北の丸公園 2015-02-13
*昭和18年(1943)
8月3日
・駐蒙軍、情報部を編成し、大同特務機関を大同情報部支部に改編
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8月3日
・武田長兵衛商店、武田薬品工業と改称
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8月3日
・「片岡鉄兵君を交えてゴルフをなす。帰途、僕のところで昼食をす。午后四時過ぎまでいる。
ファッシスト崩壊で、日本の自由主義者に対する圧迫加わらんという点は予と同感。自由主義者の如き真面目の愛国者は多からず。これをお国の役に立てないのは国家的損害である。
片岡君の談 - 情報局や検閲方面においては、文学に志を立て失敗した連中がやっているので、とても我らがいいはずはないと。嫉妬と憎悪が時代的特徴。」(清沢『暗黒日記』)
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8月3日
・「八月初三。先月来町会よりの命令なりとて家々各縁の下または庭上に穴を掘れり。空襲を受けたる時避難する為なりと云。されど夏は雨水溜りて蚊を生じ冬は霜柱のため土くづれのする事を知らざるものゝ如し。去年は家の中の押入にかくれよと言ひ今年は穴を掘れと言ふ。来年はどうするにや。一定の方針なきは笑ふべく憐れむべきなり。」(永井荷風『断腸亭日乗』)
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8月3日
・イタリアのバドリオ政府、リスボン駐在大使館を通じて和平打診
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8月3日
・Uボート「群狼」を放棄、単艦哨戒に切り替え
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8月4日
・ニュージョージア島ムンダの南東支隊(佐々木登少将)、ムンダの金剛山司令部撤退。「八連特(大田實少将)」、置去りとなり、追尾。
佐々木支隊長は、ムンダ放棄を決意、この期に及んで、海軍部隊(「八連特」)指揮を大田司令官に戻す。
実際は、八連特は撤退について知らされず、指揮権を返すというので、今井首席参謀が隣室の南東支隊司令部へ八連特部隊の実情を聞きに行くと、既にもぬけの殻。机上に「南東支隊司令部は呉六特農園に後退する、八連特司令部も追尾するように」との置き手紙。
海軍を後衛に、陸軍が引く形になり、呉六特、二十一防が前線に取り残され大きな被害を出す。
呉六特農園:
ムンダと裏ムンタの中間にあるジャングルの切れ目の日当たりの良い場所で、呉六特の先遣部隊が前年から自給自足の為に開墾した農場。東京ドームくらいの広さという。
6日、呉六特農園西方の司令部で、南東支隊と八連特の幕僚が今後の作戦を話し合う。
佐々木支隊長以下、陸軍幕僚の多くは、ニュージョージア島放棄、北に接するコロンバンガラ島への「転進」(撤退)を切り出す。
米軍来攻時、1万4千余の陸海軍兵力は2/3が損耗、特に歩兵229、230、23連隊は4千余が1千に、八連特の中心である呉六特は2150が約600に減少。これでは戦えず、今後の補給も多くは期待出来ない以上、撤退しなければ退路を断たれ、コロンバンガラで再起を期すことが出来なくなる、との理由。
対する「八連特」大田司令官は、ニュージョージア防備部隊の使命は、ムンダ基地防衛である、現状かくなる上は、全滅を覚悟でニュージョージア島の一角を死守し、敵のムンダ飛行場使用をあくまで妨害すべき、と強硬に主張。
この日、第8方面軍は、南東支隊の損耗補充の為、見上三郎大尉指揮集成大隊1200(8個中隊)を駆逐艦「萩風」「嵐」「江風」「時雨」に乗せ、プイン港を出航。大田司令官の強硬な態度に、佐々木支隊長は、見上大隊到着を待って反撃態勢を検討すると譲歩。
しかし、ベラ湾夜戦で、「時雨」を除く3駆逐艦はコロンバンガラ島西方海域で撃沈、900人が海没。「江風」は7日午前1時41分、米駆逐艦の魚雷を艦橋下の弾薬庫に受けて轟沈、「萩風」「嵐」は同2時10分頃までに爆沈。海没した大隊主力約900中、96人はベララベラ島西岸に泳ぎ着く。
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8月4日
・「ラジオその他で鼓吹するのは、満州事変以来、高山彦九郎や吉田松陰や、西郷隆盛である。彼らはいずれも反逆者で刑に附された人々だ。多くの水戸人も然り。天下を握っている者が、反逆精神を鼓吹することは、自らの位置を脅かすことである。
上智大学はドイツ人が主だが、カソリックだからナチスおよびヒトラーにはむしろ反対である。予備大佐の配属将校がほとんど独裁的で、枚長にも、ドイツ人教師にも、ねじ込んだり、抗議している。ドイツ人教師が出て来たら「お前には用はないんだ」といって叱り飛ばすという有様。キリスト教はユダヤ思想と同じで、日本のためにならぬと確信し、生徒に説いている」(清沢『暗黒日記』)
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8月5日
・連合艦隊司令部、トラック島進出
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8月5日
・ソ連軍、オリョールとベルゴルト両市を奪回。モスクワで最初の祝砲。
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8月6日
・ベラ湾夜戦。
ニュージョージア島の戦況が悪化する中、今村第8軍司令官よりラバウルからコロンバンガラ島(ニュージョージア島北側)に送られた見上喜三郎大尉指揮第6・38師団補充兵1,200、米艦の攻撃により700人水没、日本駆逐艦3。
