2016年3月24日木曜日

堀田善衛『ゴヤ』(94)「巨人の影に」(7) 「一八〇八年は、この暴力装置が諸国の人民の血という潤滑油をえて、ようやく全回転をはじめた時期である。ナポレオンはその前年にダンツィツヒ、ワルソオまで出向いていた。一八〇八年はスペインの年である。」

ゴヤ『巨人』1810-12 プラド美術館/WPS

ゴヤが一八〇八年から一八一二年までの間に描いたと推定される、普通には『巨人』と呼ばれている、無比に勁悍かつ魁偉な画面は、特定の題名をもっていないようである。双方とも大体同じ意味をもつEl Gigante あるいは El Coloso (巨人)と呼ばれたり、また El Panico (恐慌)と呼ばれることもあるようである。
この絵が、彼が誰のためでもなく自分のために描き、かつ自ら所有していたものであることは、一八一二年作成の財産目録で明らかである。この目録では、題名は El gigante となっているのであるが、これは目録作成上の便宜的な措置であろう。

私はこの強く重苦しい絵の前に立つごとに、題名は巨人などという至極当り前なことではなくて、それは、暴力、というものでなければならない、という感を深めて行く。生まの暴力が、はじめて芸術の中に押し入って来たのである。
西欧中世が宗教の時代であったとすれば、近世近代は暴力の時代である。フランス革命につづいて起った帝国主義戦争の時代、いずれも国家という暴力装置を不可避とし、それを必然とした時代にわれわれは入って行くことになる。いままさに大飛躍期を迎えようとしている科学もまたその暴力装置の動力となる。一八〇八年は、この暴力装置が諸国の人民の血という潤滑油をえて、ようやく全回転をはじめた時期である。ナポレオンはその前年にダンツィツヒ、ワルソオまで出向いていた。一八〇八年はスペインの年である。

われわれの画家は、あたかもこの暴力の時代の予言者であるかに思われる。真黒な、嵐を前にした空の下に、人も馬も馬車も牛も、”恐慌”そのもののなかに蜘蛛の子を散らしたかのように右往左往をしている。・・・そうして暗い空と、黒い山脈の中空に、巨大な裸身の人間が、夢魔のように突き立ち、拳をかためて何かを迎え撃とうとしている。しかしその顔には、いささかも怒りや憤りはない。むしろそれは何かを祈るかのようである。

大抵のゴヤ研究の通説では前景の、あわてふためいている群衆、あるいはキャラバンが突如として巨人が出現したために恐慌状態におちいったもの、としているようである。"
しかし、・・・そうではない、・・・。
第一に、前景の恐慌状態の民衆中に、誰一人としてこの巨人を見上げる姿勢のものが見当らないことである。そうして第二に、この巨人自体が山一つ向うに立っているのであり、しかも彼はこれらの民衆に立ち向って来ているのではまったくないことが挙げられよう。むしろ、彼はこれらの民衆を背にして、山の向うからやって来るらしい何者かに立ち向おうとしているのである。そうだとすれば、彼はこれらの民衆をこそ守ろうとしているのである。・・・
私は長年、ひそかにそう思ってこの巨人と民衆、牛、馬に親しんで来た。筋骨たくましく、尻も背中もあくまで大きいこの巨人には魔神性はまったく認められないのである。そうして画面左方から水平に来ている赤褐色の陽光は、おそらく朝日の光りであり、巨人の腰をかすかに蔽っている白いものは朝靄であろう。

近頃の研究によると、ゴヤはこの画面を描くにあたってフアン・バウティスタ・アリアーサという詩人の「ピレネー山脈の予言」という詩に想をもとめたものではないか、ということになっているのを見て、私は嬉しかった。・・・。
この詩のなかで一人の巨人が、スペインの守護霊となって民衆を救う、という趣旨が書かれてある。民衆が全体として迫害されたときに、一人の巨人が出現してこれを救うという、プラーハのゴーレム伝説をそれは思い起させる。

そうしてこの画面はまた、版画集『戦争の惨禍』の第一番「やがて来るに違いないことに対する悲しむべき予感」をも内包している。・・・。前景中央部の両手をあげている、豆粒のような人間をもし拡大したならば、真黒な背景のなかにうずくまって両手をひろげ、眼を天に向けて聞き耳をたてている『戦争の惨禍』第一番の男が現出して来るであろう。
この巨人=暴力画においての、唯一の救いは、人も馬も牛も馬車もがわれ先に四方に逃散しようとしているのに、前景の左に寄った部分で、ただ一頭 -・・・- だけ、一匹の驢馬が、まことに超然かつ悠然として立っていることである。
この越馬だけが大騒ぎに一切関係ないのである。私はこの驢馬を愛する。彼、あるいは彼女は眼をさえ瞑っているようである。そういう驢馬、あるいは人もいてくれなくては困るのである。ゴヤはこの驢馬によって何を表象したかったものであろう。

ゴヤ『巨人』1808-12

ゴヤは夢魔のような巨人を何枚か描いている。メツォティントの手法による版画の巨人は、淡い三日月の光に照らし出されて、どうやら海の上に腰をおろしているかに思われる。半身になって背中をこちらに向けているが、首をまわして背後の(つまりはこちら側の)中空を凝視している。
この巨人が何を見上げているか?
それは民衆恐慌図のそれと同様に、誰にもわからない。しかし彼の、濃い陰翳をもつ顔貌は、ほとんど悲しげでさえある。巨人であるが故に、この地上に知人も友人ももちえないものの孤独と悲しみが、その逞しい体躯の隅々から滲み出て来るかに思われる。私はこの巨人をもっとも愛するものである。・・・。

ゴヤ『巨石』1800-8
もう一枚は、これも銅版画で、これは巨人ではなくて、巨石、あるいは巨岩であるが、それはゴヤの内部では同じものであろう(スペインには現実に、こんなところにどうして、と思われるような平野、あるいは平原に、突如としてむっくりと見上げるような巨石、巨岩が中空に突き立っていて、その上に城塞堡塁の廃址がのっている、という風景が実在する)。けれども、これらの巨石、巨岩は、すべてゴヤ内部の夢魔が彼をして描かしめたものであったであろう。

・・・もう一度、民衆恐慌に際しての守護霊としての『巨人』に戻るとして、拳をかためてスペインの大地に立ちはだかったこの巨人に相対するものとしての、ピレネー山脈の向うの、もう一人の巨人のことを、・・・考えなければならない。彼なくしては、一九世紀西欧の政治も思想も文学芸術も、ほとんど考えることが出来ないからである。

ナポレオンは、人が彼を知れば知るほどますます大きくなって行く。

と言ったのはゲーテであった。
ゲーテは、同時代の先達として、ヴァルミイ会戦時の発言ともあわせ考えてみると、事態をほぼ正確に見抜いていたようである。

一八〇八年、占領下のスペインにおいて独立戦争に民衆が立ち上り、一八一二年、・・・ロシアはモスクワを燃やさなければならなかった。そうしてエルバ島追放、ついでもう一度の百日天下、ワーテルロー敗戦、セント・ヘレナ島への永久追放・・・。
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