2014年10月18日土曜日

1784年(天明4年)1月~2月 諸国困窮継続 モーツアルト、自作品目録記録を始める 志賀島で「漢委奴国王印」の金印発見 【モーツアルト28歳】

江戸城(皇居)東御苑 2014-10-16
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1784年(天明4年)
この年
・灯油原料の統制。
「一、天明四甲辰年、中橋広小路神屋善三郎外一名の者、官に請願して菜種買問屋を命ぜられ、并びに買次の者弐百名を各村に置き、関東八ケ国より産出する菜種、該商人等買請けこれを製造し、其の絞油を以て幕府の入用に充て、其の残余を市街問屋へ販売すべく布令あり。然れども同八戌申年に至り、該買問屋并びに買次商人を廃止せられ、翌寛政元己酉年に至り、綿実買問屋及び仲買人等も廃止せられたり」(「日本財政経済史料」)。
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・「江戸っ子」の早い例
この年刊行の島田金谷著『彙軌本紀(いきほんぎ)』の序文で山東京伝が記した「水道ノ水ヲ以テ産湯卜為シ、曳窓(ひきまど)ヨリ鯱(しやち、江戸城)ヲ観テ長(ひととな)リタルノ徳ハ、則チまる孰(いずく)ニ之(ゆ)クト雖モ何ゾ引気(ひけ)ヲ資(と)ラン」「大金ヲ費スコト小銭ヲ遣フガ若シト。是東都子(えどつこ)ノ気性ヲ顕ハス」(原漢文)とされる。

田沼時代は、都市や農村で、武士や町人・農民の違いを超えて国民文化が開花した時代であった。
首都江戸を、「大江戸」と呼び、江戸生まれを「江戸っ子」と呼ぶようになるのはこの頃と言われる。
「江戸っ子」は、将軍のお膝元の江戸下町に育ち、金離れがよく正義感にあふれ、「粋」と「はり」を誇る言葉として知られる。
「江戸っ子」の早い例は、安永2年(1773)の「江戸っ子の生(うまれ)そこない金をもち」という川柳もある。

「江戸っ子」成立の背景は「大江戸」成立と共通するが、貨幣経済が浸透した農村から多数の離村農民が江戸に流入し、社会秩序を動揺させたことに対する江戸市民の危機感の表われとも言われる。
幕末期の狂言作者西沢一鳳の『皇都午睡(こうとごすい)』では、両親ともに江戸生まれの子を「真の江戸っ子」、両親のいずれかが田舎生まれの子を「斑(まだら)」、江戸で生まれても両親ともに田舎生まれの子を「田舎子」と呼び、その比率を一・三・六としている。
「大江戸」呼称も「江戸っ子」意識も、首都江戸の発展と深くかかわって成立した。
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・工藤平助の『赤蝦夷風説考』を読んだ勘定奉行の松本秀持は、この年、蝦夷地の調査を提案し、『赤蝦夷風説考』を添えて田沼に提出。蝦夷地では抜荷が横行していることから、幕府はロシアとの交易を検討する時期に来ており、これに向けて幕府は蝦夷地調査を行うべきというものであった。この提案をもとに、田沼は幕閣で調査を議論し、これを許可した。
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・この頃、浮世絵師の中には、旗本の細田時富(烏文斎栄之=ちようぶんさいえいし、と名乗る)もいた。彼は黄表紙『其由来光徳寺門』(天明5年)の挿絵を描くなど、身分にとらわれない活動をした。
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・ゲーテ(35)、人間の顎間骨を発見。期せずして進化論の道をひらく。スピノーザ「エティカ」を研究。
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・イギリス、ネルソン、ボーリアス号艦長となり再び西インド諸島に戻る。
多くのアメリカ船舶を不正通商の現行犯として拿捕するが、この熱心な働きぶりは、それらの船主のみならずこの通商を暗黙に許していたイギリス当局にとっても悩みの種となる。
1787年、ネビス島知事娘・未亡人ミセス・ニスベットと結婚、彼女の連れ子ジョサイアと3人で帰国。予備役のまま(半給で)故郷に一家が所有する小修道院に引きこもる。
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1月
・米価の騰貴
江戸は人口100万以上の大消費地であり、食料問題は殆ど慢性的な現象。
安永9年(1780)~天明元年(1781)夏までは米価は安値を続け、白米1石52、3匁程度であったが、同年の秋作不良から騰貴に転じ、3年正月には肥後米79匁8分から82、3匁、12月には98匁に上がり、4年正月に更に115匁7分に暴騰。筑前米の上昇テンポもだいたいこれに準じている。また、米価が上がれば、他の諸物価もこれにつれて騰貴する。
幕府は天明3年7月以後、たびたび米の買占め・囲置を禁止し、また一時、問屋の独占機構を崩し仲間外のものの米・雑穀の自由売買を認めたが、事態は好転しなかった。
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・この月~9月、福井藩、大野郡橋爪村・蓑道村・堂島村では119人が風病で死亡。
越前・若狭で疫病流行、「風びやう(病)ニ而当国村々なん(難)義、其故そん(損)分有之」と、各村は天明2年から続く不作と疫病(風病)により疲弊。
南条郡奥野々村では、天明3・4年の悪作によって百姓21人のうち16人が潰れ、村人150余のうち46人が没し、13人が乞食に出たまま村へ帰らず。
福井城下では天明4年2月頃から「疫疾」が流行、3月には「疫疾除ノ御守」が藩から配布。
大野藩は同4年4月に祈を行い、「御札」を町・在方へ配る。
勝山町でも4年4月に「風神除之御札」が配られる。
小浜藩領内の上瀬宮では4年5月、「諸方疫病流行」につき「鎮疫祭」が行われる。
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・鯖江藩、不作による難儀困窮を理由に領内の村々へ米500俵(東鯖江村へは221人分3俵3斗7升9合)を与え、別に開作に備え作食米2千俵を貸し与える。11月には例年課している翌年春の高掛御用金2500両を免除。
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・「わら(藁)のもち(餅)」。
敦賀郡市野々村の権右衛門がこの月に小浜城に登城した時、「わら(藁)のもち(餅)」のことを聞く。
「御咄ニ江戸申参候ハ、わらヲ粉ニして壱升ニ米粉壱合入こね合もちニしてたべ申候」「一向のどへいかぬ者之由御はなし」であった。
権右衛門は帰宅後、藁粉1合に米粉1合を入れて餅にして食べるが、やはりのどへ入りにくいものであったという(「「天明歳中聞書」」)。

