2017年7月18日火曜日

総督府へ行ってくる 茨木のり子(『食卓に珈琲の匂い流れ』より) 

鎌倉 長谷寺

総督府へ行ってくる    茨木のり子

韓国の老人は
いまだに
便所(ピョンソ)へ行くとき
やおら腰をあげて
〈総督府(チョンドクブー)へ行ってくる〉
と言うひとがいるそうな
朝鮮総督府からの呼び出し状がくれば
行かずにすまされなかった時代
やむにやまれぬ事情
それを排泄につなげた諧謔と辛辣

ソウルでバスに乗ったとき
田舎から上京したらしいお爺さんが坐っていた
韓服を着て
黒い帽子をかぶり
少年がそのまま爺(じい)になったような
純そのものの人相だった
日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
老人の顔に畏怖と嫌悪の情
さっと走るのを視た
千万言を費されるより強烈に
日本がしてきたことを
そこに視た

詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』(1992年12月 花神社刊)

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