2013年8月1日木曜日

長元6年(1033)~長元7年(1034) 源師房、久我(こが)の地に別業を営む(久我山庄の由来)

江戸城平川濠 2013-07-31
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長元6年(1033)
・この頃、『栄花物話』(正篇)が成立。
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・フランス大飢饉。970~1040の70年間に飢饉の年が48年。
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・ベネヴェント候ランドゥルフス5世、没(位1014~1033)。パンドゥルフス3世、即位(位1033~1060)。
カープア候パンドゥルフス4世、候位継承に介入(パンドゥルフス4世はランドゥルフス5世と兄弟)。ベネヴェント市民の激しい抵抗に合い失敗。
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・皇帝コンラート2世、争いを続けているポーランド王から領土を奪還し臣従させる。
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2月2日
・皇帝コンラート2世、ブルゴーニュ王位を正式に獲得。
フランス王アンリ1世と同盟し、シャンパーニュ伯の動きを抑え、2度の遠征により王位獲得。
コンラート2世の行程(ブルゴーニュ→ポーランド辺境→シャンパーニュ→ラウジッツに帰還)。
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5月14日
・京都、神泉苑で請雨経法。
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6月29日
・教皇ベネディクトゥス9世、ローマより退去。日食をきっかけに教皇排斥の叛乱。
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8月
・「久我(こが)山庄」の由来。
源通親(1149~1202)「擬香山模草堂記(ぎこうざんもそうどうき)」によると、この夏、源師房が、この地を卜(ぼく)し別業(べつぎょう)を営むのに始まる。
師房『土右記』長元7年7月21日条にも「久我の家」の記述ある。
久我は鴨川が桂川に合流する付近の西岸の地で、師房から顕房に伝えられる。
応徳4(1087)年2月、対岸の鳥羽の地に白河上皇が院御所を営み、周辺一帯は一躍脚光を浴びる。
久我の地は顕房から雅実に伝えられ、その嫡流の名字の地となり、村上源氏の嫡宗の称となる。
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長元7年(1034)
・ノルマンディ公ロベール1世、突然、聖地巡礼に出発。
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・ジェノヴァ、ボーナ(カルタゴの西)を一時的に占領。
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・スペイン、キリスト教君主ゴンサーロ・トランスタミーレス伯、モンテモル・オ・ヴェリョを攻略(モンデゴ河口、コインブラの西)。
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・ノルマンディ、新貴族エルアン、脱俗して修道士になる目的でベック修道院建設。
ランフランクスにより、無名の修道院が最も有名な修道院になる
(ランフランクス;1005?~1089、北イタリア出身ランゴバルド人、パヴィア生まれ)。
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・ベネディクト会修道士アデマール・ド・シャバンヌ(46)、没(988頃~1034)。世界の始まり~1028年頃迄の年代記を著す。
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・ビザンティン、ゾエの差金でロマノス3世、暗殺。ゾエと再婚したロマノス3世の弟ミカエル4世、即位(~1041)。
ゾエ:
ビザンチン王の父コンスタンティノス8世没後、ロマノス3世(在位1028~1034)と結婚、夫を王位につける。
後、甥ミカエル5世(位1041~1042)により捕えられ修道院へ送られるが、都市市民の反乱で復帰、ミカエル5世を失脚させる。
妹テオドラと共同統治(位1042)後、コンスタンティノス9世(位1042~55)と3度目の結婚。
1050年病没、コンスタンティノス9世も5年後に没。
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・チェコ、ブジェチスラフ1世の治世。1034~1055。
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・夏、皇帝コンラート2世、低地ブルグンドを含め全王国を支配下におさめブルゴーニュ王国を帝国に併合。
この年、「ローマ帝国」という帝国名を初めて公式文書に用いる。
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9月
・京都に大風洪水。
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9月13日
・東方に彗星。
16日、密奏、大風もしくは地震の前兆という。旧を改める徴であり、改元が話題に。
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10月24日
・この日、上総介藤原辰重(ときしげ)が源経頼(『左経記』筆者)を訪れ、「将門の乱の時の衰亡も甚だしかったが、忠常の乱による荒廃はもっと激しく、約2万3千町ほどあった上総国の田は、前上総介平維時の時にはわずかに18町までに激減し、自分が赴任したときには50町ほどであった。しかし、現在は少しずつ回復し、他国に逃げ散っていた人民も多く帰国するよぅになり、今年は1200町にまで回復した」という。
凄まじい荒廃ぶり。
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11月25日
・スコットランド王マルカム2世(80、1005~1034、15代、ケニス2世息子)、ダンディー北グラームズ砦近くで反マルカム派により暗殺。
孫ダンカン1世(33?)、即位(1001頃~1040、位1034~1040、16代、マルカム2世娘の子)。

スコットランド・アルバ王国の版図
東;トゥイード川~西;ソルウェイ川 。イングランドとスコットランドの国境線となる。
ダンカン1世は1018年(17)、王位継承者のいないストラスクライド王位を継承しているので、スコット、ピクト、アングル3民族連合王国にブリトン族を加えたことになる。
ダンカン1世は従兄弟マクベスに殺害(1040)。
マクベスはケニス3世曽孫ルーラッハに殺害(1057)。
ルーラッハの次はダンカン1世長男マルカム3世が奪い返し(1058)、ダンカン1世の家系が継続。
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