2012年11月8日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(51) 「第3章 ショック状態に投げ込まれた国々 - 流血の反革命」(その9 おわり)

東京 北の丸公園
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(51)
「第3章 ショック状態に投げ込まれた国々 - 流血の反革命」(その9 おわり)

正当化される「テロとの戦争」
共産主義テロリストとの戦いであるとして正当化
南米南部地域の軍事政権は、それぞれの社会を根本から作り直すという革命的野心を隠そうともしなかったが、ウォルシュが糾弾した大規模な暴力の行使(その目的は先に挙げた経済的目標の達成にあった)については、公式に否定するだけの抜け目なさを持っていた。
人々を恐怖に陥れ、障害を排除するシステムがなければ、そうした経済的目標が民衆の暴動を招くことは確実だった。
国家による虐殺が認められる限りにおいて、軍事政権はそれをソ連国家保安委員会(KGB)から資金を受けた危険な共産主義テロリストとの戦いであるとして正当化した。
「卑劣な」手段を使うのも、敵が極悪非道だからだというわけだった。
マセラ海軍提督の説明は不気味なほど今日にも通じる響きを持っている。
「自由を求め、専制に反対する戦い、(中略)死を支持する者たちに対する、われわれ生を支持する者の戦いだ。(中略)われわれの敵は虚無主義者であり、破壊の手先である。社会運動を装ってはいるが、彼らの目的は破壊そのものにしかないのだ」

チリのクーデター直前、CIAはサルバドール・アジェンデが偽装した独裁者だとする大規模なプロパガンダに資金援助を行なった。
アジェンデは立憲民主主義を利用して権力を掌握したが、じつはソビエト式の警察国家を強要しようとしているマキアヴェリ的な策略家であり、そうなったらチリ国民はけっして逃れることはできない、と。
アルゼンチンとウルグアイでは、最大の左翼ゲリラ組織であるモントネーロスとトゥパマロスが、国家安全保障を脅かすきわめて危険な存在であるとのプロパガンダが敷かれた。
だから軍事政権は民主主義を一時中断して国家を掌握し、彼らを壊滅させるために必要な手段を講じなければならない、というわけだ。

いずれの場合も、脅威は軍事政権によって極端に誇張されるか、完全にでっち上げられるかのどちらかだった。
一九七五年の上院の調査 - それにより多くの事実が明らかになった ー では、アジェンデは民主主義に脅威を与えるものではないことが、ほかでもない米政府自身の情報によって示されていることが明確になった。
アルゼンチンのモントネーロスとウルグアイのトゥパマロスについて言えば、これらは軍事・企業施設を標的にした命知らずの攻撃をも辞さない武装集団であり、民衆からかなりの支持を得ている。
だがウルグアイのトゥパマロスは、軍部が絶対権力を掌握したときには完全に解体していたし、アルゼンチンのモントネーロスは、七年間続いた独裁政権の最初の半年以内に消滅した(ウォルシュが身を隠していたのはそのためだ)。
機密解除された国務省の資料によれば、一九七六年一〇月七日、アルゼンチン軍事政権のセサル・アウグスト・グゼッティ外相はアメリカのキッシンジャー国務長宮に対し、「テロ組織はすべて解体した」と語っている。
それでも軍事政権は、その後も何万人にも上る市民を失踪させたのだ。

一方のアメリカ国務省も長年にわたり、南米南部地域における「汚い戦争」を、軍隊と危険なゲリラとの間の戦いであり、ときに手に負えない状況になるものの、経済的・軍事的援助を提供する価値のあるものだと主張してきた。
だがアルゼンチンでもチリでも、米政府がそれとはまったく違う種類の軍事作戦を支援していることを承知していたことは、多くの証拠によって裏づけられている。
二〇〇六年三月、ワシントンにある非政府研究機関、国家安全保障アーカイブが公表した、新たに機密解除された資料(一九七六年のアルゼンチンの軍事クーデターの二日後に米国務省で聞かれた会議の詳細)によると、この会議でラテンアメリカ担当国務次官補ウィリアム・ロジャーズはキッシンジャー長宮に向かってこう述べている。
「アルゼンチンでは近い将来、かなりの規模の弾圧が行なわれ、おそらく多くの血が流れることを予期しなければならない。テロリストだけでなく労働組合の反体制活動家やその政党に対してもきわめて厳しい弾圧が行なわれると思われる」

彼らが殺されたのは武器のせいではなく、思想信条のせいだった
事実はそのとおりだった。
南米南部地域の国家テロによる犠牲者の大多数は武装グループのメンバーではなく、工場や農場、スラム街や大学で働いている非暴力の活動家だった。
彼らは経済学者であり、芸術家、心理学者、左翼政党の党員たちだった。
彼らが殺されたのは武器のせいではなく(ほとんどの人は武器を持っていなかった)、思想信条のせいだった。
当節の資本主義が誕生した地である南米南部地域において、「テロとの戦い」とは新秩序の形成を邪魔するあらゆる障害に対してしかけられた戦いだったのである。
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