2024年3月24日日曜日

京都日記(2) ロンドン焼きマシン イノダ四条支店 秦家住宅 宮川美髪館 本能寺跡 京都御苑内の清水谷家の椋 蛤御門 2024-03-16

 3月14日~21日、法事のために帰省(京都)。その間に、行った所、食べたものとかの記録。宿泊は上京区にある家人の実家にお世話になった。

滞在中に鑑賞した花についてはコチラ↓

京都の桜 旧成徳中学校の春めき桜(3月16日) 京都御苑の枝垂桜(出水の枝垂、近衛邸跡) 十月桜 一条戻橋の河津桜(3月17日) 長徳寺のオカメ桜(3月19日) 二条城周辺の小彼岸桜(3月20日) など

京都で出会った梅、桃、菜の花、椿 京都御苑 神泉苑 晴明神社 など 2024-03-14~21

京都日記(1) 鶴屋吉信「織部満雲寿」 「二和佐」仕出し料理 ゆば料理「かめや本店」 二条城 神泉苑 2024-03-14,15


で、3月16日は家人の実家のお墓詣り。この日の総歩数は19,500歩

家人の実家のお墓は京都市内のド真ん中、四条河原町から徒歩数分の裏寺町にあり、墓参後、どこに行くのもチョー便利。

いつもは祇園・東山方面にゆくのだが、今回は旧成徳中学校前の春めき桜(既報)を観に行きたかったので、西方向に向かう。

▼ロンドンヤのロンドン焼き(カステラ饅頭)

新京極を歩いていたら、外国人の人だかりが。ひょっとしてと思ったら、やっぱりコレだった。みなさん、しっかりじっくり見入ってられました。


▼イノダ四条支店

本店まで行く時間がないので、大丸出入口近くのイノダコーヒーで軽くお昼。「京都の朝はイノダから」というのがお店のキャッチフレーズ。昭和レトロ感が心地よい。高田渡の「コーヒーブルース」を聴きたくなった(三条堺町の本店を歌っている)。



▼秦家住宅

その後、既報の通り、下京区烏丸高辻西入ルの旧成徳中学校の春めき桜を観たあと、このまま東方向に戻るのも芸がないので、いっそ更に西方向にということで、高辻通を西に。

西洞院あたりに道元さんが亡くなった地という大きな石碑がある。が、実は、ここは以前に来たことがあるので、いままで通ったことのない油小路を北上することとした。油小路と言えば、新選組が禁裏御陵衛士(元は新選組の同志)の伊東甲子太郎らを襲撃した油小路事件が思い浮かぶ。この事件は、七条近辺でのことなので、残念ながら北上する道筋には当たらない。

北上の途上にある秦家住宅は、祇園祭では太子山を出す町内にあり、かつては薬屋さんを営まれていたそうだ。当然、いまも秦さんという方がお住まい。


▼宮川美髪館(油小路綾小路、昭和2年竣工)
今はないが、私の実家はこの綾小路に面していていたので、綾小路の文字を見ると自動的に反応する。

▼本能寺跡
今の本能寺は秀吉の(余計な)京都再編により別の地にあるが、信長が襲撃されたのはこの本能寺。

▼京都御苑
油小路を北進して、最終的に堀川丸太町近くの家人の実家に到着したが、まだ時間も体力も余裕があるので、京都御苑に足を延ばした。

ここでの桜の状況は既報の通り。

▼京都御苑内の清水谷家の椋
蛤御門の変の際、長州藩家老の来島又兵衛が討死した場所と言われている。

▼蛤御門
蛤御門の変の際の鉄砲の痕が柱に残っているといわれている(写真の右下側)。
蛤御門の変と呼ばれていて、京都に応仁の乱以来の大火をもたらしたとのことだが、当の蛤御門は健在だったのか!

▼夕食は湯豆腐など。
写真は好物のホタルイカ。
写真は割愛したが、湯豆腐の豆腐は京都でも有名な「森嘉」さん。販売所が家人の実家のすぐ近くにある。

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