2014年9月27日土曜日

明治37年(1904)12月11日~18日 平民新聞第53号(「共産党宣言」掲載)第1審第2回公判 旅順・東鶏冠山北保塁陥落(死傷850(戦死151)) 幸徳秋水「非戦論を止めず」(『平民新聞』第58号)  

江戸城(皇居)平川門 2014-09-26
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明治37年(1904)
12月11日
・旅順口港の艦船砲撃中止。市街に対する砲撃は続行。
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12月11日
・週刊『平民新聞』第57号発行。
「平民日記」に、「十二月六日、某氏から軍艦○○乗組の水夫二十余名が調印した普通選挙請願用紙を送って呉れた」とあり。
この頃、社会主義協会は、普選期成同盟と合同し請願署名活動。
明治39年2月20日署名2,240以上を衆議院に提出。
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12月11日
・(露暦11/28)ロシア、ペテルブルク、学生デモ、官憲の暴行。
統一歩調とれなかった社会民主党ペトログラード委員会不信。
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12月12日
・午前0時30分、日本水雷艇、「セヴァストポリ」攻撃、大破。
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12月13日
・仮装巡洋艦「香港丸」「日本丸」、佐世保軍港で修理終えシンガポール、インド洋、マレー群島巡航。1月18日、佐世保戻り。
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12月13日
・平民新聞第53号(「共産党宣言」掲載)第1審第2回公判。
安住検事の有罪の論告。
「社会は一種の有機体であって、上等階級を耳目鼻口に譬えるならば労働階級は手足の如きものである。もし手足が不平を起して、われわればかり働いて目や口を楽しませているのは詰らないと言ったらどうなるか。社会主義の議論は実にこの手足の不平の如きもので、社会運用の原則に違背している」と、数千年の昔、ローマの貴族が平民を圧制するために用いた陳腐な比喩をもち出す。
被告、弁護士、傍聴人は顔見合わせて苦笑する。

今村力三郎の弁護。
マルクス『資本論』、価値論の大要を説き、「かくの如き学説はよし不当なものありとするも、一説としてこれを許容しなければならぬ。検事が軽々にこれを論断するは大胆至極」と嘲けり、「政治上の平等は得られたが経済上の平等はまだ一歩も認むるを得ず、この状態より見る時はマルクスの思想は拒むべからざる大勢である。然るに、人類に進歩の道を示したその思想に感謝しないで、その文字の頒布を禁ずるのは甚だしき謬見ではないか」と反駁。
さらに「この宣言は五十年前に公表された歴史的文献であって、これを以て直ちに日本の社会秩序を壊乱するものとなすは不当も甚だしい。被告等の処罰と否とはむしろ些事に過ぎず、本弁護人は実にわが国裁判史上の一大事なるが故に、学問の独立のために無罪を主張する」と結論した。

ト部喜太郎の弁論
予は日本の言論出版の自由のために本件の無罪を主張する。
ロシアですらトルストイの「日露戦争論」も、ポペドノスチェフの政治否認論も、自由に出版されているではないか。もし本件が有罪となるようなことがあれば、日本には言論の自由がまったく存しないといわざるを得ぬ。

板倉中の弁論
本件の原書は自由に頒布されているのだから、その思想の伝播が自由に許されていると認めねばならぬ。もし政治家が自己の学説政策を確信し、人民またこれに賛同していると信ずるならは、反対論を恐れるに及ばぬではないか。社会主義を真理と見るならば宜しくその自然の発展に任すべく、然らざれば学者の討究に委ねるべきであって、妄りに法権を以て圧伏すべきではない。

花井倬三の弁論
明治の初年には、フラソス革命史もスペンサーの平権論も自由に刊行され、政体変更の要求に外ならぬ国会開設の請願運動も行なわれたが、そのために罰せられた者はなかった。
しかるに明治37年の今日、この『宣言』が社会の秩序を壊乱するとなすがごときは、実に今日の社会を侮蔑するものである。
この『宣言』がそれほど危険なら、原書の輸入を禁ずるがよろしい。原書はよいが翻訳は悪い、右に許して左に罰するのは不公平ではないか。
花井の弁論は冷嘲、諧謔、揶揄をほしいままにして法廷に人なきがごとく、判事すら時に微苦笑を禁じ得なかった。

