2012年10月2日火曜日

昭和17年(1942)9月 ガダルカナル戦の失敗 「一般に近代戦に関する観念不足の感あり」(田辺盛武参謀次長)

東京 江戸城(皇居)東御苑
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昭和17年(1942)
9月14日
・細川嘉六、東京警視庁に検挙。「改造」筆禍事件。
世田谷警察署に留置後、「細川グループ」フレームアップのため横浜事件と合流。

細川とは関係なしに進行していた神奈川県特高による満鉄グループと、「泊事件」関係者の取調べの交叉線上に、細川の名前が浮かび上り、細川は検察と特高の「謀略のピラミッド」の頂点に立たされる。
細川は、昭和18年8月頃に東京拘置所へ、翌19年初夏に横浜刑務所未決藍に移され、ここで完全に横浜事件に合流してしまう。
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9月15日
・満州国建国10周年記念式典。新京と東京。
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9月15日
・ガダルカナルの川口支隊長よりラバウルの第17軍司令部に攻撃失敗報告。
「十二日夕刻東方陣地ノ砲兵隊ハ予定ノ如ク攻撃ヲ開始セルモ 主力ハジャングルノ進出意ノ如クナラス 十三日二二〇〇攻撃ヲ行ヒタルモ敵ノ抵抗意外ニ大ニシテ 大隊長以下多数ノ損害ヲ蒙リ 己ムナク大川(ルンガ川)左岸二兵力ラ集結 後図ヲ策セントス 将兵ノ健闘ニ拘ラス不明ノ致ス処 失敗申訳ナシ」。

第17軍百武司令官の命令。
「マタニカウ河河盂(含ム)以西ニ於テ成ルへク敵飛行場ニ近ク攻勢ノ拠点ヲ占領シ敵情ヲ捜索スルト共ニ為シ得ル限り敵航空勢力ノ活動ヲ妨害スルニ努メ 又カミンポ湾附近ニ上陸拠点ヲ占領シ 同拠点卜支隊主力間ノ交通ヲ確保ス」。
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9月15日
・日本海軍陸戦隊、タラワ、マキン、アバママ進出。守備増強。
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9月15日
・日本潜水艦イ19号、ソロモン海海域で空母「ワスプ」撃沈。
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9月15日
・日本出版文化協会(文協)専務理事飯島(朝日)、辞任。
19日、文協、佐藤彬(平凡社企画部長、文協革新派)を除名。「手打ち成立」。
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9月15日
・植物油脂原料及び植物油等配給統制規則、動物油脂規則配給統制規則公布。
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9月16日
・中国の盛世才、新疆の共産党員・進歩分子の逮捕弾圧開始。
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9月16日
ニューギニア、南海支隊、ブナへ退却始める。
南海支隊は、オーエン・スタンレー山系越えに悪戦苦闘し、目指すポートモレスピーを望見する地点で、スタンレー山系以北に撤退する決定がなされる。
ガダルカナルの戦況が深刻化して、ニューギニアへの充当予定兵力をガダルカナルに転用しなければならない状況となった為でもあるが、より端的には南海支隊の糧秣が尽きた為である。
南海支隊は後退行動に移り、敵の追撃と飢餓に挟撃され、惨澹たる末路へ追い込まれる。
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9月16日
ドイツ軍、スターリングラード市内に突入
スターリングラード最大級の激戦、ママエフ・クルガンの攻防戦始まる
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9月17日
・杉山参謀総長、第17軍(百武司令官)への兵力増強を上奏。
これに基づく大陸命688号により、関東軍、支那派遣軍、南方軍などから約20単位に近い部隊が第17軍に編入。第2師団のガダルカナル転用、決定。
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9月17日
・大本営、在スマトラの第3師団のラバウル転用指示
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9月17日
・青木一男、国務大臣に就任。谷正之、外務大臣に就任。
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9月17日
・ウィルキー米特使訪ソ。
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9月18日
・ガダルカナル、川口支隊主力、戦場を離脱し第17軍司令部命令どおりマタニカウ河畔に集結。

敵陣奥深く進入した歩兵第4連隊第2大隊(田村大隊)の最先端にある第6中隊に退却命令が伝わるのは16日で、夕方から退却に写る。
どの兵も食料無く、兵器も放棄し、銃剣と飯盒だけを携行した絶食状態での退却行。
栄養失調で死亡者も続出
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9月18日
・ガダルカナルの川口支隊の攻撃失敗により、第17軍の参謀陣増強。
松本参謀が第2師団に転出、15日、小沼高級参謀が後任発令され、この日東京発。
また、大本営派遣参謀井本中佐と交代に、大本営作戦班長辻政信中佐と情報参謀杉田一次中佐が赴任。

田中新一大本営陸軍部第1(作戦)部長の注意。
「(前3項略) 
4、作戦の基礎 今までは敵情、地形、敵の戦法等不明のまま作戦せり。まずこれを知りこれを制するの策案む樹立するを要する」。

田辺盛武参謀次長の注意。
「1、兵力の逐次使用は不可。 
2、攻撃開始期日は具体的根拠に立脚せよ。 
3、爾他のことこれを許せば物資カを考慮せよ。攻撃に当り敵情捜索せず、機関銃鉄条網に対する処置を講ぜずして攻撃するは不可。一般に近代戦に関する観念不足の感あり。」
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9月18日
・ガダルカナルの米軍に増援(第7海兵連隊)4千、食糧1012トン、弾薬、ドラム缶3823本の燃料、車輌147台の補給。

ガダルカナル島戦に二世兵投入(詳細時期不詳)。やがて太平洋戦線に6千人が参加。
ガ島戦当時は、忠被心に疑いが持たれ軍属資格だが、その活躍は効果的。
日本軍の編成が原籍地主義であることを知り、捕虜に本籍地を訊ねるだけで、連隊・師団を探知でき、日誌の一節からラバウルに待機する日本軍兵力を読みとり、「停年名簿(将校名簿)」を発見して日本軍指揮官の氏名情報を正確に把握。
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9月18日
・山脇正隆陸軍中将(後、大将)、第2代ボルネオ守備軍司令官に親補。
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9月18日
・英軍、東部マダガスカルに上陸
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9月19日
・勤労顕功章令公布
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