2014年8月2日土曜日

「年金積立金 株式運用拡大という国民的リスク」(松浦新 『世界』8月号) : 「国民がやりたくないことを国家があえて増やすからには、失敗した時の責任の取り方を示すことが先だろう。」

年金積立金
株式運用拡大という
国民的リスク 松浦新
まつうら・しん 一九六二年生まれ。NHKから八九年に朝日新聞社。特別報道部などを経て東京本社報道局経済部で生活経済担当。現在、社会保障の負担について考える「報われぬ国」の取材班。共著に『プロメテウスの罠』『電気料金はなぜ上がるのか』など。

<引用>

安倍政権は、どこまで国民にリスクを負わせるつもりなのだろうか。
国民の年金積立金から株式市場に投入する割合を高めようという動きが強くなっている。
これは、安倍政権の経済政策である「アベノミクス」の「三本目の矢」である「民間投資を喚起する成長戦略」の一環なのだという。

大きくは、国債のウエイトが高い現在の年金積立金の運用を見直して、株式投資を増やすことで高い運用利回りをねらうものだ。
(略)

高い利回りを得るためには、株式運用などリスクが高い運用を増やす必要がある。
これは、「一本目の矢」とされた「大胆な金融政策」で、日本銀行が「異次元」ともいわれる膨大な国債の買い入れを始めたことにも通じる発想だと、筆者は感じている。
これだけリスクを高めることに、日本人は耐えられるだろうか。

■二〇〇兆円の運用が対象

民間サラリーマンが加入する厚生年金と、非正規労働者や自営業者らが加入する国民年金の税立金は、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)という厚生労働省の外郭団体が運用している。理事長は日本銀行元理事の三谷隆博氏だ。
昨年一二月末で約一二九兆円を運用しており、国債などに約七一兆円(約五五%)、外国の株や債券に計約三三兆円(約二六%)といったように配分している。
国内株式は約一七%にあたる約二二兆円だが、日本の上場株式市場の時価総額は約四四五兆円なので、すでに約五%は「国」が株主になっているということだ。

連用見直しの対象はGPIFだけではない。国家公務員、地方公務員、私立学校教職員の共済年金は、それぞればらばらに積立金を運用しているが、来年一〇月に厚生年金に統合される予定で、その計約三〇兆円の運用もGPIFにそろえることが決まっている。
さらに、各省庁が抱える一〇〇の独立行政法人が保有する国債や地方債、株式などの運用資産計約五〇兆円、国立大学法人の約一兆円も運用見直しの対象だ。
合計すると約二〇〇兆円にのぼる巨額の資金は、安全性が高い国債などの資産で運用される傾向が強い。
その一割が新たに株式市場に投入されるだけで、時価総額の一割の株式を「国」が持つことになる。
トヨタ自動車の筆頭株主が保有する株式は発行済み株式の約一〇%、パナソニックは同四%であることを考えると、異常事態といえるだろう。

■「日本株に二〇%も」

実際に、どのくらいの資金が株式に向かうのか。
四月、GPIFの積立金をどのような資産にどのような割合で運用していくかの基本方針を決める運用委員会の委員長に、米澤康博・早稲田大大学院教授が就いた。
運用委員会は今年秋にも運用方針をまとめるが、六月に掲載された日本経済新聞のインタビューで米澤委員長は、現在一二%とされている資産に占める日本株式の基本的な割合について「検討した結果、二〇%という数字が出てくれば二〇%になる」と答えた。

GPIFの資産運用は、基本の構成割合をもとに、資産価値が上がったり下がったりする中で、一定の幅で保有することが求められている。株式の場合は一二%が基本で、上下それぞれ六%の幅で保有することが認められている。
実際の保有割合は、安倍政権が誕生した直後の二〇一二年末に全体の約一一%だったが、一年で約一七%に上がった。
同期間に日経平均株価は約一万円から約一万六〇〇〇円に上がった。株価が上がっている時にわざわざ手放すこともないので保有し続けた結果と見られる。
本来であれば、株価の変動が落ち着いたところで売却して、国債など保有割合が下がった資産に移す「リバランス」をして、「利益」が確定される。逆に、株価が下がって資産の中での保有割合が下がった時には、ほかの資産を売って値下がりした株式を買い足して、次の値上がりを待つことになる。

