2013年4月13日土曜日

違憲なものは無効が原則、当然で、違憲だが無効にしない、というのが本来筋違い。無効にならないように、立法府が手当てする、というのが三権分立における在り方だろう。





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筑波大名誉教授・土本武司 「選挙無効」は行き過ぎてないか
2013.4.12 03:26 

 民主主義の基礎には「投票の平等」の原則がある。それは、形式的に「一人一票」であればよいというのではなく、実質的に一票の重みの平等が図られなければならない、ということである。

 だが、地方から都市への人口移動などに伴い、「一票の格差」は広がり、2009年の衆院選では最大2倍以上に開いた。最高裁が「違憲状態」としたその差は、昨年12月の衆院選ではさらに拡大して最大2・43倍に達した。

 ≪「事情判決」の法理適用せず≫

 これは憲法14条の「法の下の平等」の原則に反するとして、2つの弁護士グループが全国14の高裁・支部に計16の訴訟を起こし、このほど全判決が言い渡された(衆院選の効力に関する訴訟は二審制で高裁が第一審である)。

 一連の訴訟のうちで合憲とされたのは0件、「違憲だが選挙は有効」とされたのが12件、「違憲状態だが選挙は有効」とされたのが2件、「違憲で選挙は無効」とされたのが2件である。いずれの判決も、最高裁が09年選挙を「違憲状態」と指摘してから、昨年12月の衆院選までに区割りが是正されなかったことを重視し、昨年の選挙における区割りを「投票価値の平等に反する状態だった」と認定して、違憲判決に至った。

 注目されるのは、広島高裁、同岡山支部判決が、「違憲」と判断したうえで「選挙無効」とまで断じた点である。従来、「違憲」と判断されても、「事情判決」の法理を用いて、選挙自体は有効視することが一般的であった。

 「事情判決」とは、裁判所が被告の行為を違憲と認めても、これを取り消すことにより公益に重大な障害が生じる事態がある場合に請求を棄却する判決のことである(行政事件訴訟法31条1項)。

 一票の格差訴訟でも、この考え方に依拠したものが多い。戦後の国政選挙で無効とされたのは、今回まで皆無だった。それは、無効とした場合の混乱を考慮し、「事情判決」の法理の適用に踏み切ったものが多いからである。

 ≪立法府に責任あるとしても≫

 しかし、広島高裁、同岡山支部判決はこの法理を用いず、「選挙無効」の断を下した。その点で両者に変わりはない。違いは別の法理、つまり判決確定から一定期間が経過した後に無効の効力が生じるという、「将来効判決」の法理を適用したか否かにある。

 前者は、この法理を採用し、衆院の「選挙区画定審議会」が改定作業を開始した昨年11月26日から1年後の今年11月26日までの執行猶予付きで無効を言い渡した。これに対し、岡山支部判決は「将来効」も採らずに、確定判決をもって即時無効になるとした。

 16件もの訴訟で一斉に違憲判断が出て、このうち2つの裁判所では選挙無効の判断にまで踏み込む事態に至った責任が、立法府にあることはいうまでもない。

 司法府は長年にわたり国会の格差是正努力をできるだけ見守る姿勢を取ってきたにもかかわらず、「最高裁の違憲審査権も軽視されており、もはや憲法上許されるべきではない」(広島高裁判決)という喫緊の局面に立ち至ったのである。立法府は、一票の平等に向けた対策を何にも増して優先しなければならないであろう。

 しかし、両判決の指摘するところにも問題がなくはない。第1に広島高裁が採った「将来効判決」は、その法的な根拠が明らかでなく、司法府の権限を超えるのではないかとの疑問すらある。

 ≪国民の主権行使はどうなる≫

 もっと問題なのは岡山支部判決だ。「事情判決」の法理はもちろん、憲法が想定していない状況を回避する司法権の最終手段とされる「将来効判決」の法理さえも採らず、「選挙無効」とした。何の付帯条件も付けず、判決確定と同時に選挙無効の効果が発生するというのでは、政治的混乱を招きかねない。判決は「政治的混乱と長期にわたって投票価値の平等に反する状態を容認することの弊害とを比べると前者の方が大きいとはいえない」と批判に反論した。

 だが、無効判決が確定した選挙は無効になり、他の選挙は事実上有効になる問題をどうするのか。選挙制度を見直さなければならないときに、一部議席が空白のままでできるのか。選挙無効となった議員が審議に関与した、法律や予算まで取り消されることになるのか、何よりも、投票という国民の主権行使を無に帰せしめることにはならないか。国家運営や民主主義の根幹にかかわる重大な難問が惹起されるのは疑いない。

 本来、「違憲・有効」というのは論理矛盾である。だが、選挙を無効にすれば国政に重大な支障を来すから、論理矛盾であろうとも「違憲だが有効」とする「事情判決」に止めるという司法の抑制的対応が、例外的な取り扱いとして一般化してきたのである。

 岡山支部判決は、論理に一貫性を持たせた大胆な考え方であるとはいえ、現実性、実践性には乏しい。いずれ、これら16の訴訟すべてが上告され、最高裁の統一的な見解が出されることになろう。注目してその判断を待とう。(つちもと たけし)






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