読売新聞
評・青木淳(建築家)
『戦争画とニッポン』 椹木野衣、会田誠著
2015年10月05日 05時25分
小骨を意識して生きる
今年は戦後70年。70年経たってようやく、正面から向かい合えるようになったものがある。そのひとつが戦争画だ。
戦時中、大勢の日本の絵描きたちが、絵を、国威昂揚こうようのために描いた。特に総力戦突入以降、国民全員が戦う一員であるという空気のなか、そうすることが絵描きとしての義務だと考えられた。
戦後は、一転して、絵描きの戦争責任が問われた。戦争画は軍国主義の象徴であり、それに加担したとして、たとえば藤田嗣治は糾弾され、自ら進んで日本を去った。かつて戦争画を描いた絵描きの多くにとっては、記憶から抹消したい過去の汚点だった。だから、接収された153点もの戦争画が、1970年、アメリカから「無期限貸与」という形で日本に帰ってきても、未いまだ一括公開というところまで行っていない。
とはいえ、研究は進み、展示の機会も多くなってきた。そしてようやく、戦争画を単なる批判や反省の対象としてではなく、ぼくたち自身の現在の課題として捉えられるようになってきたのが、この戦後70年なのである。
本書は、美術評論家の椹木野衣が、戦争画を描いた絵描きと同じく絵筆をとる美術家・会田誠に、思うところを問うという体裁をとっている。傍はたからの視点ではなく、絵描きの視点から、戦争画の意味を考えようとしているのだ。
煎じ詰めれば、基本的には、絵さえ描ければ、という気持ちから筆をとる一人の個人が、どう国家や時代の同調圧力といった巨大な力に対峙できるのかという、答えようのない問題に突き当たる。筆を折るのか、巨大な力に便乗するのか。その両極の間には、無限の数の、人により千差万別の答えが挟まっている。
会田誠の答えは、歯切れが悪い。しかし、その歯切れの悪さこそ、この問題に向き合うことなのではないだろうか。小骨を喉に抱えつつ、小骨を意識して生きることの大切さを思った。
◇さわらぎ・のい=1962年、埼玉県生まれ。多摩美術大教授◇あいだ・まこと=1965年、新潟県生まれ。美術家。
講談社 2000円

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