米澤委員長は、この基本の構成割合を変えて、日本株式の割合を一二%から二〇%に引き上げる可能性があると答えているのだ。
それは、現実の構成割合がすでに一七%まで上がっているため、中途半端な引き上げでは新たな年金資金を日本株式に投入することができないためと見ることができる。
場合によってはリバランスで資金を引き揚げることにもなりかねない。
それでは「三本目の失」を放つどころではなくなってしまう。

年金積立金はほかにもアベノミクスの「三本目の矢」に不都合な構造的問題を抱えている。年金を支払うという本来の目的のために、毎年四~六兆円を取り崩し続けているという現実だ。

サラリーマンが加入する厚生年金は、年金を支給するのに十分な保険料を集めることができていない。一二年度決算は約三・五兆円の「赤字」だった。一一年度はこれが約四兆九〇〇〇億円、一〇年度は約六兆円だった。

■約四〇兆円も取り崩された

こうした取り崩しが続いてきた結果、厚生年金の積立金は〇四年度末の約一三八兆円から一二年度末には約一〇五兆円に減っており、一四年度予算では一〇〇兆円を割る見通しだ(運用を加味しない簿価ベース)。 
(略) 
今後の年金受給の本格化を考えると、さらに取り崩しが加速する心配がある。

この取り崩しで積立金が減って構成比率が変わらなければ国内株式での運用額も減らす必要がある。株式での運用の絶対額を維持するためには、毎年の取り崩し額以上の運用を実現して、積立金を減らさないようにしなければならない。
これまでは、一二年末からのアベノミクスの成果もあって、一二年度、一三年度は一〇兆円を超える運用成果が期待でき、積立金の取り崩し額を上回りそうだ。
しかし、運用はいつもうまくいくとは限らない。今年に入ってから、日経平均株価は一万五〇〇〇円前後で停滞している。アベノミクスによる円安は国外資産の評価額を相対的にあげてきたが、いつまでも円安が進む保証はない。年金支給で積立金が減る事態になったり、株価が下がったりした時に、株式市場での運用を維持することが目的化すると、株式での運用比率を高めなければならなくなる

そもそも、アベノミクスは、日本銀行による国債の大量購入という「大胆な金融政策」が「一本目の矢」だった。その結果、民主党政権末期に一一〇兆円ぐらいだった日本銀行の国債保有残高は、すでに二一〇兆円を超えている。

年金積立金など公的資金の運用を検討する有識者会議の座長として、昨年一二月に報告書をまとめて、現在の動きを主導してきた政策研究大学院大学の伊藤隆敏教授は、四月に掲載された日経新聞の「経済教室」で、日銀の量的緩和によってインフレ率が目標の二%に近づけば「長期金利は三%以上に上昇(国債価格は下落)するであろう」と指摘した。
そのうえで、大量の国債を保有するGPIFは「国債金利が今後上昇すると、大きな評価損を出すことが確実だ」と警告している。
その事態を避けるために、GPIFが「二五兆円程度の長期国債を売却し、日銀が畳的緩和の拡大で吸収する」ことを提唱している。

(以下、GPIFの国債を日銀に移動させることの問題点など、略)

アベノミクスは、黒田東彦日銀総裁の「異次元緩和」による円安誘導で株価の上昇に火が点き、「第二の矢」である「機動的な財政政策」という名の公共事業回帰政策で大量発行された国債を、日銀が買い支えた。
今度は「第三の矢」である年金積立金の積極的な運用という名のもとに、GPIFをはじめとした公的資金が手放す国債を日銀に押し込むという。それも、インフレで値下がり確実とされる国債である。
筆者には、GPIFが持ち続けられないものを日銀が持っても大丈夫という理由がわからない。

■来年度にも期限が来る

(略)

仮に資金移動がうまくいったとしても、株式などのリスクが高い運用には好景気不景気の波が避けられない。GPIFも、一一兆円の利益を計上する年度があれば九兆円の損失を出した年度もある。リスク運用を増やすことは、これを増幅することにつながる。

金融広報中央会が昨年一一月にまとめた「家計の金融行動に関する世論調査」によると、「元本割れを起こす可能性があるが、収益性が高いと見込まれる金融商品について、どのくらい保有しようと考えていますか」という問いに、「積極的に保有しようと思っている」と答えた人は一・七%しかおらず、「保有しようとは全く思わない」が八二・六%を占めた。
国民がやりたくないことを国家があえて増やすからには、失敗した時の責任の取り方を示すことが先だろう。

<おわり>
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世界 2014年 08月号 [雑誌]

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