6日未明、杉浦嘉十大佐率いる第4駆逐隊(「萩風」「嵐」「江風」「時雨」)、第6師団の残余940名・物資90トンを積みラバウル発。
午後9時30分、フレデリック・ムースラッガー中佐率いる第12駆逐隊(「ダンラップ」「クレイブン」「モーリー」)・第15駆逐隊(「ラング」「ステレッド」「スタック」)が南下する第4駆逐隊をレーダーで探知、挟撃するよう反航態勢を敷き、9時41分、第12駆逐隊が一斉に53cm魚雷24本を射出し、「萩風」「嵐」「江風」に命中、これらは炎上航行不能となる。
一方、第15駆逐隊は大破炎上する日本の駆逐艦を砲撃しとどめを刺す。
日本側の完敗。米軍は精度が向上した新型SGレーダーを使用、以降も日本駆逐艦との夜戦を恐れる事はなくなる。
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8月7日
・南方軍、大本営のインパール作戦準備指示に基づきビルマ方面軍に下命。
17日、ビルマ方面軍、第15軍にインパール作戦準備示達。
25日、ビルマ方面軍、第15軍にインパール作戦準備要綱示達。
同日、第15軍、メイミョウに隷下兵団長・幕僚召集、インパール作戦兵棋演習。第15軍の作戦構想改定なしを、中方面軍参謀長は黙認。
12日、ビルマ方面軍は、第15軍久野村参謀長を方面軍司令部に呼び寄せ、作戦に関して方面軍の考えを説明し、これまでの牟田口計画の様な独断を戒める。
第15軍、隷下の各部隊長をメイミョウの軍司令部に集め兵棋演習。
この時の計画で、「ウ号作戦」は牟田口得意の奇襲戦法で突進する、烈の1個師団をコヒマに使う(コヒマを占領して、更にアッサム州に進攻する牟田口の執念ともいうべき計画)事が明確になる。
しかし、これらは、既にラングーンの兵棋演習で否決され、2週間前には、久野村参謀長が方面軍から注意を受けたばかりの事柄で、明らかに南方軍の作戦準備命令に違反した計画である。
アッサム侵攻禁止を命令された久野村参謀長が、この演習を統裁し、侵攻禁止を決裁した張本人のビルマ方面軍中参謀長も、何も言わずにいる。また、中参謀長は、烈師団各部隊の隊標がコヒマに進出し、烈の全力をこの方面に使うのはディマプールに行くことを予期しての用兵であるのを見ている。
演習後、中参謀長は講評をするが、烈師団の使い方については、何も言わず。否定しない事は肯定と同じである。
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8月9日
・朝鮮食糧管理令公布
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8月10日
・韓国、地下団体「建国同盟」、呂運亨ら
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8月10日
・ニューギニア、ナッソウ湾上陸の米軍、サラモアの第51師団を砲撃。戦傷842人、戦病者769に達す。
陣地はサラモア南のフランシスコ川対岸ポイシ付近に圧迫。砲弾は僅か山砲450発・10センチ榴弾砲30発・15センチ榴弾砲50発・10センチ加農砲28発を残すのみ。味方が射ては、60~70倍の砲火が集中し、「真に必要なる時機以外」は射撃は禁止。
ここ迄のニューギニアの状況。
第18軍では、第51師団がラエ、サラモア地区、第20師団がマダン、第41師団がウエワクに配置。ヲエ~マダン約500km、マダン~ウエワク約300kmで、その間は険しい山脈と密林に蔽われている。
米軍のナッソウ湾上陸後、第18軍司令官安達中将は、ラエに第20師団第80連隊第1大隊、ウエワクから第41歩兵団長庄下亮一少将指揮第238連隊を海上輸送で急派。
サラモアの第51師団は、上陸輸送中の損害、1月のワウ(南方60km)攻撃失敗、空襲、マラリア等の為、兵力は極度に減少。指揮下の第66、102、115の3個連隊は各中隊の平均人員は40~50人。ラエ増派の第80連隊第1大隊を加えて計3250、うち戦闘に耐えうる者2580で、それらをポイシ、ボブタビ、マロロ、マーカムなどに分散。
海軍第7特別根拠地隊2500人は、サラモア半島を守備。
ナッソウ湾の米軍第162連隊、ワウの第17、15オーストラリア旅団は、連携してサラモアを目指す。
う戦法である。
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8月10日
・第6回英米戦時会議開催。チャーチル、ケッベクにおいてカナダ政府と会談
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8月10日
・シチリア侵攻で、初めてペニシリンが使用される
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たびたび拝見させて頂いておりました。私は飯田潤一と申します。わたしのよく母方の祖父は、昭和18年8月4日の記載にございます見上喜三郎です。見上大隊の大隊長です。文中に見上三郎となっておりました。正しくは見上喜三郎(喜三郎)です。ベララベラ島へ漂着し、生還しました。ベララベラ島に日本兵の生き残りがいるのではないかと一時期さわがれ、なんかいも新聞記者が来ていたようですが、祖父はなにも言いませんでした。祖父は部隊からの推薦で陸軍士官学校へ行った少尉候補生でしたので、軍人としての信頼は強かったようです。芯のしっかりした祖父でしたので、亡くなる数か月前まで自転車に乗っておりました。旭川のじいちゃん夫婦の家へは私の両親がよくつれていってくれました。じいちゃんから教わったことで印象が深かったことは、風呂上がりに体をふき取るときは、まず、頭からふきなさい。一本のタオルで全てできる。床をべちゃべちゃにぬらしたら、凍ると危ない。満州での兵役経験のある言葉は深い。もっと話を聞いておくべきでした。
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