2017年10月15日日曜日

デフレかバブルか (翁邦雄『朝日新聞』2017衆院選2017-10-12);「2020年の東京五輪のあと必ず需要が落ちる。しかもそこまで景気はもたないでしょう。このままでは金融緩和の余地がない。緩和手段ののりしろをもっておくには、経済が好調のときに少しでも政策を正常化しておくべきです」


デフレかバブルか
元日本銀行金融研究所長翁邦雄
(『朝日新聞』2017-10-12)

物価至上主義の愚
市場ゆがめた日銀
旗降ろせぬ総裁

 統計上は企業業績も雇用も絶好調だ。それでも首相は「アベノミクスで脱デフレ」を唱えて選挙に臨み、日本銀行はバブル懸念も辞さず、危機対応のような超金融緩和に邁進する。心配すべきはデフレなのか、バブルなのか。くらしに直結しながら専門的でわかりにくいこの問題について、金融政策論の第一人者に聞いた。

 ー 安倍晋三首相は「アベノミクスを加速してデフレから脱却する」と選挙で訴えています。日本はいま本当に、物価が下がり続けるデフレですか。

 「デフレはあいまいな言葉ですが、ときほぐすと政府の公式見解のように統計的な物価下落だけを指すこともあれば、不況を示すこともある。物価の伸びはいまゼロを少し上回るくらい。統計的にはデフレではありませんが、この先マイナスになりかねない水準ではあります。かたや景気は実質成長率が堅実に伸び、完全雇用といえるほど人手不足です。政府は『デフレではないが、デフレを脱却したとは言えない』という、不思議な説明をしています」

 ー 雇用がいいなら、無理に物価を上げなくてもいいのでは。

 「7月発表の日銀の調査では、8割の人が物価上昇は『困ったこと』と答えています。当初、国民は政府の脱デフレのメッセージを、不況感を打破してくれる試みと受け止めたのでしょう。でも、安倍政権と黒田東彦日銀総裁は『デフレ=物価下落』ととらえ、物価が上がらないから景気がよくならないとの立場をとりました」

 「そこで出てきたのが、2%インフレ目標至上主義です。明らかにまちがいです。実際は物価が上がらなくても好況になるし、日銀さえ頑張れば物価が上がる、ということもありません」

 ー デフレ脱却という目標がまちがっていたということですか。

 「日本経済への悲観の源流は物価が上がらないという表面的なことより、未婚や少子化、高齢化といった構造問題です。安倍政権がここを意識して介護離職ゼロなどの目標を後から追加したのは良かった。でも海外投資家も、多くの人もアベノミクスと言われてまず浮かぶのは大胆な金融政策、異次元緩和でしょう。黒田総裁は本気で短期決戦に臨んだ。しかし日銀のインフレ目標は2年どころか4年半たっても達成できない。逆説的ですが、金融政策だけで機械的に目標を達成はできないと見事に証明してしまったのです」

     ■     ■

 ー なのになぜ、日銀はこの政策をずるずる続けるのですか。

 「黒田総裁が2%目標を最優先課題にしたので、いまさら旗を降ろせなくなったのでしょう。おかげでさまざまな副作用やリスクが生まれています。日銀が大量の国債を買い支えることで政府は財政規律を失い、マイナス金利政策は利ざやが稼げなくなった銀行経営を追い込んでいます。国債も株式も、いまや日銀の買い支えに頼る官製市場です。金融システムがかなり脆弱になってしまいました」

 「昨秋に日銀が政策の総括的検証をしたときが、軌道修正のチャンスでした。でも、そこでも政策は有効だったと強調した。日銀の情報発信はまるで、大本営発表のようになってしまいました」

 ー 日銀はどうすべきですか。

 「インフレ目標は中長期的な目安という原点に立ち返るべきです。中央銀行には物価安定だけでなく、金融システムを守るという重要な役割があります。インフレ目標の実現のためならどんな政策も辞さないという姿勢では金融は安定しません。それでは結局、物価安定も長続きしないでしょう」

 ー 異次元緩和は「リフレ論」つまり金融政策で人為的に物価を上げれば景気を良くできるという考えが根拠です。唱えたのは現日銀副総裁の岩田規久男氏でした。

 「1990年代初め、当時学者だった岩田さんは、日銀がマネタリーベース(日銀への預金や銀行券)さえ増やせば世の中に出回るお金全体が増え、必ず物価は上がる、という貨幣数量説を主張しました。当時日銀の調査課長だった私は、マネタリーベースを増やしても必ずしも世に出回るお金全体は増えない、と反論しました」

 ー 世に言う「翁・岩田論争」ですね。四半世紀たち、こんどは岩田さんが日銀入りして攻守が入れ替わりました。論争の決着は?

