2014年9月28日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(104) 「第12章 資本主義への猛進-ロシア問題と粗暴なる市場の幕開け-」(その3終) マイケル・ブルーノとデイヴィソン・ブドゥー   

北の丸公園 2014-09-26
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不正な統計操作
 1995年には、ほとんどの西側民主主義国家の政治的言説において、「債務の壁」や「迫りくる経済崩壊」といった言葉が飛び交い、政府支出のさらなる削減や積極的な民営化促進が叫ばれていた。その旗振り役を担っていたのが、フリードマン主義を奉じるシンクタンクだった。
だが、ワシントンの強大な融資機関はメディアを通じて危機感を煽るのみならず、本物の危機を発生させる具体的手段を取ることにもやぶさかではなかった。

世界銀行の開発経済担当チーフエコノミスト、マイケル・ブルーノ
 ウィリアムソンが危機を「故意に起こす」ことに関する所見を述べてから2年後、世界銀行の開発経済担当チーフエコノミスト、マイケル・ブルーノもまた同様の見解を公にするが、このときもマスコミの注目を引くことはなかった。
 1995年にチュニスで開かれた国際経済学協会で講演したブルーノは(この講演はのちに世銀の出版物に論文として掲載された)、68ヶ国500人のエコノミストを前に、「一定以上の規模の危機が及び腰の政府にショックを与え、生産性を向上させる改革へと向かわせるという考え」にはコンセンサスが生まれつつあると語った。
 その点、ラテンアメリカは「深刻な危機が有益に働いたと見られる典型例」だとし、なかでもアルゼンチンのカルロス・メネム大統領とドミンゴ・カバーロ経済相は大胆な民営化を推し進めるために「非常事態の空気を利用する」ことに手腕を発揮した、と語った。

深刻な危機は政治経済的に急進的改革を生み出し、良い結果をもたらす場合が多い
 さらにブルーノはこうだめ押しをした。
「私が強調したかったのは、こういうことです - 深刻な危機は政治経済的に急進的改革を生み出し、良い結果をもたらす場合が多い、と」*
*ブルーノはシカゴ大学で学んではないが、シカゴ大学出身の著名な経済学者ドン・パティンキンに学び、彼を師と崇めてきた。ブルーノは以前、マルクス主義と比較してシカゴ学派経済学の「倫理的完全性」を論じたことがある。

 ブルーノが主張したかったのは、国際機関は現在の経済危機を利用してワシントン・コンセンサスを断行するばかりではなく、先手を取って援助を断ち切り、危機を悪化させるべきだということだ。

 政府収入や対外移転の減少といったマイナスのショックは逆に国の繁栄を増大させる可能性がある。なぜなら、(改革を導入するまでの)時間を短縮できるからだ。

 「物事が好転するためには最悪の事態を経ることが必要だ」という言い回しのとおりなのです。(中略)実際、程度の軽い危機に幾度も見舞われるより、超インフレ危機に襲われるほうが、その国にとっては良い結果がもたらされるかもしれないのです」

 「危機が深まるにつれ、政府は次第に弱体化するかもしれない」・・・「けれどもこうした展開が好ましい結果をもたらします。つまり、改革が実施される頃にはすでに既得権集団は力を失い、短期的利益より長期的解決策に重きを置く指導者が改革に対する支持を得る可能性が高まるのです」」

本来なら経済を再建・強化する任務を託されているはずの人物が、国家を破綻に導くことを提唱している
 シカゴ学派の危機信奉者たちの思考プロセスは、急速に変化しつつあった。
ほんの数年前、彼らは超インフレがショック政策に必要な状況を生み出すと考えていた。
ところが今や、178ヶ国(当時の加盟国数)の国民の税金によって運営されている世銀のチーフエコノミストで、本来なら経済を再建・強化する任務を託されているはずの人物が、国家を破綻に導くことを提唱している。

元IMF職員(融資担当上級エコノミスト)デイヴィソン・ブドゥーの内部告発
 ブドゥーによれば、頑迷な態度を取る貧困国の経済を悪化させるため、IMFは数字を偽装していたという。