木下尚江の弁論
『宣言』の内容たる国家、家族、および私有財産の三点を弁明。
社会主義者の国家観は井上哲次郎博士の著書『教育と宗教』に論ずる如き、夫婦兄弟朋友の愛情信義もみな国家のためとするような偏狭なものではない。
余りに不当な価値を国家に附する時は、社会主義のみならず大概の倫理説、政治論はみな不都合となるであろう。
偏狭固陋なる観念をこそ否定すべけれ、国家的生活を必要とするのは万国の社会主義者が肯定する所である。
家族制度もまた歴史的変遷を経たものであって、今や実際に家族制度は破壊されつつある。
女工の増加、売淫婦の増加を見ずや、家族制度を破壊するものは社会主義者にあらず、実に資本主義制度に外ならない。
私有財産の観念は明治の産物で、われわれの祖先には今の私有財産の観念はなかった。これは封建時代において、豪族がつねに人民生活の安全を破ったのに反抗して起った思想で、永久の真理にあらざることは明らかである。
「宜言」は、今の社会では人口の十分の九はすでに私有財産を失えりという。
資本合同の勢いは明白な事実、而してその結果、多くの貧民と失業者を生ずるは欧米のすでに実験し、日本もまた実験している所である。
これを匡救(きようきゆう)せんがために、法律を改正して私有財産を禁ずることを要求せんとするが即ち社会主義者であって、これを要求する前にその理由を唱道して輿論を作らねばならぬ。
これを許すは正義公道であり、而してこれ法律の介入する範囲ではないのである。
この裁判は日本国内の問題ではなく、世界に影響を有する大事件である。
もしこれが有罪と決せば世界の新聞記者、政治家はいかに日本の文明を批評すべきぞ。
ロシアの野蛮を罵る日本にしてこの事件を有罪となさば、日本の恥辱、実にこれに過ぐるはないであろう。
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12月13日
・ハンガリー、下院議場の組織的破壊と全国的扇動。議会解散。総選挙。与党159、独立党166、野党全体254。30年間統治の自由党敗北。
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12月13日
・パラグアイ、クーデターにより自由党ファン・パウティスタ・ガオナが大統領就任。自由党の支配開始。~1936年。
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12月17日
・遭難したアメリカ船ベンジャミン・シオール号の船員が台湾で殺害された(10月4日)ことに対し、アメリカ公使抗議。
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12月17日
・イタリア、プッチーニ、オペラ「蝶々夫人」、ミラノで初演。
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12月18日
・第3軍、東鶏冠山北保塁攻撃、陥落。
強襲策をとらず、敵塁深く掘り進んだ坑道に爆薬を仕掛け、同時に突撃隊が突進する戦術。
兵力は第11師団(鮫島重雄中将)第22連隊長青木助次郎大佐指揮する計1536。対するロシア守兵は140。
午後2時20分過ぎ、第1~4突撃隊が突進するが、死傷者が増大するのみ。
午後6時30分頃、後備第38連隊第2大隊(岩本栄輔大尉)第7・8中隊、突撃。第7中隊は将校と兵士2/3を失う。突撃中止。
午後7時30分頃、再突撃、失敗。
午後9時、再々攻撃。第44連隊第3大隊長権藤少佐は救援突撃隊60を突撃させる。
午後11時50分、堡塁陥落確認。死傷850(戦死151)。
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12月18日
・週刊『平民新聞』第58号発行。
この1年で平民社は新聞の発売禁止3回、記者の入獄1回を経険した。
また、継続中の裁判が2件あり、殆ど確定的な新開の発行禁止、記者2人の入獄、合計240円の罰金、印刷器械没収に対する賠償250円を覚悟しなければならない。
しかし、同人の意気は依然軒昂であった。

幸徳秋水「非戦論を止めず」
まず、近時頻々たる筆禍事件に対し、暫く時局批判の筆を止めんことを勧告する者にその好意を謝し、
「然れども吾人は断じて非戦論を止めじ、吾人は之が為めに如何の憎悪、如何の嘲罵、如何の攻撃、如何の迫害を受くると雖も、断じて吾人の非戦論を止めじ。彼の満洲の野における数十万の兵士および其家族が現に受けつつある無限の疾苦、悲痛の惨状に比し来れば、吾人に対する紛々たる憎悪、嘲罵、攻撃、迫害の如きは寧ろ一発の屁のみ。」
既に戦争が始まっているのに、なお非戦論を止めざる理由は極めて簡単である。
「曰く、速かに現戦役の局を了して平和を克復せしめんと欲す。日く、一般戦争の起因たる経済的競争の制度を変革して、将来の戦争を防遏(ぼうあつ)せんとす。此両個の目的を達せんが為めに、世界万国に向つて戦争の悲惨なること、損害なること、美事に非ざること、善事に非ざること、希ふべきに非ざることを絶叫す。誰か之を以て、戦争既に開くるの後に無益なりといふ乎、不正なりといふ乎。」

「世界之新聞」欄
「イタリアのジオリッチ内閣の苛政に対して鬱積した全労働者の反感が、九月十五日ゼノヴァ附近のセストリにおける労働者虐殺によって爆発し、全国にわたる総同盟罷工の結果ゼノヴァ市は三日間パンも牛乳も燈火もなく、ローマ、チューリン、ボローニャを初め大小数千都市の工場は悉く休業するに至った。」
イタリア情勢については、『平民新聞』第45号(9月18日)にも「イタリー社会党の形勢」が報道された。
この頃、ボローニャでの党大会で、改良派首領チェラチはブルジョア政党の急進派や民主派と連合し、進歩主義の政府を援けて即時実現し得る改良を行なうべき決議案を提出した。
一方、急進派首領ラブリオラはブルジョア政府を否認し、党の主たる目的は労働者階級を団結してこれに社会主義を鼓吹するにあると断言し、「限前の改良の如きはこれに比すればほとんど何の価値も認められない」決議案を提出。
論争は結局、中央派首領エンリコ・フェリが別の決議案を出して連立政策に反対し、改良事業は資本家政府と闘争して得られるのであり連立によって得られるものではないと主張し、急進派が勝利した。
しかし前年のドイツ社会党大会と同じく、これもまた当時すでにヨーロッパの社会主義運動に、ベルンシュタイン主義の勢力が、台頭して来ている状況が窺える。
ローマ法王ピウス10世は、極東の現在の戦争は戦争というよりも寧ろ殺戮である、欧米の文明国は何故この不幸な出来事を終息させる方法を講じないかと語ったという。
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