2013年4月10日水曜日

昭和17年(1942)12月9日~17日 参謀本部作戦課長服部卓四郎大佐が真田穣一郎大佐と交代(ガダルカナル撤退への伏線)。 「言論はこれら少壮官吏の玩具になった」(暗黒日記)

ハナズオウとウコン(桜) 北の丸公園 2013-04-05
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昭和17年(1942)
12月9日
・ガダルカナル入泊予定の伊第3号潜水艦、米魚雷艇により撃沈され、潜水艦輸送も当分中止。
26日再開。
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12月9日
・この日の清沢洌「暗黒日記」。

「・・・昨日は大東亜戦争記念日〔大詔奉戴日〕だった。
ラジオは朝の賀屋〔興宣〕大蔵大臣の放送に始めて、まるで感情的叫喚であった。
夕方は僕は聞かなかったが、米国は鬼畜で英国は悪魔でといった放送で、家人でさえもラジオを切ったそうだ。
かく感情に訴えなければ戦争は完遂できぬか。
奥村〔喜和男〕情報局次長が先頃、米英に敵愾心を持てと次官会議で提議した。その現れだ。

・・・大東亜戦争一周年において誰もいったことは、国民の戦争意識昂揚が足らぬということだった。(奥村、谷萩〔那華雄、大本営陸軍報道部長〕大佐ことごとく然り--『日々』〔新聞〕十二月九日)
これ以上、どうして戦争意識昂揚が可能か。
・・・十二月八日、陸軍に感謝する会が、木挽町の歌舞伎座であって、超満員だった。
「連続決戦」という文字が新たに出た。
戦争を勃発させるに最も力のあった徳富猪一郎〔蘇峰〕は、戦争一周年に「日本に日本精神あれば、英米に英米魂あり」といっている。また「朝気は鋭、暮気は帰」の古語に対し、アングロサクソンは「朝気は朦朧、暮気は新醒」という。(十二月九日『日々』) 

・・・東条首相は朝から晩まで演説、訪問、街頭慰問をして五、六八分の仕事をしている。その結果、非常に評判がいい。総理大臣の最高任務として、そういうことを国民が要求している証拠だ。
 日ア紹介の英人像抹殺 【松本電話】日本山岳会次木幹事ほか二氏は日本北アルプスを世界に紹介した英人ウォルター・ウェストンの胸像を撤去のため七日登山、記念日の八日撤去した。(『読売』昭和十七年十二月九日) 

 大東亜戦争を通じて最も表象的な人間は奥村情報局次長である。予は奥村情報局次長の説を愛読す。かれの説が、現在のイデオロギーを代表するがゆえに。奥村の知識は日本国民を代表す。おそらくは世界には通用せず。」

奥村喜和男(1900~69):
逓信省事務官、関東省逓信事務官、1941~43年内閣情報局次長。

谷萩那華雄(明28・8・9~昭24・7・8):
大6・5 陸士卒(29期)、 大6・12 任歩兵少尉・歩兵第15聯隊附、10・4 任歩兵中尉、15・8 任歩兵大尉、昭2・12 陸大卒(39期)・歩兵第15聯隊中隊長、5・8 第19師団参謀、6・8 技本附・軍事調査委員(新聞班)、7・8 任歩兵少佐、参本附(重慶駐在)、関東軍附、参本附、支那駐屯軍司附、12・8 任歩兵中佐、北支那方面軍司附、北支那方面軍司附、13・12・30 第1軍司附(大原特務機関長)、14・3・9 任歩兵大佐・中支那派遣軍参謀、14・9・12 支那派遣軍司附(軍事顧問部)、17・3・11 兵器行政本部附(大本営陸軍部報道部長)、18・3・1 任少将、18・10・15 第15独立守備隊長、18・11・24 独立混成第25旅団長、19・10・14 第25軍参謀長、24・7・8 メダンで刑死。
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12月10日
・ニューギニア・ゴナ陥落
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12月10日
・大本営、重慶作戦中止を発令
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12月10日
・大本営政府連絡会議(御前会議)、東条首相は、船舶保有量その他諸般の事情により国力の現状は南太平洋における作戦指導上の要請を満たし得ない事を認める。輸送船を戦争の為にまわすことで政府が大本営要求を呑む。
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12月10日
・大本営政府連絡会議、この戦争を大東亜戦争と称すると正式に決定。

