小林多喜二:最期、生々しく…隣室収監の学者が書簡に記す
毎日新聞 2015年02月16日 21時32分(最終更新 02月16日 22時41分)
プロレタリア作家、小林多喜二が1933年に築地署(東京都)で獄死する前後の様子を、同時期に収監されていた生物学者、石井友幸(1903〜72年)が記した書簡が見つかった。拷問で口を利くことができなくなっていたことや、死亡後に人工呼吸が施されたとみられると書かれている。多喜二について研究している北海道小樽市の小樽文学館は「極めて貴重」としている。【遠藤修平】
◇栃木の小説家旧宅で発見
書簡は、石井が多喜二と交流のあった小説家、江口渙(かん)にあてた計3通で、400字詰めの原稿用紙計5枚とはがき1枚。1962〜67年に、やり取りがあったとされる。
文学館によると、多喜二の死の前後については、遺言をしていたり監房で死亡していたりといった諸説がある。しかし、石井は書簡の中で、多喜二は「ひとことも口をきかなかつたように思います」と記し、監房とは別室で死亡したか「あるいは保護室にいれられるまえに息をひきとつていて、彼ら(警察医)は申しわけ的に人工呼吸などしたかも知れません」と証言している。
石井は思想犯として、多喜二の隣の監房に収監されていた。書簡には詳しい見取り図が添えられ、多喜二が第2房から石井が入っていた第1房の向かいの保護室に移されたと記されている。文学館の亀井志乃学芸員は「他の証言ではあやふやだった位置関係が詳細にわかる」と話している。
書簡は、栃木県にある江口の旧宅を調査していた郷土の歴史研究会が発見。昨秋、文学館に連絡があり、確認作業を進めていた。18日から文学館で公開される。
多喜二は1903年に秋田県で生まれ、4歳で小樽市に移住した。銀行に就職後、「蟹工船」「不在地主」などを発表。特高警察の拷問を受けて死亡した。
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