し上げたことはないし、今後も申し上げるつもりはない。

<新聞記者(信濃毎日新聞、長野日報)との取材でのやりとりの最後(要旨)>
Q:子どもたちには、どうあって欲しいと思っているのか?
A:いろいろな人がいて、いろいろな考え方があるのだな、と感じてもらえれば嬉しい。その上で、自分はどう考えるのか、じっくり検討して欲しい。こういう態度を取らねばならないと、ただひとつの形しか提示しないのは問題。型にはめようとするのはよくない。「まぁ、この場は空気を読んでこう振る舞うのが大人だし…」というような対応を積み重ねた結果、曾て、場の空気に絡め取られ戦争に向けて後戻りできない状況に陥り、後悔したのではなかったか。どういうものであれ、自分の感じ方、思いを気安く表明できる「空気」を創っていくことが大事。それによって、互いに議論が深まり、理想の日本、あるべき日本、目指すべき日本が模索され、その結果が皆に共有されていけば嬉しい。
2012年6月12日 曽我逸郎
<転載、終り>

中川村の位置
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ところで、ちょっと前、
将棋の米永邦雄が園遊会で、天皇からやんわりと釘をさされた事件があったのを思い出したので、ネットの情報だけど纏めておく。

天皇陛下:国旗国歌「強制でないこと望ましい」 園遊会で
 東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開かれた秋の園遊会で、天皇陛下が東京都教育委員を務める将棋の米長邦雄永世棋聖(61)に、学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と話す場面があった。天皇陛下が「日の丸・君が代」問題について発言するのは極めて異例。
 米長氏は招待者として出席。都教育委員の仕事について「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と語ったことに対し、陛下が話した。米長氏は「もちろんそれはそうです」と答えた。
 園遊会後に宮内庁の羽毛田(はけた)信吾次長は、側近を通じて陛下に発言の趣旨を確認したとしたうえで「強制ということではなく、自発的というか、喜んで掲げる、歌うというありようが好ましいということを言われたのだと思う。具体的な行政施策の是非を述べられたものではない」と説明した。
 都教委は今年、君が代斉唱時に不起立の教員を大量処分するなど指導徹底を図っている。都立高教員らは斉唱などの義務がないことの確認を求め、都と都教委を提訴している。米長氏は99年から都教育委員を務め、推進発言を繰り返してきた。
【竹中拓実】
毎日新聞 2004年10月28日 22時56分


国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で(朝日新聞)
 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。
 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。
 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。
 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。
(10/28 23:41)


「強制でないこと望ましい」=陛下、国旗・国歌で異例発言-園遊会で米長さんに(時事通信)
 28日に開かれた秋の園遊会で、天皇陛下が、国歌斉唱や国旗の掲揚について「強制は望ましくない」と発言される場面があった。陛下が国歌や国旗について公の場で言及するのは異例。
 発言は、招待者の東京都教育委員で棋士の米長邦雄氏との会話の中で、米長氏が「日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるのがわたしの仕事でございます」と話すと、陛下は「やはり、強制になるという考え方でないことが望ましいですね」と応じた。 
(時事通信) - 10月28日23時0分更新


強制でないことが望ましい 陛下、園遊会で異例の発言(共同通信) 
 東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、天皇陛下が招待者との会話の中で、学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言された。
 棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄さん(61)が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことに対し、陛下が答えた。
 国旗国歌問題に関して陛下が発言するのは異例という。
 園遊会後に会見した宮内庁の羽毛田信吾次長は「行政施策の当否を述べたものではない」と政治的発言であることを否定した上で「国旗や国歌は自発的に掲げ、歌うのが望ましいありようという一般的な常識を述べたもの」と話した。
 1999年に施行された国旗国歌法は、日の丸を国旗、君が代を国歌と定めたが、義務規定や罰則規定はない。


米永のとんだ赤っ恥であるが、ご本人の当日の日記にはこのことは全く触れられていないという。
それだけ衝撃だったということだろうか。

以下、「私の宗教的体験」というHPを運営されている方の

<転載始め>
現代日本の「愛国者」たちは、何か勘違いしているようである。

思い起こせば、旧正田邸の取り壊しを、体を張って阻止しようとした愛国者たちがいた。
「これは皇后様のご実家ですよ」
中年の女性をまじえた一群の愛国者たちは、こう叫んで解体に来た作業用トラックを追い返した。一部のワイドショウなども、こうした運動を積極的に支援し、おかげで正田邸保存の流れが出来かけたのだった。

だが、皇后は実家を保存することに強く反対し、結局、正田邸は当初の決定通り取り壊されてしまった。皇后が保存に反対した理由を、昔自分が住んでいた家や自室を衆目にさらしたくなかったからだと解説する評論家もいたが、それはちょっと違うのではあるまいか。その理由は、私には別項の「正田邸解体問題」に書いておいたようなものだったと思われるのだ。

先日行われた天皇主催の園遊会での米長邦雄氏の発言も、天皇の気持ちを完全に取り違えていた。

彼は天皇が、「教育委員のお仕事、ご苦労様です」とねぎらわれたとき、得たりやおうと、こう答えたのである。
「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」

米長委員は、すべての学校に国旗を掲揚させ、生徒・職員に「君が代」を斉唱させれば天皇が喜ぶと思っていたのだ。彼は東京都教育委員会の中にあって、国旗・国歌の問題では強硬派の一人だといわれている。われこそは国を愛する戦士、陛下のために先頭に立って戦う無二の忠臣という自負を抱き、従来から東京都を起点にして全国の学校に国旗・国歌を強制すると宣言していたのである。

ところが天皇の口から、思いもよらない言葉が返ってきた。
「強制になるということでないことが望ましいですね」

周章狼狽した米長邦雄委員は、あたふたしてこう答えている。
「本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」

私はテレビで放映されたこの場面を見ていて、米長委員はわが国の自称「愛国者」の一つのタイプだな、と思った。愛国を売り物にする運動家には、暴力団タイプとお調子者(跳ね上がり)タイプがあり、米長委員はこの後者の典型らしいのである。

米長委員のホームページには、園遊会の翌日の日記があり、天皇と交わした対話を紹介している

将棋のことをお話ししました。
「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」
「あの、もう随分前のことになります」
「教育委員として本当にご苦労さまです」
「はい。一生懸命頑張っております」

天皇と対話したくだりについては、これだけしか書いてない。国歌・国旗についての彼の発言や、これに対する天皇の言葉を全部省き、その代わりに「はい、一生懸命頑張っています」と彼が答えたことにしてお茶をにごしている。場面場面で態度をころころ変え、その場限りの景気のいいことを言って歩くのがお調子者タイプの特徴なのだが、彼はその通りに行動しているのである

(以下略)
<転載終り>

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