海軍は「太平洋戦争」「興亜戦争」を主張するが、「大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものとして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず」との陸軍の意見が通る。
自給自足・資源確保を重視する海軍と、自給自足・大東亜共栄圏建設の折衷を戦争目的と考える陸軍の微妙な対立が表れている。
情報局は、「大東亜戦争と称するのは大東亜新秩序建設を目的とする戦争になることを意味する」と、陸軍の見解を公式に発表。
自存自衛で戦いに入るが、緒戦の戦果に眩惑され、東亜解放の盟主気取りが前面にでてくる。
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12月10日
・ドイツ第4機甲軍「冬の突風作戦」開始
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12月11日
・第1軍、全山西冬季勦共作戦を実施(/11-19)。
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12月11日
・ガダルカナル、ネズミ輸送4回目(最後)。
2水戦司令官指揮の下に9隻がショートランド出撃、敵機の攻撃と魚雷艇の襲撃下にドラム缶1200個を投入した。
その間、駆逐艦「照月」(旗艦)は魚雷1本命中で爆発炎上、沈没。ドラム缶は220本が陸上に回収さるが、これは半定量として僅か約3日分。
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12月11日
・ドイツ作家クレッパー、妻娘と共に自殺。
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12月12日
・12月末にガダルカナル反転攻勢に投入予定の第51師団の第1船団、ラバウル到着。
続いて第2、3船団も着。

必勝戦力として投入予定の第51師団は、ジャングル作戦や上陸作戦の訓練を実施し広東に集結、ガ島方面の制空権奪回後に一挙に輸送揚陸する計画。
第17軍は、その攻撃開始時期を12月末頃と予定し、各船団は香港から無事に到着しかし、この頃、ガ島戦の状況はもはや挽回不可能な破断界の様相を呈するに至っている。
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12月12日
・ラバウル、第8艦隊参謀神大佐が、第8方面軍井本参謀に対し、海軍側は自信がなくなった、大本営からも近く命令が来ると思うが、攻撃計画と引く計画の二本建てで立案する必要がある、という申し入れ。
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12月12日
・東京出張中の連合艦隊黒鳥先任参謀、東京での交渉経過を連合艦隊司令部に打電。
宇垣参謀長日記には「先任参謀より東京に於ける交渉状況を電報し来る。軍令部は全然同意、陸軍も一応了解、真剣なる研究を開始せり」とある。

3回の攻撃失敗後、ガ島は奪回必成の可能性は殆どなく、ただガ島の第17軍将兵を細々と食わせるだけで、その補給を続けること自体が連合艦隊艦艇を喪失し続ける現状。
大局的見地から撤収を考える汐時。
ただ、敵の航空基地の眼前で撤退するのは難事中の難事で、黒鳥先任参謀の感想では、この頃は未だ、陸海軍部の作戦課で、意見一致をみていない様子。
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12月12日
・この日の「機密戦争日誌」、「南太平洋各種の不吉なる情況の具現に際し、採るべき態度に関しても次長、総長間の決意定まりたるものの如し」と述べる。

14日には作戦課長服部卓四郎大佐が真田穣一郎大佐と交代。
重要な方針、大作戦の変更は、人事の更新を待って行なわれるのが陸軍の慣習で、作戦課長交代は、ガ島撤収の覚悟ができたとみなす事ができる。
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12月12日
・この日の清沢洌「暗黒日記」。

