2015年3月10日火曜日

東京大空襲から70年の朝。亡くなられた方々に哀悼の意を。一方、被害実態さえ明らかになっていない朝鮮人罹災者がいる。「石川島徴用工の寮」で「三百人あまりの同胞が」「外から鍵がかけられ」「逃げようにも逃げ出せず、結局無理死にさせられた」


(抜粋)

 「東京大空襲・朝鮮人罹災を記録する会」から60周年にあたる昨年3月に、『東京大空襲・朝鮮人罹災の記録』という小冊子が発行された。80年代に体験者から聞いた証言を元に編集された。その中に次のような証言がある。

 「今でも忘れられないことがあります。当時、洲崎に石川島徴用工の寮があり、そこには三百人あまりの同胞が寝起きしていました。逃亡を防ぐためだといい、出入り口には外から鍵がかけられ、常時監視されていました。大空襲当日、逃げようにも逃げ出せず、結局無理死にさせられてしまったのです」(9頁、金一満氏の証言から。当時25歳、江東区在住、故人)。



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