2013年2月18日月曜日

1765年(明和2年)7月~12月 モーツアルト一家、イギリスからオランダに渡る。 モーツアルトと姉、重病(チフス)に罹る。 【モーツアルト9歳】

江戸城(皇居)梅林坂 2013-02-13
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1765年(明和2年)
7月
・モーツアルト一家、大英博物館を訪れ、一家の肖像画・3冊のソナタ集(K6~9)・モテット(宗教マドリガル)「神はわれらが避け所」(K.20)の自筆譜を寄贈。現存。
7月19日付、大英博物館よりレオポルト宛に受領した旨の手紙。
24日、モーツアルト一家、ロンドン出発。

『公衆新聞』に出された最後の広告(7月9日、11日)には、ナンネルルとヴォルフガングが四手で連弾の演奏を行なう旨が記されている。

父レオポルトは、パリを経由してイタリアに入り、ミラーノとヴェネツィアを経て帰郷することを考えていた。
ところがオランダのヴァルデーレン伯ヤン・ヴァルラート(英国駐在大使)から、是非オランダを訪ねて欲しいとの総督オランニエ公ヴィレム5世および姉のカロリーネ・フォン・ナッサウ=ヴァイルプルク侯妃の要請を伝えられ、8月をオランダで過ごし、9月にパリに戻るように急遽予定を変更した。
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・イギリス、ロッキンガム内閣成立。
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7月3日
・近畿一帯が大風雨
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7月5日
・京都の紅花問屋の仲間が廃止。最上の紅花荷主の京都直売が許可
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7月6日
・幕府、中国向け輸出品の鱶鰭(ふかひれ)増産のため、新しく鱶漁を始める浦々へは当分の間、税の一種の運上を免除する。
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7月27日
・伊予、松山藩、桑村・越智両郡内の1万石を幕府に没収され、領内の新田で石高を補填。
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8月
・江戸、両国橋のたもとにマンボウの見世物がでる。
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・平賀源内、「火浣布略説」を刊行。
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8月1日
・モーツアルト一家、ドーバー海峡を渡る。
オランダのオランニエ公ヴィレム5世の招きでオランダに向かう。
5日、リル到着。モーツアルト、レオポルト、相次いで病気(喉頭炎)。1ヶ月ほど滞在。
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8月3日
・再び近畿一帯に大風雨
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8月8日
・オーストリア、マリア・テレジア夫・神聖ローマ皇帝フランツ1世(フランツ・シュテファン)、インスブルックで次男レオポルトの結婚式の最中、急病で没。

18日、マリア・テレジア長男、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が即位。
マリア・テレジア共同統治する
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8月25日
・ボストン、英が制定した印紙税法に反対する暴動。
各地で印紙条例に反対する反乱が発生。
ニューヨークの農民反乱は10ヶ月続く。
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9月4日
・幕府、最初の計数を表示した銀貨である五匁(もんめ)銀を鋳造し発行。
重さに関係なく金1両につき五匁銀12個という定位貨幣に決めた。
銀貨を定位貨幣に切り替えたことは画期的だが、質が悪く不評判のため、安永の頃までに出された五匁銀の総額は1,806貫目余という少額で終わる。
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9月4日
・モーツアルト一家、リル出発→ヘント(ベルギー)→アントヴェルぺ→ムールディク→ロッテルダム。
5日午後、ヘントのシスティーナ派修道院の大きな新しいオルガンで演奏。
この日、モーツアルト一家、アントワープ着、9日まで滞在。
モーツァルトは教会を訪ねてオルガンを演奏、レオポルトはルーベンスの絵に強い印象を受ける。

10日、デン・ハーク到着。
12日、姉ナンネルが重症のチフスに罹る。
オランニエ公宮廷に伺候。ハーグでの宮廷音楽会。モーツァルトだけが演奏。18日にも。
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9月27日
・この日付の「ハーグ金曜時報」の記事。
「ザルツブルク領主大司教の楽長モーツァルト氏は1765年9月30日月曜日、ハーグ「オウデ・ドゥレーデン」のホールで宮廷の許可により大演奏会を催す。その際ほんの8歳8ヶ月の息子と、14歳の娘がチェンバロで協奏曲を演奏する。序曲はすべて、抜群の才能を示し、ウィーン、ヴェルサイユ、ロンドンの宮廷で認められたこの若き作曲家の手によるもの。希望者が好みの曲を示せば、彼はすべて初見で演奏する。・・・」
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10月
・ゲーテ(16)、法律を学ぶためライプツィヒ大学入学。精神の自由を求め奔放な生活に傾く。
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・モーツアルト、ハ―グでコンサート・アリア「誠実に身を保て」(K23)作曲。
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10月7日
・ニューヨーク、英の印紙税法に反対する9植民地代表が印紙税法会議開催。
19日、権利と苦情の宣言、採択。

印紙条例新設に対し、貿易商人や大プランテーション経営者は強く抗議し、イギリス政府は臣民の同意なしに新たに課税できないと宣言。
政府は、ロンドンの議会がこれらの税を承認しており、議会は植民地居住者を含む全イギリス臣民を代表している、と応酬。
この日、13のうちの9植民地代表がニューヨークで会議、「代表なき課税」を拒否する。
商人はイギリス商品のボイコットに合意し、職人やプランテーション経営者と共同して、イギリス政府に抵抗する為、「自由の子」協会を結成。
翌年、イギリス政府は譲歩し、印紙条例を撤回。
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10月21日
・デン・ハーク、モーツアルト姉ナンネル、臨終の秘蹟を受ける。
11月中旬、奇跡的に回復。
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11月
・尾去沢銅山が南部藩の直営となる。
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・嶋田允房・小野蘭山による植物図説「花彙(かい)」、刊行。
図に立体感をもたせるよう工夫された。
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11月1日
・北米英植民地、印紙条例が発効。ニューヨーク農民の大反乱が始まる。
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11月15日
・デン・ハーク、ヴォルフガング・モーツアルト、重病(チフス)に。
12月末に回復。姉弟でかわるがわる病気にかかり、旅行が延ばされる。

11月15日に発病したヴォルフガングは「四週間というもの、この病気のためにまことに惨めな状態に陥り、まったく意識がなくなったばかりか、柔らかな皮と小ちゃな骨骸のほかなんにもなくなったほど」(12月12日付け手紙)であった。
レオボルトはこのあと翌1766年5月まで5ヶ月間も故郷へ通信を送っていない。オランダ旅行が大変な試練であったことを物語るもの。
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11月30日
・ルソー、英国行きを決意。
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12月
・モーツアルト、交響曲(第5番)変ロ長調(K.22)を作曲。
(父レオポルトの写譜には、1765年12月完成とある。この頃ヴォルフガングは重症だったので成立時期が疑われている。 ただし、翌年1月22日ハーグで行われた第2回音楽会で演奏されたらしいので、それ以前の完成であることは確か)。
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12月4日
・江戸、奥医師多紀元孝の私塾躋寿館が神田佐久間町に完成し、幕府が藩医や町医師などの聴講を認める。のち、医学館となる。
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12月20日
・仏、王太子ルイ、没(1729~)。王孫ルイ・オーギュスト、王太子となる。
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12月23日
・幕府、座頭らの高利貸が他人の金を預かって貸し付けること、法外な高利子をとることなどを禁じる。
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12月23日
・幕府、長崎港の浚渫を計画し、港に出入りする船からその費用を徴集する。
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