2014年1月2日木曜日

宮崎日日新聞 社説 国家より個人尊重 : 「とてつもなく息苦しい社会がやってくる。そんな不安を拭いきれない年明けである。個人より国家を優先し、平和主義からの方向転換を図る政治。安倍晋三首相がこの国をどこに導こうとしているのか、はっきり見えてきたのではないか。」

宮崎日日新聞 社説
国家より個人尊重
2014年1月1日

女性が戦争への道を阻止する

 とてつもなく息苦しい社会がやってくる。そんな不安を拭いきれない年明けである。個人より国家を優先し、平和主義からの方向転換を図る政治。安倍晋三首相がこの国をどこに導こうとしているのか、はっきり見えてきたのではないか。

■軍国主義への回帰を懸念■

 安倍首相は昨年暮れ、周囲の制止を押し切ってまで靖国神社を突然参拝した。関係改善の見通しのない中国、韓国の猛反発は織り込み済みだったはずで、両国への対立姿勢を鮮明にした明らかな挑発行為である。ところが、首相が頼みとする米国が「失望した」と声明を発表。各国からの批判も多く、国際社会が日本を見る目は変わりつつある。

 首相の靖国参拝よりも少し前、特定秘密保護法が成立する過程も尋常ではなかった。多くの国民が反対の声を上げたというのに与党は無視を決め込み、あろうことか、自民党幹部は反対する市民デモを一度は「テロ行為」と非難した。成立を急ぐあまり異論を排除する言動はこの法律の本質そのものだ。

 徹底した情報統制で国民の耳や目、口を封じて戦争へと突き進んだ戦前の反省を踏まえ、戦後の日本は平和国家の道を一貫して歩んできたはずだ。国際的にも築いた信頼の道のりをあえて踏み外そうとしているのはなぜか。納得できる説明は聞けていない。根拠なき自己過信は驕(おご)りそのものではないのか。

 ここでもう一度、戦時中の社会を思い返してみよう。欧州列強からアジアを解放―との大義名分の下、天皇を神に祭り上げ、軍部の暴走と侵略、大本営発表による情報操作、隣組制度を利用しての相互監視…。さらに治安維持法による思想、宗教への過酷な弾圧と取り締まり。国民生活では灯火管制、深刻な食糧難など文字通り爪に火をともすような生活を余儀なくされた。男たちは召集令状におののき、女性たちは夫や息子の戦死の報に嘆き苦しみながらも生活に追われた。

 われわれ新聞社もまた、大本営発表をうのみにし、負け戦にもかかわらず「勝った勝った」と国民をあおり立て、熱狂させた責任は極めて重い。戦後「二度と戦争のためにはペンを取らない」との誓いを原点にしたゆえんは、その猛省に立ったからである。

■危険を知る本能的な感覚■

 そして現在、安倍政権は秘密保護法と一体の国家安全保障会議を創設し、武器輸出三原則も抜本的に見直す方針を示している。昨年末の韓国軍への銃弾供与の例でも分かるように、例外的行為もその時々の政権の恣意(しい)的判断にゆだねられ、危険と言わざるを得ない。

 積極的平和主義を掲げて自衛隊の海外派兵を打ち出し、次に目指すのは憲法9条を無視した集団的自衛権の行使容認。加えて監視社会を招く共謀罪の制定、愛国心の強要とくれば、再び戦時中のような暗くて窒息した国家で生きることになるだろう。もし尖閣に中国軍が上陸すれば奪還も辞さないとの方針は、戦争がいつ起きてもおかしくないような危険水域に入ったといえる。

 ただ、同じ与党である公明党の姿勢が違うのは救いだ。文藝春秋2013年12月号・赤坂太郎「降って湧いた脱原発『小泉リスク』」によると、公明党の支持母体である創価学会婦人部の強い意向で、集団的自衛権行使には断固反対しているという。ここに女性の声の力に対する希望を見いだすことができないか。

 月の満ち欠けとともに生きる女性の体は自然の一部と言っていい。子どもを産み、育てる行為には命を守る本能、強い母性がある。だから女性たちはその政策の危うさを本能的に感じ、感覚的にストップをかけたのではないか。暴走し始めた政府・自民党にブレーキをかける意味でも、政権与党の公明党にかかるその責任の重さは言うまでもない。

 驚くことに原子力政策も転換される。政権発足当初は、圧倒的な脱原発を求める世論をさすがに無視できず、原発の依存度を極力減らしていくものであった。その舌の根も乾かぬうちに、再稼働はおろか原発輸出に至ってはあまりの無神経さに開いた口がふさがらない。

 原発に反対する多くの国民、福島の原発事故で今も故郷に戻れない約15万人の被災者の気持ちに寄り添おうともせず、経済界の意向だけは優先した。エネルギー政策見直しの原点は福島の事故だったはずではないか。地震多発国で、再び原発事故が起きないという保証はない。

■子供たちに平和な社会を■

 戦争、放射能汚染、生活不安に脅かされる女性にとって、命ともいえる子どもたちを取り巻く環境も極めて厳しいものがある。中でも痛ましいのは死へ至らしめることもある虐待だ。追い詰められた生活でイライラが募り、キレた大人が子どもへ暴力を振るう。大人がそんな不安定な立ち位置にあるのだから、子どもに伝染しないはずはない。

 病んだ社会に生きる子どもたちからは屈折、暴力、いじめはなくならない。子どもは社会を映す鏡だということを決して忘れてはならない。

 そういう意味でも、女性の感覚でいま一度この国を見つめ直そう。こういう時代だからこそ、子どもたちが平和で希望の持てる時代に向けた出発の年にしようではないか。

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