 ブドゥーは、カリブ海のグレナダ出身、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学を学び、IMFに12年間勤めた間、アフリカ、ラテンアメリカ、カリブ海諸国の構造調整プログラムの策定に携わった。
だが、レーガン・サッチャー時代にIMFが急激な右旋回を遂げてから、ブドゥーはこの職場にだんだんと居心地の悪さを感じるようになる。筋金入りの新自由主義者ミシェル・カムドシュ専務理事の采配のもと、資金援助計画もシカゴ学派グループが取り仕切るようになった。

 1988年退職したブドゥーは、IMFの暗部を暴こうと決意する。
これは、10年前、アンドレ・グンダー・フランクがミルトン・フリードマンを糾弾した公開書簡に倣った、カムドシュ宛ての公開書簡という画期的な一文だった。

 「今日、私は一二年間勤めたIMFを辞職しました。融資部門の担当に就いてからこの一〇〇〇日間、私はラテンアメリカ諸国、カリブ諸国、アフリカ諸国の政府や国民に対し、あなたが処方した薬や数々の計略を押しつけてきました。辞職によって、私は何ものにも代えがたいほどの解放感を味わっています。なぜなら、何百万という貧しく飢えた人々の血に染まった私の手を、ようやく洗うことができると感じているからです。(中略)大量の血が川のように流れていることはあなたもご存知でしょう。その乾いた血痕は、私の体中にこびりついています。世界中の石鹸を使っても、あなたの名前で私が行なった汚れは洗い流せないのではないかと思うこともあります」

融資の際に統計数字を”必殺兵器”として振り回すIMFの手口
 1980年代半ば、融資部門担当だった彼が石油が豊富なトリニダード・トバゴの経済を実際よりもはるかに不安定に見せるため、巧妙な「不正な統計操作」を行なってIMFの報告書の数字を改竄したことを、証拠を挙げて明らかにした。
 IMFは同国の労働コストを実際の2倍以上にして計算し、きわめて生産性の低い国家に見えるように操作したという。もちろん、IMFは正しい数字を把握していた。
また、ある国が莫大な政府債務を負っていると「まったくやぶから棒に」統計をでっちあげた例もある、という。

 単なる「ずさんな計算」の結果などではなく、意図的に行なわれたこのひどい「ごまかし」を金融市場は事実として受けとめ、トリニダード・トバゴを高リスクの国とみなして融資を引き揚げた。
 その結果、主要輸出品である石油の価格下落に端を発する同国の経済問題は悲惨な状況に陥り、IMFに緊急援助を願い出るしかなくなる。
 そこでIMFは、ブドゥーが「最悪の処方箋」と呼ぶ条件を呑むことを要求した。労働者の解雇、賃金カットをはじめ、「ありとあらゆる」構造調整政策である。

「いろいろな口実を使って経済的な命綱を故意に断ち切り」、それによって「トリニダード・トバゴの経済をまず崩壊させ、そのあとで改造する」というシナリオだった、とブドゥーは説明する。

 ブドゥーはIMFの構造調整プログラムそのものを国民全体への拷問だとみなす。
苦痛に悲鳴を上げた政府や国民はIMFの前に膝を屈する。崩壊し、打ちひしがれ、恐れおののき、援助を乞い、温情を願い出る。しかしIMFはそれを鼻でせせら笑い、さらなる拷問を与え続ける。

 この書簡が公開されたあと、トリニダード・トバゴ政府はブドゥーが暴いた問題点について独自の調査に乗り出した。
二度にわたる調査の結果、IMF側が数字を水増しして統計を改竄し、トリニダード・トバゴに甚大な損害を与えたのが事実だったことが判明する。

ブドゥーが暴露した真相は注目を集めることなく忘れられていく
 それにもかかわらず、ブドゥーが暴露した真相は注目を集めることなく忘れられていく。
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公開書簡はその後、1996年に『ブドゥー氏のIMFへの辞表 - 五〇年にわたる悪行』というタイトルで舞台化され、ニューヨーク、イースト・ヴィレッジの小さな劇場で上演された。
『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された劇評は短かったものの、「まれに見る創造性」「独創的な装置」といった賛辞が送られた。
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