藁餅は同3年9月幕府の令達によるものであり、「越前在ニ而もわらのもちヲくう」とあることから全国に広まっていたと思われる。
また、「天明歳中聞書」には「川にはへて有之候もう(藻)、是ヲ取ゆでてあへ物やひたしにしてたべ候」、また難儀人の食べ物として「早春ハ葛、又ほどろ・どくだめ・わらび・ぜんまい・河もう・たわらもう、其外何ニても是迄給候ものハ随分たべる」とある。
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・モーツアルト、グラーベン591番/596番のトラットナーホフ4階に引っ越す。
5つのメヌエット(K.461(448a)、クラヴィーアと木管のための五重奏曲(K.Anh.54(452a))(断片、散失)作曲。
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1月8日
・[露暦1983年12月28日]クリミヤ争奪戦争終結
フランス外相シャルル・ヴェルジェンヌ仲裁。オスマン朝・ロシア間。ロシアクリミヤ併合。
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1月25日
・ケルントナートール劇場で「後宮」上演。アロイージア出演、モーツアルト指揮
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1月27日
・浅間山大噴火御普請御手伝
武州・上州・信州に及ぶ御料・私領を越えた広域の御普請費用は肥後国熊本藩細川家の御手伝によって賄われた。熊本藩への御手伝下命は正月27日のことで、御普請場へ江戸から家臣が送られ、御用を務めた。
閏7日に到着し、御手伝御普請場所の絵図面と積帳を幕府目付より受け取った。工事は大体終わっており、「是より南川は御普請御手伝細川越中守」といった榜示(ぼうじ)杭が処々に建てられたが、形ばかりであった。閏正月15日までに各村を廻り、幕吏とともに出来栄え見分を済ませ、18日に江戸に帰っている。
熊本藩はこの御手伝に金9万6,932両1分を集めた。この内7万6,932両1分は国元から、1万3千両は大坂の蔵屋敷から送らせ、1万両は商人たちから借金した。国元からの金は熊本の町人や領内の村々から「寸志金」という名目でかき集めた。寸志金を多く納めることで士分に取り立てられたから、中には進んで差し出す者もいた。田沼意次や松本秀持らへの多額の「付属」が前もって贈られ、済んでからまたなされている。
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閏1月
・大野藩、幕府の徒党禁令を例にあげ、万一、徒党騒動を起こせば重罪となる、また「村々町々之恥」であると諭告、庄屋・組頭が責任をもって小百姓・水役・地名子・借家に至るまでこれを徹底させようとする。
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・米価が暴騰し、この月、関東・奥羽・信濃の全領主に対し、領地村々の百姓の保有する米麦・雑穀量を調べ、家族数に応じて夏作までの分を残し、その他はすべて近くの市場・都市で売り払うように命じる。食料事情悪化による江戸の社会不安の深刻化が窺える。
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2月
・ベートーベン(14)、無給ながら宮廷楽士となる
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2月9日
・モーツアルト、自作品目録記録を始める(大英図書館に保管)。
記録の第1曲目は『クラヴィーア協奏曲 変ホ長調』(K449)=『ピアノコンチェルト変ホ長調』((第14番)。3月17日の予約演奏会用、弟子のピアニスト、バルバラ・プロイヤー嬢のため。
(バルバラ・プロイヤー嬢のためには4月にも『ト長調K453』を作曲する)

モーツァルトは、クラヴィーアの演奏家として、そしてクラヴィーア曲(とりわけクラヴィーア協奏曲)の作曲家として活躍してゆくが、生活の糧を得るためには、レッスンに精を出さなければならない。
「もう終りにしなければなりません。どうしても作曲しなければならないからです。 - 午前中はレッスンですっかりつぶれてしまいますから、ぼくには大好きな仕事 - つまり、作曲には晩だけしか残っていないのです」(2月10日付)。
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2月22日
・米人ジョン・グリーン、貿易のため清に向けニューヨーク発。
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2月23日
・志賀島、農民甚兵衛、田から「漢委奴国王印」と刻まれた金印発見。
3月16日、福岡藩の郡役所に金印を持参。
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2月29日
・フランス、サド侯爵、バスティーユ牢獄に移される。
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2月下旬
・モーツアルト、ロシア大使ディミトリ・ミハイロヴィチ・ガリツィン侯爵邸で演奏。
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