「右翼やゴロッキの世界だ。東京の都市は「赤尾敏」〔代議士〕という反共主義をかかげる無頼漢の演説のビラで一杯であり、新開は国粋党主〔国粋同盟総裁〕という笹川良一〔代議士〕という男の大阪東京間の往来までゴヂ活字でデカデカと書く。こうした人が時局を指導するのだ。 ラジオの低調はもはや聞くにたえぬ。
 二、三日以前、警察署の情報部のものが来て英米に村する敵愾心宣伝の効果如何を聞きに来たる。奥村情報局次長がやっている政策に対する批判だ。僕は奥村更迭の要をのべた。・・・」。
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12月12日
・天皇、伊勢神宮親拝、敵国降伏を祈念
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12月12日
・全国の12の私鉄が国有化される
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12月12日
・ドイツ『ヴィンターゲヴィッター(冬の突風)」作戦(スターリングラードに包囲されている第6軍救出作戦)失敗
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12月12日
・ソ連とチェコスロバキア、同盟締結。
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12月13日
・ガダルカナル、この日から、米軍の砲兵・飛行機の活動が再び激しくなり、第38歩兵団正面では米軍が陣地を逐次推進し、アウステン山攻略の気勢示す。
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12月13日
・ロンメル、エル・アゲイラより撤退
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12月14日
・第三次魯東作戦開始
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12月14日
・連合艦隊渡辺安次参謀、第8方面軍に対しガ島撤退の場合如何にするか、陸海軍幕僚間で研究したいと提案。方面軍は井本参謀が対応。
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12月14日
・参謀本部作戦課長服部卓四郎大佐、陸軍大臣秘書官に転出。後任に真田穣一郎大佐。
15日、新作戦部長綾部橘樹少将、満州より羽田着。
16日、南東方面主任参謀瀬島少佐(前月下旬竹田宮中佐から引継ぎ)が真田課長に作戦経緯・現状報告。
17日、真田作戦課長は、作戦班瀬島少佐・航空班首藤少佐と共に南太平洋方面に出張。

真田作戦課長一行は、17日横浜~サイパン18日~トラック19日~ラバウルという旅程。
往復とも連合艦隊司令部(トラック)に立ち寄る。往路、サイパンで(17日)、真田課長は東京へ帰還途中の兵站班長高山中佐・馬淵参謀と会い、高山中佐から現地状況の深刻な報告に接す。

「ガ島輸送ノ困難性、成功ノ困難性 ガ島ニ対スル航空撃滅戦ノ見込確信ナシ・・・ 
 ニューギニアニ対スル事ヲ考ヘルトガ島ニ対スル丈ケノ航空撃滅戦ハ無意味・・・ 
 我海軍ノ無力 我制空権制海権アルハラポールノ近辺丈ケナリ 実ニ貧弱ナリ 補給ノ時ノ潜水艦 駆逐艦ノ勢力到底問題トナラス・・・ 
 鼠輸送ヲコツコツ手当ヲシテ強行スル意志ハ毛頭ナシ・・・ 
 軍需品丈ケテモ六〇隻使ツテ進入シテ1/2~2/3ヤラレル・・・、
 ガ島ニ対スル自信ハ海軍ハ既ニナイ 陸軍ノ口ヲ通シテ止メサセヨウトカカツテヰル・・・ 
 ガハ止メタ方カ可」(真田日記)
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12月14日
・「トリートン」Uボート暗号が解読されるが、実践部隊はまだ利用できなかった
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12月15日
・ガダルカナル、第38師団司令部附大野中尉以下3名、米軍の指揮中枢攪乱を狙って出発、この挺身隊は1名も帰還せず。
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12月15日
・大政翼賛会、「海ゆかば」を国歌に次ぐ国民歌に指定。
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12月15日
・この日の清沢洌「暗黒日記」。

「昭和十七年十二月十五日(火) 奥村(喜和男)情報局次長は、新聞記者会合の席上で「新聞の紙は来年からウンと少くする。諸君は新聞記者をやめて、情報局の聖戦完遂の演説で地方でも回れ」と言ったという。それから『中央公論』などはウンと紙を少くするとて、名をあげて攻撃した。さらに堀内という中佐は、中央公論をなくしてしまうとも言ったとのことだ。言論はこれら少壮官吏の玩具になったのである」
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12月16日
・連合軍、アラカンで反撃
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12月16日
・第78臨時議会。~17日。

東條がアメリカの外交政策を非難し、「もし我にして米国の要求に従属すれば、大東亜安定のために傾注してきた帝国積年の努力は悉く水泡に帰するばかりで帝国の存立すらも危殆に瀕し・・・」と訴える。
10分足らずの演説に拍手は20数回も演説を中断。
有志議員からは陸海軍感謝決議案が提案され、かつての桜会メンバで赤誠会有力議員橋本欣五郎が提案説明。
「衆議院は特に院議を以て陸海軍将兵諸士の偉功を感謝し其の勇健を祈り併せて忠肝義胆鬼神を哭かしむる殉国の英霊に対し深甚なる敬弔の忱を表す」。
総員起立で可決。
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12月16日
・ソ連軍ドン河畔で攻勢、イタリア第8軍壊滅
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12月17日
・国連、ナチスのユダヤ人に対する犯罪は報復を受けるだろうと宣言
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