 「岩田さんはその後、説明ぶりを変えました。マネタリーベースが増えれば人々が予想する将来のインフレ率が高まり物価が上がるのだと。『信ずる者は救われる』という説です。しかし現実は予想インフレ率が下がり続け、この議論も誤りだとはっきりしました」

 ー 今年、東京・銀座の一等地の地価がバブル期を超えました。異次元緩和が土地や株などの資産バブルをあおっていませんか。

 「たしかに政策がバブルを促している面はあります。日銀は国債市場の異様に巨大な買い手だし、株式市場でも株価が下がると日銀が上場投資信託を大量に買い上げて株価を支えています。資産市場はかなりゆがんでいます」

 ー それでも多くの人はバブルとは思っていないのでは。

 「バブルは崩壊して初めてそれとわかるもの。バブルのさなかはむしろ快適です。大酒を飲んでいると気分がいいけれど、翌朝ひどく二日酔いになって初めて飲み過ぎを後悔する。あれと同じです」

 ー 酔い冷ましが必要ですか。

 「そうです。巨額のお金をつぎ込んだ市場から手を引く必要がある。でも、日銀といえども簡単ではありません。大量に買った株を日銀が売り始めたら株価は大きく下げて、大混乱になるでしょう」

     ■     ■

期待の暴走の先
円暴落の危険も
次の不況が心配

 ー バブルという言葉、翁さんが日本に紹介したそうですね。

 「80年代初め、米国留学で学んだバブル現象について私が本を書いたとき、日本ではまだほとんど知られていませんでした」

 ー 改めて、バブルとは?

 「期待の暴走です。土地や株、絵画などの資産が値上がりし、さらに上がるという期待に拍車がかかる状態が典型的バブルです。有名なのは17世紀のオランダのチューリップバブル。球根が家1軒分なみの値段となり、その後暴落してオランダ経済は大混乱でした。日本の80年代後半のバブルも株価と地価の急騰と暴落で、経済は長期的にダメージを受けました」

 ー 異次元緩和はバブルを膨らませるのに、黒田総裁は出口をはるか先と考えているようです。

 「バブルで資産価格がゆがむのも問題ですが、この状態で次に本当の不況が来るのが心配です。2020年の東京五輪のあと必ず需要が落ちる。しかもそこまで景気はもたないでしょう。このままでは金融緩和の余地がない。緩和手段ののりしろをもっておくには、経済が好調のときに少しでも政策を正常化しておくべきです」

 ー 正常化できなかったら?

 「極端な金融政策の果てに何が待っているのか、専門家でも十分にわかっていません。このまま日銀が国債を買い支え続ければ市場機能が死んでしまうので、国債暴落は起きないかもしれない。ただそのとき為替市場など他の市場がどうなるかが見通せません。私は最悪のケースでは、円が暴落するのではないかと心配です」

 ー 円高恐怖症の日本では円安はむしろ歓迎されてきました。

 「問題は相場が極端に動くときです。円が高ければ円を売ればいい。でも安くなったときドルを売って円を買い支えるのは難しい。政府の外貨準備は有限だからです。92年の英ポンド危機でも、英国は通貨防衛できませんでした。日本もひとごとではありません」

     ■     ■

 ー 今回の総選挙で異次元緩和について希望の党が当面維持と言い、立憲民主党は公約に掲げていません。消費増税は両党とも「当面凍結」。リスクに直面している危機感が野党にも見えません。

 「将来のリスクを考えると必要でも、不人気な政策は選挙のたびに後退しがちです。消費税も年金保険料改定方式のように小幅に毎年上げ続ける法律をつくることなどで、争点化を避けるべきです」

 ー デフレもバブルも困るけれど、どちらがまだましですか。

 「マイルドなデフレのほうがましでしょうねバブルを起こすほうがはるかに有害で失うものが大きい。日本経済を低成長に引きずりこんだのも、バブル崩壊による金融システムの不安定化でした」

 「米国では以前は大恐慌のトラウマがあってデフレ恐怖症が強かった。だから米中央銀行FBRのグリーンスパン元議長は、デフレ回避のためにバブル発生リスクもいとわなかった。その結果がリーマン・ショックです。バブル崩壊の影響を軽視してきた米欧の政策当局も、いまは金融危機の恐怖を切実に感じているはずです。日銀もそれを思い起こしてほしい」

 (聞き手・編集委員 原真人)

 

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